長良川河口堰往復(97.15km)、干支交代、森永卓郎氏「ザイム真理教」読了

2月の3連休の中日2月11日(日)、前回のリベンジ走行で長良川河口堰を目指す。日曜の朝は6:44時にスタート。晴れ西風少々、ウインドウストッパー上下に靴下2枚とシューズカバーで最大級の防寒態勢をとったものの若干まだ寒く感じる。前と同じく長良川河川敷の道を南下する。例の「背割り堤」の工事は土日はお休みだという情報を得たので自信を持って長良川左岸を背割り堤に向けて直進。予定通りゲート横をすり抜け自転車専用の「背割り堤」区間を入り追い風に乗って快適に立田大橋にまで走る。時間が早いせいかロードバイクにには遭わない。しばし休憩の後に木曽三川デルタの三角州を南下してJR関西線、近鉄ガード下を抜け国道1号は左折、長島駅をチラ見したあと長良川左岸に出てみると下流に大きな河口堰が見えてくる。9時過ぎに河口堰のたもとに到着。隣は「なばなの里」という施設があってちょっとした観光スポットかもしれないが時刻も早いので人影はない。河口堰の上を実際に走ってみると思っていた以上に巨大な建造物で幅と言い高さと言い、川の対岸までも相当な距離があった。南を見ると海と同じく広い川面と陽光の中に長島スパーランドの影が浮かぶ。北側は鈴鹿山系の藤原岳が荘厳に雪で白い姿を見せている。水深は相当に深そうで囂々という水流と強い西風の音以外何も聞こえずやや心細く感じる。「誰もいない・・もし地震が来て堰が崩れたらお陀仏やな」と思いながら早々に引き返す。そこからの帰路は強烈な逆風でヒイコラヒイコラペダルを回して木曽三川公園で一旦休憩して来た道を引き返す。ロードバイク数人に抜かれるものの後ろに付く元気も無くマイペースで20k/hそこそこで走行、12:20に無事帰着。往復97kmはそれなりに遠い。次は伊勢湾を目指すことになるが往復120kmくらいか。

99.25km 4:36:10 21.5km/h 獲得368m

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(河口堰たもと)

 

(伊勢湾方面)

 (北勢、藤原岳方面)

(背割り堤)

能登地震、その後もニュースは決まったように連日報じられている。脆弱な交通網が寸断されて援助が届いていない。6年以上も前にドローン用ICのデザインを海外顧客に出した記憶がある。最近ドローンによる調査や荷物輸送など技術の進歩やベンチャー企業などのニュースが頻繁流れていたこともあってこんな折こそ大活躍かと思いきや存在があまり出てこない。単に露出が少ないだけなのか?技術がイマイチなのか?離島や限界集落への輸送に活躍している姿を期待していたので少々残念な気がする。

晴れた休日の午後、干支の交代と桃の節句の人形を飾る。片づけ最中にオランダのスキポール空港で土産で買ったストロープワッフルが唐突に出てきて、あれ、すっかり忘れていた。早速コーヒーの上で温めて食べるとキャラメルとシナモンの味がコーヒの苦味によく合う。この2月は土日を含め少々忙しい。To Doアイテムの奥さんの実家の断捨離なども遅々として進捗が思わしくない。2月18日にマンションの総会があった。長期修繕積立金の計画の改善など何件か提案を行う。総会出席率60%以上は住人の関心が高く良い状態と思うものの輪番制の管理組合理事の役割についての理解や認識と責任はもう一つな気がする。管理会社の言いなりにならない力量を身につけないと住民の共有財産を守ることが難しいと思うのだが・・。

「西の山くうき温みて春霞、否スギやヒノキぞ油断はならじ」

立春をすぎれば陽射しは猛々しはやくも道は日影をえらぶ」

森永卓郎氏「ザイム真理教」読了。奥さんが図書館で十数人待ちで借りたが「今は忙しいから良かったら先に読んで」と言われ読み始める。著者は経済学者で新聞広告でも盛んに宣伝されている。内容は財政政策や国税の歴代の運営において財政均衡策が経典として広く布教され国内がマインドコントロールされて低成長の不幸に陥っているという問題が説明されている。話題の本にはなっているが第一の読後感としては「さてどうなのか・・うーん?」と半分疑問、消化不良を感じたのは自身も該当教の信者になっているからか?知識不足か?。MMT理論推しの氏の主張は財務省派の財政均衡主義と相反するものとして書かれている。現在の1600兆円の国債も1100兆の資産と通貨発行権500兆で実はトントンというのが氏の説明。にもかかわらずここ何回かの消費増税で個人の豊かさが奪われ国力の衰退を導いたというのはなんとなく同感。しかし、保有する100兆円の米国債は米国の手前自由に換金できるものでもないし、前政権が金融緩和の財政ファイナンスを実施していた時ですらGDP、国力低下が止まる気配もなかった気がするのでMTTが単純に良いというのも疑問に思う。まあ複雑な経済対策して業者が中間マージンを吸い上げるくらいなら減税が一番でその元をMMTで補うという考え方には賛成。過去のいきさつから経済学者O氏、N氏の過去記事を参照して逐一反論する文も長く書かれているがこの部分は分かりづらく冗長にも思えた。氏は現在癌の病と闘っておられるようで後世へ書き残す一環としての執筆らしい。所詮思うのは、理論はともあれ巷で起こっている脱税、政治資金やパーティ券問題などルール無視で後付けの都合でそれなりの理屈やルールを作っていくような昨今の事情は高尚な理論など関係ないレベルで、まずは社会的誠実性が社会の永続性の第一の問題に思う。

 

