満中陰、谷汲花立峠周回54km、諏訪哲史「スワ氏文集」読了

喪の期間を経て2月月末に父の満中陰、いわゆる四十九日の法要行う。僧侶の読経に合わせて初めてお経を流し読んだが漢字ばかりでもそれなりにニュアンスがわかる。読経後、僧は一連のしきたりや法要について解説を含めで説明された。満中陰で往生し、あの世に旅立ことや、1回忌などの日数の数え方など関東、関西の習わしの違い諸々、私は知らなかった。兄の話では、あれこれ役所の手続きなどやることが山とあるようで、この日の準備を含めて落ち着く暇もないようで兄夫婦に対し申し訳なく思う。この日も、穏やかに晴れて暖かい。近所の寿司屋で昼食後、母に別れを言って姉夫婦の車で姫路駅まで送ってもらう。一連、努めて質素な葬儀でもそれなりの出費がかかることを知り、せめて私どもは周囲現役の家族に面倒、お世話をかけないようにしたいものだと、車窓には幼い頃に連れて来てもらったたことのある須磨浦の明るい海を眺めつつ思う。

「須磨浜のかの日かさなるまぶしさを辿りて走る湾岸電車」

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(姫路駅前)
コロナワクチンブースター接種を先週土曜に打つ。今度はモデルナ、夕方16時に市庁舎で打ってママチャリで降りだした霙の中をギコギコ帰って来るとその2時間後には目の前に星が回り始めて布団の中にダウン。「ファ、ファ、モ!は一番酷いパターンと皆言っとるね」とは娘の言葉、効果テキメン二日ほど熱が下がらず月曜日は有休にする。本朝、清水川沿いを散歩、梅の花に来たメジロを撮る。朝の光のせいでくっきりとは撮れないが冬もようやく終わったか。

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(朝日の左に恵那山)

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メジロ

喪明け、ワクチン接種後で自転車に出る。西北の山は未だ多くの積雪で白いのでせいぜい近い山の谷汲から大谷スカイライン方面に出る。昔はよく来ていたがここ1年以上は来ていない。寒いと思って長タイツ、長袖だったが道路の温度は20℃でむしろ暑い。なんとか花立峠に登って見ると遥か岐阜市内に4本のタワーが見える。また1本増えたのが建築中の36階建てでその他マンションばかりがニョキニョキ増えている。実際市街を走ってみると販売中看板をよく見かけ入居開始後も長く広告も下げていない。単純に売れ行きの問題よりも供給過多、または相当に値段が高かくなったと推察する。今年初めての山岳コースを約3時間で無事帰宅、サイダーで一服。
53.78km 2:54:29 18.5k/h 獲得高度319m
https://strava.app.link/5pfFeSBYzob


諏訪哲史の「スワ氏文集」を読了。これは新聞、雑誌のコラムをまとめたもの。ずいぶん前に、新聞にちょっと面白いコラム欄を見つけ好んで読んでいたのがこれで、突然無くなって残念だった。その当時も、今も関心を持って読めるのは、この地方の老人言葉を何ともユーモラスに解説されているところ。「ええ日んなったね」「ほおだなあ」「あんれまあ、風つよにゃあか?」「そんなことありゃせんて」「よお降るなも」「ビタビタだわ」「でえれーえれーげー」など基本形。義父母からこの方言を初めて聞いた時は驚いた記憶がある一方で、販促の電話対応によくこの手の言葉を使いアホらしい笑いを誘って穏便にお引き取り願う実用性もある。若者の言葉編、「だよねー、つかー、そんなの知らねーしキョウミねーし、かなりひく萌ギャグかましてくっしー!」「この羊羹うめーし」「チョォー激眠」など用法が理解しやすく書いてある。他方、東日本震災後のコラムでは、勇気や感動や元気を与える的な記事を安易な「無被災者病」とシリアスな指摘もあり、約10年前のコラムにして現在も通じる内容が多いと思う。多彩な文体を用いられる著者の小説を読んだことはない。ただ、ひたすらユーモアな随筆も必死を絞り出すような真剣さで執筆されているものと北杜夫氏が書かれていたのと同じく想像しながら読んだ。