走り初め犬山往復(55.9km)木曽三川公園往復(90km)吉川宏志氏歌集「石榴花」読了

今年の走り初め。1月6日(土)奥さんは仕事始め早々に風邪気味、「初詣の伊奈波神社の混雑でうつされた」との自己分析、一人で掃除に洗濯、買い物の後昼食を作る。12:30に走り初めとして犬山往復にスタートする。予報は晴れ/曇りだったがどんより重たい雲が空を覆っている。木曽川に出て左岸に渡り江南から木曽川CRを東進する。今日は人が少ないと思いながら20kmほど走って犬山市内に入り、工事通行止めなので犬山頭首工ライン大橋を右岸に渡り川沿い道路から犬山遊園をグルリと回ってから成田山の坂を登ってゴール。6日でも初詣なのか人は多い。しかし不運にも空からポツポツ冷たいものが落ちてくる。ありゃありゃ天気予報、最近は良く外れる!!。しばし雨宿りで眺めている看板に今年の厄年が書いてあり自分も本厄らしい。その通りに早々に不運に会っている。20分ほどで小降りになったのでスタートするものの帰路は降ったり止んだりの繰り返し、前方遠く陽射しの帯が見えている養老山地を見ながらペダルを回すが既に全身はほぼ濡れて寒く、防寒レベルを上げたウエアにするべきだったと後悔する。一宮市の公園横で一旦止まって冷えて痙攣気味の足をマッサージ、かすかにスーッと品のある香りがしたと思うと近くに黄色の蝋梅が凛として早くも咲いている。ようやく笠松まで戻って来て雨が止み木曽川を渡って何とか帰り着く。冷えて足の感覚が麻痺し玄関を入ってシューズを脱ぎ踏み出した左の足首が思うように曲がらず滑って肩からドタッと廊下に倒れる。雪こそ降らなかったが気温5℃程の雨で冷え切った体は悲惨、その後左足の指先は親指以外が凍瘡(とうそう)、いわゆる「しもやけ」になってしまい無残な走り初めになってしまった。これで厄が落ちればいいが本厄恐るべし。
55.95km 2:39:45 21.0k/h 37.3kmax 獲得223m
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(蝋梅)

その後の1月22日(月)は晴れ、有休を取って長良川河口堰を目指す。先日、長良川左岸の河川敷道路がめでたく開通して堤防に登らずとも南濃平田町まで行けると情報を得たのでコースインスペクションついでに出かける。家事を終えた8:20スタート、河川敷をひたすら南下、やや追い風がある。西の養老、伊吹山系は白く雪をかぶった冬景色。河川敷は確かに「おちょぼ稲荷」に近い南濃大橋までノンストップで到達。ここから堤防道路に上がって背割り堤を目指すものの、背割り堤は工事中でガードマンが立ってニコニコしながら工事で通れないと宣告する。さすがに駄々をこねても詮無きことなので来た道を逆風に逆らいながら南濃大橋まで戻り長良川右岸に渡ってゲートで走りにくい自転車道路を南下して木曽三川公園まで到達。一連の無駄な動きで体力消耗と時間ロスのダメージが大きく今日の河口堰はあきらめてここまで。色鮮やかなパンジーが咲いている公園のなかの人はまばら、羊羹2個を食べて休憩、同じく若いロードバイク1台が休憩している。帰路は北西風に逆らいながら輪中集落の田園の中の農道を直進し、途中の平田町にあるこの地域の名物、川島屋の草餅を購入して無事13:50に帰着。目標の河口堰も行けず90km近くは大いに疲れる。
89.7k 3:57:15 22.6k/h 31.5kmax 
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長良川河口方向)

年初こそ暖かい日が続いたが寒気のもあり1月24日の早朝に積雪約10cm。以前はもっと降っていたが最近は年に1回ぐらいの積雪。早朝の散歩、清水川沿いには節分の赤鬼が雪を被っている。北陸も雪、能登地方の地震災害は甚大でまだ全貌は見えていないらしい。地震、同じく地方として他人ごとではない。自転車で行く寒村山中の集落も上下水道の事情は同じ。見れば岐阜の市内の古い昭和的建築物も耐震危険度は変わらないように見える。中心部、柳ケ瀬にある高島屋もビルの老朽化対策の費用が理由でこの7月に撤退が決まった。そもそも営業赤字だったとは言え利用してきた一市民としては手土産として見栄えのある紙袋が付いてくるデパートの消失は激痛に悲しい。長年の愛着も深そうな義母を施設にご機嫌伺いついでに話題を振ってみると「まぁー高島屋がのうなてっしもうたら・・もう柳ケ瀬はアカンわねぇ。周りにどえれぇ高けぇーマンションばっかポンポン建ててもねぇどうやね・・隣の奥さんが言わされたけど売れ残り多いに?市のエライ人ももうちょっと、よォー考えてもらわにゃアカンわねぇ・・」と元も子もない感想を言われる。約40年前くらい、姫路と岐阜は人口40万以上で似たようなものだったと記憶している。その後の合併など変遷を経て今は姫路の方が頭一つ出て、岐阜は40万人を切り最近は中心部も空き地が目立ち寂しくじり貧の傾向が目立つ。元気だった頃に同業者と毎朝モーニングに行っていた典型的岐阜の昭和世代、義母の話によると商売人多かった岐阜は地方都市にしては銀行や証券会社の取り扱い資産は多かったらしい。災害復興に地域復興もこのご時世、まずは金と資金次第のようで昭和柳ケ瀬全盛時の資産が頼りなのかもしれないが、まだ資産があるうちに高島屋を通行の多い駅前に移転させるくらいの思い切った策がないと・・街の価値も先々微妙に思う。

(玉性院の鬼)

図書館で奥さんが新着図書で見つけて「いいの借りてきあげた。良かったら読んでみたら」と言われたので読み始める。吉川宏志氏は塔の主宰で宮崎出身の方。母親が亡くなられる前後に詠まれたものを歌集にしたものらしく個人として重い出来事のあった時にあたる。題名、石榴花はアビアンスのことと書いてあったがサボテンのような植物のことらしい。普段の生活、実母の死の他、辺野古のデモなど社会的なものもある。
「時雨降る比叡に淡き日は射せり常なるものはつねに変わりゆく」
「貧しさも楽しかった、とああそれは過ぎたるゆえに言える言葉か」
「早春の道に小さく足縮め花より先に死にし蜜蜂」
「食べることできない人に贈るため花はあるのか初めておもう」

 

走納め金華山DW(22.28km)、百々ヶ峰登山(417m)、帰省及び同窓会

去年とは違い年末が近づいて年内は少々時間に余裕がある。12月28日は有休にして年末休みに入る。12月29日(金)に今年の自転車走り納め、時間も無くて金華山DWに行く。晴天、少々寒いくらいで走り易かったが走り納めとしては少々地味な感じで締めくくり。
22.28km 1:17:18 17.3k/h 獲得標高337m
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織田裕二のファンの奥さんが録り溜めたドラマを見始めたのでボーっと横で眺めていると岐阜の比較的近いところが舞台になっているのでおやおやローカルドラマか?と見る。「ガラパゴス」と言うドラマで再放送らしいが、岐阜県南部の南濃や美濃加茂の自動車部品工場が舞台になっていて、工場の品質不正を内部告発した労働者の殺人事件を追う刑事ものだった。「これって本当ににフィクションかㇸ!?」と思ったのは、時あたかも車会社の品質不正のニュースが日を追うごとに大きくなっているので、真剣に見始める。失われた・・・年の派遣労働事情周辺のドキュメントのような描写もあり、内部告発への対処も閉塞的な、いかにも村社会の縮図を見せていた。ぼんやりと思うのは昔の会社の一コマ。ISO9000とかTSxx認証の講習を何度か受けた時の講師役はおおかた自動車会社や電装会社の役職経験のOBらしい人で、威厳に満ちた話しっぷりで設計品質、工程フロー順守を一部品屋である半導体会社に対して重々しく説いていたのを思い出す。確かに一般論としては良いとしても・・と思いつつ聞いていたが今日、あちこちで発覚する品質問題が十数年以上前から続いていたとなると・・ISO云々の認証制度も外見上の体裁を整えた絵餅で内実は寒い弥縫策と矛盾が現場にはそこはかとなくあったのかもしれない。当のドラマの結末は勧善懲悪的爽快感がイマイチだったが奥さん曰はく、「最近のドラマにはよくあるパターン」で懲悪されないところにある意味リアリティがあるかも。
29日、無事帰国した娘が岐阜に帰省して来た。30日は暖かい晴天で朝から百々ヶ峰に行くことにする。ノルウエーで山歩きが趣味の一つになったらしく、山登りトラッキングアプリをスタートさせて登山開始。冬枯れた山道は歩きやすく約1時間少々で久しぶりに頂上まで登り切る。標高は417mで金華山は眼下に見えて名古屋駅のタワーは霞の中。昼食後、下りに正月飾り用のウラジロを二つほど採り、途中ヤマガラなどの野鳥に餌(ピーナッツ類)をやっている人を面白く見る。河野裕子氏「たったこれだけの家族であるよ・・」という歌を思い出し、娘や息子と行くこう言う機会は自分の健康年齢も考えると大切だと思う。

金華山方面)

晦日、義母を介護施設に年末の挨拶に見舞った後岐阜駅に近い「テト」という店でケーキを購入する。開店前に並ぶお目当てはガレットデロアというケーキでガメッと大量に買っていく人もいる。これはフランスで新年に食べるケーキらしい。昼は自分がニシン蕎麦を作る。お節料理は買わず作る労力もかけずいたって質素にする。元旦、伊奈波神社に初詣、午後ゆったりとガレットデロアを食べている時に地震で揺れる。かなり大きな揺れで震源能登、過去何度か地震があった地域で今度は相当大きいと思う。翌2日、名古屋JR高島屋に行って昼食と明日の姫路への帰省の手土産を購入する。その後、奥さんと娘は混み合うバーゲンセールへ突撃し私は岐阜へ帰る。

「除夜の鐘かすかに聞きをり闇のなか残されし時を独りみつめる」

伊奈波神社参道)

(ガレットデロア)
翌3日、朝6時半の電車で姫路に向かう。米原から新幹線で9時台に到着。母、兄夫婦、姉夫婦が集まり皆さん元気。早いもので父の三回忌はこの二月にやることになる。兄や義兄は既に年金世代で私から見ると少し羨ましい。今回、13時から中学の同窓会のある私は12時に実家を辞して姉夫婦の車で姫路駅まで送ってもらう。実に20年ぶりに同窓会に参加。すぐにわかる人、話の間に記憶が戻る人、覚えてなくて申し訳なかった人とさまざま。郷里を離れて40年、この先の人生において同窓に会うことはそうは無いはず。皆さんどういう人生を歩んでおられたか?楽しそうに話す方々の場面に参加できたのは良い機会だった。16時過ぎにお開き。参加率は20%程度で以前より少ないらしいが、参加されていなかった人のことなど昔を辿りつつで帰路に着く。姫路駅の地下で、一種のソウルフード御座候がなぜか担々麺屋を出しているのを見て驚く。

「白い人、おぼろげな人、薄い人 同窓会で生存を確認」

「我らもう下り坂やと言いながら努めて明るく同窓話す」

 

大茂山(440m)富有柿ride、金華山DWのrun、健康診断、司馬遼太郎氏「奈良散歩」読了

今年の健康診断は業務の繁忙期をさけるため例年より遅れて12月11日に設定する。その日までの3週間くらいは脂肪の燃焼を加速するための重点期間として週一の運動に負荷を一層かけるようにする。
まず初めに勤労感謝の11月23日は大茂山に自転車ride。朝6:30にスタートし岐阜大学の横を通って県道91号から県道167号へトラバースし鹿穴峠を通って金坂峠の途中から大茂山方面に左折する。この金坂峠で一人のロードバイクに抜かれる。気にせずマイペースで大茂山の峠道を登って最後の電波中継基地への枝道の入口にあるチェーンを跨いで更なる急坂の滑りやすい松の枯れ葉を踏みしめながら登って無事にゴール。周囲はクヌギが多く枯れ枝になって紅葉は美しくもない。下りは慎重に根尾川の谷に向かって下っていく。国道157号で本巣、糸貫の集落を抜けながらこの地方が発祥の名産の富有柿を安く買うため道沿いにある無人販売店を見ながら帰る。値段は3,4個一袋の100円が最もお得。数人の高齢者が車を止めて物色しているところで柿を二袋購入する。辺りは柿の木畑が多く実をつけた柿林の道を帰る。
54.31km 3:07:07 17.4k/h 獲得747m
https://strava.app.link/me0mgA0rZFb

それ以降、毎週末に短時間でより負荷の大きいrunを中心にする。11月25日に続き12月2日も金華山DWにrun。このところ晴れつづきで少雨の気配がある。6時前にスタート、岐阜駅の東を北上し柏の杜公園から登坂開始、気温が低くて走りやすい。40分ほどで展望台到着、夜明け前でもう少し上に行って日の出の写真を撮る。早々に下り始めると、道の上の紅葉の色づきが良く里の秋も本番。旅の前後、9月、10月と走っていない間に同コースのstravaでローカルレジェンドは獲られた挙句、今は7回ほどの差がついてしまってあきらめムード。
10.12km 1:29:14 8:49/km 獲得149m
https://strava.app.link/YOWpIZ7rZFb