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節分、干支の交代前後 ひろゆき氏「シン・未来予測」読了

1月下旬、父は他界した。数年前に腰を患って以来、痛みを伴い歩行も不自由になって老いが急な勢い進んではいて、昨今のコロナと姫路との距離の間で往来思うにまかせず突然のことになった。96歳に近かった父に実家でこの元旦に会ったことがせめてもの事になる。近年には珍しく厳しく寒いこの冬にあって、家族だけによる葬の数日間は不思議と寒さが和らいでいて、火葬場から母を先頭に兄姉とともに出た時、少しまぶしい青い空を見上げて悲しみの中に何故か救われたような気がした。久々に兄、姉の夫婦家族一同が会す。会えば子らには死ぬ際まで迷惑かけられんと口々にしていた父母を思い出し、やがていつかは来るであろう自身にも訪れるその時のこと、その後思うこと多々。

「弱々く歩める母に抱かれて骨壷ひとつ変わりたる父」
「悲しくも「よく生きたよ」と見上げれば雲おだやかに空を流れる」

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節分は普段通りに干支の交代。相変わらず時間が足りない慌ただしく日々に埋もれ、週末にも用事が続く。この3連休は娘の社宅引っ越し手伝いで横浜へ行く。引っ越しそのものは会社ぐるみで委託された大手の業者がやってくれるものの、引っ越し先の寮に不要なものを引き取るのと粗大ごみの廃棄を手伝いに行く。ところで、本来は車で行く予定が前日の雪で首都高速通行止めのアナウンスもあり車はスタッドレスを履いていないので作戦変更、ここは割り切って新幹線で行く。まだ使える大きめのものは娘の持っている大型スーツケースに入れて持ち帰えることにする。最後に力仕事が残る。11日の昼から始めて荷詰めと廃棄、そのままの調子で12(土)。この日は暖かく天気も良いので、作業を早めに切り上げ鶴見周辺のメジャースポット?らしい海芝浦駅を見るため夕方17時に鶴見線で出掛ける。以前からこの駅に行ってみたかった私としてはこれが最後のチャンスでもあった。この駅は川崎の臨海工業地帯の海の上にあるので工場夜景と海の風景が楽しめるらしい。偶然にも絶好の空模様で、娘も奥さんも携帯カメラで撮りまくっていて、奥さんのモチベーションが高さは私の予想を越えた。東芝の工場とその前にある小さい公園しか行くところ無いのでブラブラ40分ほど過ごす間に日没は夕焼け、焼け返しとなって深い紺と朱色に染まる。向かいのJFE溶鉱炉からかフレアという煙突から炎が出た時はこれぞ工場夜景の真骨頂だったか。飾り気もない駅のホームには結構な老若男女がいて、ここはかりそめならぬカメラで撮影スポットになっている。見るからに昭和的風景で寂れた感とわびしさが、こと日没とともに照明の灯りが海面に揺れる夕刻になっていや増しに増して心惹かれるものがあった。

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(工場煙突のフレア)

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次の朝、9時から始まった荷出しは礼儀正しく丁寧な業者さんの手で40分で積み込み終わる。鶴見川多摩川を渡って目的地の小田急沿線までは聞けばトラックで約40分と意外に速いので娘は荷入れのため早々に寮に向う。気は心程度に掃除をして部屋を後にする。駅までの歩道上の足下に東海道であったと言うマークに気づいて見ていると、パラパラと寒い雨が降り出す。午前中には荷入れも終了した様子で寮の写真などがLineで届く。

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ひろゆき氏「シン・未来予測」。別の本を並行で読んでいるが奥さんの借りたカラフルな本が机に置いてあったのでパラパラと開けて見ると遅読の私にしてはスーっと読めるので何度かゲリラ的に拝借して速攻で読了。あまり役に立たないと思うからに、この手のハウツー本に属するような本は全く読んでいないが、ネットで有名な氏の意見をまとまった形で一気に知ることは出来て意味があった。プログラミング教育や老化と人口減少の問題、二極分化など、ガッテン、なるほど思うことなど多いが概ねこの国の未来予測として厳しい内容が示めされている。問題は、わかちゃいるけど手がつけられないのでそのままに・・政治的なスケールの問題でもあってあって何ともならず、個人の範囲としては出来ることに備えましょうという風に読めた。「私の借りて来た本を勝手に持って行くな!」お叱りを受ける。