帰着後、掃除をしてから買い物に出かける。そのついでに里の秋を鑑賞するため、長良地区の雄日ヶ丘公園へ行って銀杏の紅葉を見る。この公園の銀杏は良いタイミングで色づきも良く美しかった。同じ長良地区にある山田珈琲に行って珈琲豆を購入する。安くはないがここの豆は香りも良いと思っている。今回は試飲した「オペラ」という豆を購入。山田珈琲から伊奈波神社近くのパン屋「かし是」を巡る自分らにとって黄金の買い物ルートを通って帰ってくる。昼食後に買ってきた焼きたてパンにコーヒーを淹れて細やかに楽しむ。

12月11日、問題の半日ドックが午前中に終わる。昨日は断食と献血までして臨んだ最も重要な体重測定は残念ながら300g去年を下回れずに終わる。良くは無いが300gは仕方ないとあきらめの心境。「これ以上太るべからず!」と厳しく奥さんから言われているが、仕事もストレスフルだとなかなか思うにまかせない。しかし、あのバリウムを飲む検査は不快さの割に効果が小さいようで意味に大いに疑問で来年から胃カメラに切り替えることを考える。

山茶花のよこにアカシアこの冬の稀なる暖をわけ合う如く」

「養老に雪雲かかりて風つよし銀杏公園そろそろ見頃」

(雄日ヶ丘公園)

司馬遼太郎氏「奈良散歩」を約3か月かかって読了する。祝園時代に奈良は近かったこともあって割と知っているので読みやすいかな?と思って始めたが、内容は仏教伝来と東大寺の華厳教の宗教史にまつわる記述が多く、いつもの紀行文的なパートが少なく四苦八苦。談山神社東大寺界隈など観光地としての知識はあったが春日大社興福寺藤原氏の社寺であったことを知る。インド大乗仏教の伝来、于?国(うてんこく)、二月堂の修二会など私には難しい内容だった。漠とした理解しか持っていなかったが天平時代に大陸との交流や渡来人によって大仏や仏教文化が形作られたことは自身にとっては新しい理解になった。それにしても、祝園6年の間に修二会(二月堂お水取り)を一度も見ずに終わってしまったことを少々悔やむ。

浜名湖一周87.19km+宇利峠+本坂峠、司馬遼太郎氏「近江散歩」読了

帰国後数日で業務は並走する2本のうち1個目のプロジェクトはデザインレビューを経てTSMC向けに無事TO(tape-out)終える。2個目の先端プロセスに集中するものの、FFET構造のレイアウトが困難でやや遅れ気味で年末まで気が抜けない。時差ボケ、ジェットラグに比較的耐性があると思っていたが、今回ばかりは酷く2週間ほどは睡眠も悪くて心の疲れがとれず精神力も売り切れた状態で調子が上がらない。アクセク疲れた後の土日がアッと言う間に過ぎてしまうものの遅れがあって休みを取るわけにもいかず、なんとか風邪をひかないように数週間は葛根湯などを飲んで耐え忍ぶ。

体調が徐々に戻っていく10月27日、年一回の眼科の定期健診で奈良の西大寺にある眼科病院まで行く。術後の副作用の進行もあり半年後に再検査となる。西大寺駅の西側は新しいロータリに生まれ変わっていた。帰りは、近鉄の特急で大和八木経由で名古屋から帰る。車窓から遠く小さく青山高原の風車を懐かしく見る。榊原温泉にデポして自転車で風力発電青山高原に登ったのは約20年近く前、確か帰りにパンクして酷い目に会ったことも。あの頃は野心的に次々と峠をハントしていた。
10月28日に旧会社のOB会が4年ぶりに岐阜駅近くであった。コロナ感染の前以来でその時に比べ参加者が少なくなっていたようで少し寂しい気もしたが懐かしい方々に会う。10数年前までは半導体産業の従事者で既に50歳を超えた方々がほとんどだが、私どものようにまだ半導体業界にぶら下がっているのは珍しいケース。話した人から「今の半導体はどうなんですか?経済安全保障とかで求人がえらい増えてるんですか?これが10年早ければ良かったのに・・」と口々聞かれる。その通り、もう十数年早ければ状況もずいぶん違うし、行く道が変わった人がいるかも知れないと思いつつ、「製造装置は別として、あの頃も今も他国の相対速度から見てそんなに復活は甘くは無いと思うんやけどね・・」と濁す。
11月3日(金)3連休の初日、朝4時に起きて車に自転車を入れて浜名湖を目指す。ハマイチ、浜名湖一周はいつかはやってみたいと思っていた。浜名湖一周では物足りないので西にある峠を2つ登ってから一周することにする。6:30にデポ地点の三ケ日の役場に到着。澄んだ晴天で無風に近い好条件。浜名湖から登る日の出を撮る。まずは1個目の峠、宇利峠(154m)を目指す。高速道路沿いのみかん畑の中の県道を登ってほどなくゴール。眼下に浜名湖が朝日で光っている。一旦下って、新城方面の国道を登り返しトンネルが現れると、右側の旧道に折れて更に登る。ここは人気の無い道で昨今熊の出没もあるので注意しながら登っていくと旧道のトンネルが現れゴール、本坂(330m)。
峠から一気にダウンヒルして浜名湖周回道路に入る。

「昇る日の温みを背にうけ三ケ日の蜜柑畑を銀輪のぼる」

「風もなく自転車日和の浜名湖をめぐる人無き日の出るころ」

浜名湖朝日)

(宇利峠)

(本坂峠)

ハマイチとして一応コースが設定されているが、欧州で見た立派な自転車道は無くて車が横をかすめて通る車道の左端を注意深く南下していく。やがて湖南の新居関まで来て休憩。関所跡、今日は無料開放日らしいが特に見るもの無く10時なので早々に出発。弁天島のところで横に新幹線が通っているので懐かしい気分で写真を撮る。ここは車窓から見る思い出深いポイントでここを過ぎると大方は睡魔に襲われていた。間近で見る浜名湖の水は思ったより澄んでいた。舘山寺に向けて国道を左折。湖岸をずーっと走るわけでもなく時々内陸部でコース表示が無くなり、どうもハマイチは走り難い。舘山寺から湖北に出てアップダウン繰り返し三ケ日に12:40無事戻る。帰路、インター前で浜名湖名物の鰻を食べて帰るが、期待に反して岐阜の方が美味しいと感じた。
87.19km 4:34:22 19.1k/h 獲得872m
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司馬遼太郎氏「近江散歩」読了。欧州旅行にも持って行ったがあまり読めず、同時に「奈良散歩」も借りているが長々3か月ほどかかる。街道を行くシリーズでは近江は2度目らしく、今回は岐阜県境や湖東湖南がメインとなっていて割と馴染みがある場所なので興味を持って読めた。寝物語の里は近江と美濃の境で中山道今須の宿場近く、国友鉄砲の里も長浜近くでいつか自転車で訪れてみたい場所の仕入れになった。この付近でも知らない場所が多く、車でなく自転車の速度でしか見えないものも多々あるので。

 

欧州ウイーン行の4 帰国

10月9日、最終日。早朝6時に起きて私はもう一度、自転車でドナウ島とぶどう畑を走ってみたいと思い準備をするも奥さん曰く「一人で行って来て」とのこと。ハイリゲンシュタッ駅の前に例の自転車が数台並んでいるのでスマホで解錠しスタート。少し寒いもののここ数日は10月のウイーンにしては暖かい日和が続いているらしい。まず橋へのアプローチ道を見つけてドナウ運河とドウナウ川を渡りドナウ島に下りていく。細長い運搬船が上流から土砂を運んでいる。しばらくは下流に向かってひた走り橋を一本スルーし二本目の鉄道とトラムが走る大きな橋を渡って今度は対岸を上流に戻っていく。自転車の人とビュンビュンすれ違うい、カバンを背負っているので筋金入りの自転車ツーキニスト・・。

(ドナウ運河起点付近)

ドナウ運河の起点まで行って運河の橋を渡り今度はクロイツゲルの街の斜面をぶどう畑目指して登る。朝日の中の閑静な家並みが美しい。見覚えのある墓の前を過ぎて急斜面を登りぶどう畑の入口付近で止まり今日はここまで。遥にまぶしいウイーンの市内を見下ろし、改めて息子にとっての自転車コースの環境は良いところだと思う。朝日の中、犬をつれた散歩の人がぶどう畑を歩いていく。ホテルに戻るべく石畳の道を駅を目指して下っていく。

ride 12.39km  0:54:30  13.6km/h  獲得標高101m 

https://strava.app.link/O9DCG607WEb

(ぶどう畑)

「葡萄畑にかぶれたにわか青年のように坂を登り来」

「いつかまた、呟き下る石畳ぶどうの畑よ、また会う日まで」

シャワーを浴びた後、奥さんとスーパーに最後のお土産を買いに出る。在宅勤務の私には実家以外特に買って帰る宛てもないがチョコレートなどそれなりに買ってしまった。10時半、大学の講義に行く息子と一緒に近くの駅まで行く。別れ際、感謝とお礼を伝え、抱きしめて体に気を付けるように言う。念のため、息子はウイーン空港までの乗り換えの注意と「体に気を付けて」と手を振りながら角を曲がっていく。娘殿、息子殿の元気な姿と現地での暮らしぶりを見るこという今旅の大きな目標はなんとか達成できた。もう私たちが、アレコレしゃしゃり出ておせっかいをする幕も多くはなさそうで、それはそれでいいことだけど。ホテルでスーツケースをピックアップしメトロU4でランドシュトラッセ駅まで行って国鉄のミッテ駅に乗り換えウイーン空港まで行く。ハイリゲンシュタット駅の前方2両目のドア付近に乗ると出発間際に白髪の色鮮やかな緑の服の老婦人が乗ってこられ我々に「日本の方?どこから来たの?」と話しかけられたので「はいそうですが、、オスロにオランダに・・云々」と答えていくと思うより延々と会話が盛り上がりこの旅で一番多く会話として英語をしゃべったような気がした。見た目が品良い老婦人は日本に友人(オガサワラさんとか・・)がいるそうで、今日は旧市街シュテファンプラッツ付近のヘアサロンに行くところ等々。その挙句、とうとう一緒にランドシュトラッセ駅に降りて国鉄乗り換えホームまで案内してもらい、最後に電車から手を振ってお別れし、何とも言えない出来事だった。

「鮮やかな色を着こなす欧州の老婦の姿は若く見えたり」

国鉄

空港で出国審査後、窓の外をみると雨が降ったようで滑走路が濡れている。15時にエミレーツ航空でドバイに向けて離陸し約7時間、黒海上空を横切る。蒸し暑さのあるドバイ空港は深夜にもかかわらず人が多い。先日イスラエルにミサイルが着弾したとニュースで知ったがアラビア半島の反対側の出来事になる。AM2時に成田に向けて離陸。なんとA380という大型機で空いてると思ってた席は意外にも航空需要が多いのか、ほぼ満席だった。この10時間はどうしても眠れずに苦しむ。仕方なく暇つぶしのエンタメを探すとワールドミュージックリストに日本人唯一で坂本龍一があったのでYMOやソロの曲を聞きつつ時間をやり過ごす。雲に覆われた成田に17:30に到着。睡眠不足ヘロヘロの上に長い長い通路を歩いて機嫌が悪くなる。見ると、混雑していたた搭乗客の9割以上は外国人で日本人の姿は少なく、シニアの山歩き姿のツアー男女の一行が目立つくらいだった。ほとんどが長時間フライトを厭わないインバウンド旅行者らしく、恐らくお安いことが人気のポイントか?入国審査後の長蛇の列の税関を抜けてクロネコにスーツケースを預け身軽になって最もコスパの良さような東京駅直通バス19:10に乗ると、なんと乗客は中国人ばかりでこちらもコスパにはうるさそうな感じ。アクセスの悪さで私は成田が好きではない。雨の降る成田から東京駅を経由し新幹線の乗り継ぎスムーズに22時台に岐阜に着くと空気がひんやりして、出発前が蒸し暑かっただけに季節は大いに進んだらしい。さてさて6時間後、明日の早朝から即仕事になると時差ボケも含め胃がおかしくなるほど気が重い。