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越年諸々、走り初め犬山往復50km

コロナのオミクロン株が増えている年末年始を無事に終えるた。一昨年9月以来約1年3か月帰国していない息子は年末にむけて留学先から一時帰省する予定だったのでこちらもそのつもりで準備をする。予定は12月初に帰国し1月初旬に離日するというもの。オミクロン株が燻り始めたのでその間の検疫水際対策強化方針などが日々変化するのでその点での対応変更はあったものの概ね無事終えることができた。羽田に到着し通関後そのまま強制隔離で神奈川県のホテルで3日間を過ごした後、再度羽田で解散となるところを私らが羽田で自家用車でピックアップに行く。少し暗く人気まばらな第三ターミナルで再会しそのままトンボ返りをして自宅で自主隔離をさらに11日間というもの。同飛行機乗者に陽性者が出ると強制隔離となるのでそのこと含めて運、不運にも左右される。奥さんともども在宅勤務となり広いとは言えぬマンションでの缶詰が当初は息詰まるものと心配していたが意外にも3人の巣篭もり生活は留学先土産話など話すことが多く、退屈知らずアッと言う間に過ぎてむしろTVなどで暇をつぶすこともなかった。「強制隔離の缶詰ホテルで出る弁当は意外と良かった」とか生活や友人の話、お互いに食事を作ったり、むしろこんなに長く一緒に生活する時間は今後においてそうそう作れるものでもなく良い機会になったと言える。寒に風呂上がりのパンツとシャツ姿を見て「体冷やすな」と言えば「あっちは-9℃や、ホンマ日本は暖かい天国や」とのこと。11日間めでたく自主隔離が終わった後は金華山に自転車で行く。小春日和の美しい空の下、久々の走行で年長者を気遣ってもらいながら登坂する身は何とも面映ゆいが嬉しさがある。結局これが私の走り納めになった。

「自転車に乗りて跳ねつつ吾を待つ君は笑顔で峠の上に」

28日に娘も帰って来て久しぶりに家族が揃う。元気そうではあるが大変忙しいようで残業と言う時間の仕事をそれなりにこなしているらしい。二人はそれぞれ大いに多忙であっちこっちの友人と何件もの会合で連日家を空けたが大晦日の夜は4人揃って私がニシン蕎麦を作り年越しそばを食す。この日大雪となり元旦に折角4人で行く予定だった姫路への帰省は車を使えず断念。今の車にしてから雪なら乗らないと割り切ってスノータイヤを不所持で今まで困ることは無かった。物理的に簡単には会えない息子と私二人で新幹線で姫路に向かうことにする。元旦、関ヶ原から滋賀南部まで白く雪に覆われているのを見ながら帰省。老いの目立つ、数年ぶりに既に記憶があいまいになりつつある父母に会う。帰路、姫路城を息子と見学。寒いながらも観光客がそれなりにいる。姫路駅では懐かしの「えきそば」を食し満足する。残念ながら元旦は明石焼きは休み。帰りは在来線で息子は京都で途中下車し清水方面へ行ったそうだ。私は京都駅からそのまま帰岐。二日は伊奈波神社へ初詣、久しぶりの4人の行動。プレリュードという洋菓子屋でケーキを買い昼後に私が豆から挽いて淹れたコヒーと食す、美味なり。疲れ気味で午眠をとって寝ころんでいると娘の弾くピアノと母と息子の笑い声が廊下伝いに聞こえてくる。家族として最もエネルギーの強かった頃、その様子がよみがえり懐かしい。もちろん姉と弟はまさに青春のエネルギーに満ちているが。3日夕方、娘は横浜に戻る。正月明け息子も免許更新など予定を済ませて岐阜を立ち娘の部屋で一旦デポ、帰路は成田から出発する。当日、フレックス勤務で成田まで見送りをしてくれた娘が撮った写真が送られ「そうそう帰って来れんから今度は来てくれよな」と言い残し離陸、14時間その日の夜留学先到着。今回は自分の自転車を持って行くべく積みこんで輸送して行った。