欧州ウイーン行の3 Wiener Musikverein

早いもので明日の午後にはフライトなので1日フルに活動するのは最終日になる。ここまではロスも無く、てんこ盛りのスケジュールが無事消化できている。今日はホテル・ザッハに行って、そのあとMusikverein(学友協会音楽堂)で音楽鑑賞のあとベルベデーレ宮殿を回る予定。息子の案内は詳細で道順や交通手段のコツまでふくめ無駄がない。
9時にハイリゲンシュタット駅で明日の空港までの切符と道順など教えてもらう。9時半にオペラ座近くのホテル・ザッハに着くと早くも列が長く伸びている。アレレ・・これでも遅かったか。ホテルザッハの2か所のレストラン?喫茶?の1つは既に客が入っているが、もう一つはまだ開店前らしいのでそちらに並ぶ。こちらも案外みんな長時間並ぶのを厭わないらしい。通りがかりの若い日本人カップルが「何ここ?サッチャ(Sacher・・?)」と話ながら過ぎ去ったのはご愛敬。10時に開店すると客がそろそろ動き始めラッキーなことに私たちも招き入れられ窓際の席に通される。有名なザッハ・トルテのケーキ8.9€、コーヒー6.9€、約2500円のセットをオーダー。チョコレートケーキに杏ジャムが入り、横のクリームと一緒に食べることによって甘さが抑えられるらしく甘党の私は十分に堪能する。このお値段・・おもてなし・・とか日本の和菓子も外国人に対して良いものはもっと強気な価格でも良いのではないか??と思ったりする。

「クリームを添えて食べたるチョコケーキ「ザッハ・トルテ」の甘さと重さ」

Sacherを出て道路を横切りMusikverein(学友協会音楽堂)まで早歩きで向かう。ここはウイーンフィルのニューイヤーコンサートでお馴染みのホール。元旦夜のTV、こちらは昼に開催されるが最後はラデッキー行進曲で終わるやつで、ああこれがその場所・・と感慨深く見る。黄金の間というホールで今日はロッテルダムフィルの「ロミオとジュリエット」が演奏題目になっている。ビシッとした礼服みたいな恰好の紳士淑女もいるが気合の入ってない聴衆の私たちはお安い立見席で見る。TVで見覚えのあるホールは大きくはないがシャンデリアなど豪華さは言うまでもない。ロッテルダムフィルには明るくはないが、ホールでは連日切れ目なくコンサートが開催されているようで芸術を楽しむという環境の豊かさ感じる。但し、演奏中の携帯撮影禁止で何度もしつっこく注意されている目の前にいた中国の女性団のマナーの悪さが目立つ。

終わって外に出ると、少し小雨が降って来た。リンクの大通りを横切り昼食はナッシュマルクトという市場に行く。こちらは日曜日はスーパーやレストランも休むところが多くこの市場も半分くらいは閉っていて人は少ない。良くも悪くも営業日数で稼ぎを増やすような風習はないらしい。取り合えず開いているところに入り、2度目のシュニツエルを食す。小降りの中を傘をさしてベルベデーレ宮殿に向かう。ここは下宮と上宮があって相当大きいがシェーンブルーン宮殿というのはもっと大きいらしい。広大な庭の写真を撮りつつ、こんな広い庭の手入れはさぞ大変だろうと歩いていると芝刈り版のルンバが動いていた。上の宮殿と言いつつここはクリムトが有名な美術館でご多分に漏れず人が多い。ここも有名な「接吻」の前には人垣ができている。それ以外の作品もゆっくり見ていると、奥さんが「ない・・、アレがない!」と言い始める。確かにガイドブックによくある「ユディト」というのが見当たらない。息子が付近にいる係りの人に聞いてくれるとベルリンに出て行っているのだそうで、まあ今回は仕方なし。エゴンシーレ、クリムト印象派の絵などを一通り見る。

「不便でも日曜を休むスーパーの静けさに立ち豊かさ思う」

「抽象さ、きらびやかな金色は確かに違うグスタフ・クリムト

(上宮)

(下宮方面)


宮殿の後はトラムで西駅近くまで来る。今までとは少し違った雰囲気の通りを歩いていく。付近にイケヤなどがあるそうで街並みは少し新しいショッピング通りにみえた。息子の説明を聞きながら雨上がりの道を歩いていくと、一つの塔を指して「あれは二次大戦のドイツの高射砲陣地やった。今は水族館になっとる」ハウス・デス・メーレスというらしくその成り立ちからして風変わりな建物に見えた。ハイドンの家なども近いらしい。どこにいるのか全く不明だったがやがて見覚えのある美術史博物館、オペラ座などが見えてきた。夕食はその付近のイタリアンでとる。この旅は食事のオーダーやチップ心配など自分でやるストレスも無く大いに助けられた。街々を見ながら今日はメトロでなくトラムで帰る。年代を感じさせる白と赤のカラーリングの電車ははせわしなく止まったり動いたりを繰り返しながら進む。暮れてオレンジの灯りを反射する石畳を見ながら帰国前日を無事終える。

「どちらだかわからぬトイレのドアに立ちHerren(ヘーレン)男とまた聞き戻る」

(水族館)

欧州ウイーン行の2 LANGE NACHT DER MUSEEN

今日も午前中は二人で行動。中日の今日は少し遠出でバッファウ渓谷へ行くことも考えたが昨晩のぶどう畑ツアーで朝はゆっくり起きることにする。スーパーで買ったパンとコヒーを質素な朝食をすませ駅の停留所からバス乗ってシュタチオンというスタジアムの近くまで行く。道々古びたあまり美しくないマンションが並ぶ団地の中、ハイリゲンシュタットとは違い下町的な感じがする。但し、こちらの道が良いのは街路樹が充実していて少し色づいた木々と緑の芝生が雰囲気を保っていて景観や環境保全に対するコストのかけかたに、ある意味豊かさを思う。30分ほどでバスの終着シュタチオンバス停に着く。その近くにレンタルサイクルが並んであるので今日はそれでドナウ川を散策することにする。よくある京都のpippaみたいな乗り捨て型のレンタルサイクルでこれもスマホアプリで鍵を解除してスタートする。しかしスタート直後から道路の詳しい地図がわからず、すぐそこにあるドナウ川の土手に上がる道がわからない。交通量の多い道をウロウロすると後ろから奥さんの厳しい声が飛んでくる。右側通行、自転車道を走り歩道は走ってはいけない、しかし車の交通量が多くちょっと危ない。焦りながら老眼鏡を出してグーグルマップを見てやっとそれらしいルートを見つけて堤防に上がると例の自転車道が快適に伸びていて安堵する。遊覧船の船着き場をすぎて橋を渡ってドウナウ島という中ノ島に渡る。ここまでくると大勢の自転車がスイスイ走っているので迷うことはない。幅も広く舗装も立派、途中に障害もない自転車道路として実に羨ましい。時折風が強く吹く。ドナウ川は運河を含め中ノ島の両側、3本の流れがあることを頭にないとちょっとわかりづらい印象があった。

ドナウ川逆白波のその向こうぶどうの畑を今日は見あげる」

ドナウ島からまた橋を渡ってプラーター公園に向かう。ここもまっすぐに伸びた道が終点が見えないくらい長く、両側は栃の木が林立して美しいがこの栃の実が隙間なく落ちていて自転車のタイヤにとっては返って危ない。映画「第三の男」でも有名な古い観覧車と空中をグルグル回るスターフライヤーという恐ろしそうな乗り物が見える。約1時間半ほどで自転車を公園近くで返却。何はともあれ10年前のアヌシー以来の欧州自転車走行を記録。

ride 10.62km 1:01:41 10.4k/h 獲得標高20m 

https://strava.app.link/G7BcNzZ7WEb

午後15時に息子と落ち会うべくオペラ座に行くとモーツアルトに扮したコンサートのチケット売りのオッサンが多数おり見た感じも少し怪しい。以降は息子に案内してもらい、まずはカフェのゲルストナーでお茶休憩。運よく待ち時間少なく席に着けた。ケーキとメランジェというコーヒーを味わう。ここは王室ご用達店でリッチな雰囲気にして旧宮殿を使ってカフェにしている店らしいが1Fにあるチョコレート屋の1粒のお値段も驚くほど高い。この店には日本人が何人か見かけた。

少しお土産などを見つつ旧市街を息子の案内で見て歩いたあと裏通りの静かなフレンチで少し早めの夕食を取る。今日は「LANGE NACHT DER MUSEEN」でちょっと行ってみるか・・ということになる。LANGE NACHT DER MUSEEN。年1日、18時以降深夜1時まで15€のチケットで周囲一帯の美術館や博物館が入館し放題になる日らしい。懐具合に難儀する我々にとって超お得なチャンスには違いない。しかしそんな人ばかりなのか?マリアテレジア像の前の美術館には早くも長蛇の行列ができていてさすがにこれは無理、一応チケットは購入し裏側にあるレオポルト美術館は比較的列が少ないので30分程度並んで入る。ここはエゴン・シーレで有名、私は知らなかったが・・。

(エゴンシーレ)

続いて美術史博物館に入る。とにかく人が多くて館内の熱気で暑く乾燥して喉が渇くがボトルの水も枯渇してしまう。21時、特別とは言えこんなに人が多いのかと驚く。息子の案内で水を補給して最後は国立図書館へ行く。確かに古い本が蔵書されているが、古い本棚そのものより宮殿のような古い像や豪華な壁画で満たされて見ごたえがある。まだ元気そうな息子に「まだまだ他にもいっぱいあるやけどなぁ・・こんなもんでいいか?」と聞かれ、さすがに疲れもあって、こくりと首を縦に振る。夜22時、人出の絶えないオペラ座近くからメトロで帰る。量と言い、質と言い、規模と言いあまりにも膨大でこのおおよそ限られた時間で回るにはとても消化不良。そして年齢のせいか疲れ果てているのが哀れ情けない。LANGE NACHT DER MUSEENには大きなボトルの水が必須である。

「なんとなく屈折したる自画像のエゴンシーレの陰りに惹かれ」

「ウイーンの夜は更けども人みちて博物館の熱気に渇く」

クリムト氏)

(美術史博物館エントランス)

国立図書館



欧州ウイーン行の1 Sturm

朝、息子がホテルに来て散歩に出かける。近くのドナウ運河とドナウ川の橋を歩いてウイーンの旧市街方向と反対方向のウイーンの森を遠望する。運河や河川に沿って割と広い自転車道が整備されていてひっきりなしにロードバイクや通勤の自転車、ランナーがスイスイ通っていく。見ると道の看板にEURO vero6とあって足下の道は大西洋から黒海までヨーロッパを貫く自転車道とわかって大いにロマンチックで感慨深い。

「EURO VEROはるけき道の中に立ち黒海近くの戦をおもう」

(ドナウ川

自転車道看板)

講義がある息子と別れ、二人でまずは旧市街へ向かう。ウイーンでもWienMobileという交通アプリを入れて出発する。最初にリンクという旧市街に入ると屋根が緑、壁が白い統一感のある、多分由緒あるに違いない建物に囲まれて右も左ももよくわからない。ぶらぶら歩いて早めの昼食はケバブ屋で取る。こちらにしてはまだ安いシュニツェルバーガーとコーラで7€。欧州のカフェではタバコを吸う人が割と多いがこの店にはいない。そこから赤と白のカラーのトラムに乗ってリンクの中心に向かうと市庁舎、マリアテレジアの像などが見えたので下車。目の前にあったモーツアルトの像がある公園内を横切って王宮に向かう。ハプスブルグ家の時代からの建物の間を観光用の馬車が行き交う。王宮前ま観光客で混雑、そこから伸びる道々には高級ブランドの店がまんべんなくあって更に人が多く、どの人もマスクなどは一切していない。人種も色々で民族衣装の人もいる。進むとやがてシンボルのシュテファン教会前に出る。奥さんは約5年前にもウイーン来ているので私よりは詳しく色々解説を聞く。

「それぞれの人種も顔も集まりてシュテファン教会気温は高し」
「リンク内旧市街を説明す君の言葉は優越少々」

モーツアルト像)

10月にしては日差しも強く石畳の暑い街中を歩き回り、15時過ぎに息子と合流する。夕食はホイリガという郷土料理にすることになり、一旦ハイリゲンシュタットへ戻る。そこからトラムで数駅でウイーンの森と呼ばれる標高にして2-300mの山々の麓まで行く。麓の町は少しハイソな感じの住宅街で石畳の道の両側は大きな家が続く。坂道を登っていくと道幅が狭くなり家並みが切れるところでぶどう畑が現れる。この辺がウイーンの森の麓の白ワインの産地らしい。息子の案内でぶどう畑のなかの土の農道を登っていく。木にはまだ小さな緑のぶどうの房があって、そのまま食用にはなりそうにない。田舎道を同じように歩く人がゾロゾロいてやがてぶどう畑の中で大きな歓声が聞こえてくる。発酵し始めでワインになる前のSTRUM(ストルム)を飲む酒盛りらしく、日本の花見みたいなものか。シュトルムを売る小屋があって周囲に折り畳み椅子に腰かけて大勢が談笑している。ウイーン市内が見える頂上に近いところに場所を取り息子がストルム購入。赤く暮れていく空とドナウ川にウイーン市内の灯りの明滅は夜が深くなるにつれ美しい。そこそこ冷えてきても半袖半ズボンの人もいて感覚がわからない。下戸の私は酔っては帰りが辛いので半分くらいでやめておく。帰り道、話しかけてくる夫婦がいて東京に5年ほど住んでいたとか、息子が会話する。やがて完全に陽が落ちて足元が暗いので用心して下りる。街に下った丁度そのあたりはベートーベンが住んでいたグリンツイング地区で、民家風のホイリゲレストランが多い場所だそうだ。古く重々しい木戸のある民家風の一軒のホイリゲに入る。屋内は盛況で満員、屋外のテーブルになる。ウイーン郷土料理はサラダと肉料理でまずまず美味しい。息子曰く「これがウイーン料理のすべてやで」。世界遺産の旧市街とは違ってがぶどう畑の丘登りとシュトルムは普通の観光とは違った味わいがあった。

「君と来しぶどう畑の坂道はウイーンの森の消えない記憶」

(ウイーン旧市街方向)

(STRUM)

 

欧州、オランダ行の2 Kinderdijk

昨晩の就眠はさすがにが遅く、朝はゆっくりのスタート。外は曇っているが予報は悪くはない。今日は列車でロッテルダムに向かい世界遺産キンデルダイクの風車群を見に行予定。順調なら見終わった午後に少し時間に余裕があるのでロッテルダム市内かハーグにでも行くことにしていたが、昨日のこともありオランダ国鉄に対する不審の念もあり、早く戻って来ようと考える。息子曰はく、「最近欧州の国鉄は遅延やキャンセル、ストなど不安定なことが多く、日本のJRは神や」という話が身をもって理解できた。チケットはNSというオランダ国鉄のアプリで購入する。こういうところは妙に進んでいて結局キャッシュを使用することは無い。スキポール駅9:30過ぎの列車に乗りロッテルダムへはICEで30分少々で直行する。車窓一面に緑の平原と牧場の牛や羊に運河が続く。道路脇には背の高い木が茂って風よけになっている。10時過ぎ、ロッテルダムに着き駅で南ホランドツーリストデイチケットを購入。これで全ての交通機1日を乗り放題。アムステルダム駅の旧市街の雰囲気と違ってロッテルダムの駅前は近代的なビルが多い。

まずはトラム23番に乗り終点まで行きバスに乗り換える。郊外の田舎のバス停は少々心細いがしばらく待つと赤いバスがやってきた。路線バスにしてはバス停の間隔が長く高速で走行する。やがて車内は我々と白人の夫婦だけになり大きな川を渡るとキンデルダイクの停留所でその夫婦も下車する。川の堤防道を歩くとガラス張りのビジターセンターがありまずは昼食をとる。室内の一角にはカラフルな伝統の木靴の置物があった。両側が運河になった堤防を歩き始めると最初の風車が近づき写真を撮る。ほとんどの羽には帆が張られておらず止まっているが数台の風車は回転している。風がそこそこ強く堤防横の葦が揺れている。回転する風車まで来ると、それは風車博物館で入場料が必要なので外からのみ見学。近くで見ると予想以上に大きく風切り音を立てて回っている。本、司馬遼太郎氏のオランダ紀行を思い出す。キンデルダイクは「赤ちゃん堤」の意味で、風車守の生活についても書かれていた。風車の中は生活空間で外には白い洗濯物のシャツが吹く風にはためいている。ヒッチコックの「海外特派員」という映画で悪党の隠れ家として風車の中がが出てくるが、揚水ポンプや製粉など18世紀から続く風車守の生活も見てみたい気がした。再び歩き出す。風車は同じに見えてデザインの変化が所々にある。運河が分岐する地点まで来て、もう一つ左側の運河と右側の水位が微妙に違ってることに気づく。一列に並ぶ壮観な風車群を写真に撮ってきた道を引き返す。

「自撮りにはいまだに慣れぬわれらでも風車をバックに若者になる」

「まわる羽根とおりすぎ来し風ならば我の肺にも空気を満たす」


(水面の高さが違う)

自転車やカナルホッパーという小舟で運河を遊覧するツアーもあってバスで一緒のだった老夫婦は船に乗っているのを見かけた。ここでも旗を先頭にした30人くらいの団体客がゾロゾロと2つ3つ集団で歩いている。往復で4キロ程歩いてビジターセンターに戻りコヒーとアップルタルトで休憩し、土産など購入する。珍しく奥さんも自分用にお土産を買う。帰りは往路とは違う水上バスで帰ることにして乗船場に向かうと船着き場近くに羊がいる。水量が豊な大河はライン川の支流か?下流からリバークルーズの薄く長細い優雅な姿の船がやって来る。やがて水上バスが到着し先刻の夫婦も同じく乗船してきた。割と早いスピードで貨物船と行き違いながら下流ロッテルダム港に向かう。護岸は自然に配慮された石積みでオランダ紀行に書いてあった通り。1時間弱で美しいErasmusbrug橋のたもとの港に到着。近くからトラムに乗って斬新なデザインの建築物が多いマルクオハルというマーケットに立ち寄って観た後、近くの国鉄駅から直接スキポールへ無事に帰り着く。

「一列に並ぶ幾何学風車群キンデルダイクの大地を干かす」

「団体の観光客の後方はあらかた疲れた年寄り多し」

(チケット検札)

 

(Erasmusbrug橋)

次の10月5日、ホテルをチェックアウトし朝アムステルダムに向かう。ウイーンへのフライトは17時なので15時までアムステルダムの市内を巡る。中央駅から涙の塔、ダム広場、王宮広場を見る。ダムはアムステル川を堰き止めたダムのことで街の名前の由来でもあるらしい。王宮横のデパートの最上階にビュッフェがあり、そこで朝食を取る。オスロの王宮もここの王宮も建物近くまで解放されて近さがある。チーズの店、アムステルダム大学を覗いて運河沿いを歩きマへレの跳ね橋を見て中央駅に戻ってくる。中央駅の反対側は港に面していて開放感があり、見ている前を汽笛を鳴らしながら大型客船が今日も入港してきた。しばらく休憩し14時、国鉄でスキポールに向かう。

(ダム広場)

(マへレの跳ね橋)

アムステルダム港)

17:15発KLMエアーは約2時間のフライトで19:15ウイーン着。空港で迎えに来てくれた息子に会う。そこから、歩くのが早い息子についてスーツケースを引いて、国鉄からU4地下鉄に乗り換えてウイーンの西辺のハイリゲンシュタットのホテルに到着。