「三度目の旅行に来いよと口にして慣れた足取りゲート(通関)をくぐる」

「あまりにも多く短くあり過ぎて切ない記憶をあれこれ辿る」

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(自転車ケース)

 

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金華山晦日

多忙で慌ただしく、1カ月前のことが思い出せないような一時期が終わり部屋は滴の音も聞こえるような静寂に包まれる。随分と長い間、よくこんな狭い所に四人で押し合いへし合い、ネコ団子の生活をしていたものだと思うが二人だけでは空間を広く感じる。最近は教えてもらうことも多くなり、「ふだん履きの運動靴がすり減ってダメや」と言うと「あっちではこれが流行っている」と息子が紹介してくれたので即決ネットで確認して購入する。実物が予想外に落ち着いた色でもっと明るい色にすべきだったと思ったものの履き心地はグッド。曰く「同じような年代の人がカラフルな服装で皆この手のシューズを履いて颯爽と川沿いをrunやwalkしている」らしい。娘、息子から教えられること、アドバイスが適切な事が多く老いては若者に従うということがまんざらではなくなってきた。

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(オンランニング)

成人の日、3連休中日、走り初めで犬山成田山を往復。暖かくはなかったが風は弱くまだマシ。相変わらず業務も多忙で正月中も暇を見つけてkeyを叩いていた。海外に比べ祝日が多い日本は本当に勤勉で働き過ぎであろうか?と思ったりする。5℃以下でも大丈夫なウインドブレークジャージ上下にマスク、シューカバーと自身としてmaxの防寒対策で出発する。加納の中山道から各務原を抜け木曽川の橋の上で伊吹山が白く見える。渡って左岸は上流に向かって走る。江南治水タワー付近は人出は多く用心しつつポタリングの人を抜きながらしばらくすると後ろに誰か付いていることに気付きましたがそのまま走行。治水タワー過ぎたところで横に並んできて「オレ、何歳に見える?」と聞いてくるので「エー、何??」と速度を落として聞き返すと「80歳だぜ!」とノーマスクで笑うので「元気すぎです、スピード違反ですよ」と返すとその人は笑いながら下がっていく。「なんや交代する気ないんか!」と立腹しつつ走行。CRから堤防道路に上がって白帝城と呼ばれる犬山城下を抜けそのまま成田山まで登坂。お祓いの車で結構渋滞しているのでゆっくり登って本殿後ろの自転車ラックの隙間に自転車を掛ける。私の10万そこそこのとは違い皆さん30万円クラス以上の高級自転車ばかり。今日は成人の日と気づいたが晴れ着姿が犬山城の前でも多かった。帰りは木曽川橋までCRを走り笠松を通って帰宅。夕方、岐阜にオープンしたGAINTショップに行くと目立たない辺鄙な所にあった。奈良のGAINTは住宅街の真ん中だったのでちょっと意外。TCRの105コンポのカーボンフレームで30万オーバーとは私の感覚より5万ほど高く物価高騰しているということらしい。ヤレヤレ、シマノのコンポが不足して完成車も不足しているようだ。

50.97km 2:28:43 20.6/k/h 獲得標高190m
https://strava.app.link/W777rLA5Fmb

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(伊吹遠望)

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犬山城

ピロシキの鬼、越前行、石沢麻衣「貝に続く場所にて」読了

先週実家の姫路に帰る。ワクチン接種と連続した緊急事態宣言明けを待って約1年半ぶり。時の経過、老いは抗いがたく前回顔を見た時よりも父母は明らかに老いていた。施設の話も出ているがまだ調べ始めたばかりで老老介護の現実を目にする。「もう日に日に一日のことしか考えられん」と母の話を聞くと悲しみと感謝似た感情あり。他人事でもなく自身、長生きするということの意味をその姿から考えさせられる。兄夫婦とその他諸々を話し、特に兄もやっている自転車の話題になって新しく買ったロードバイクを見せてもらう。バッソというなかなか渋いブランドだった。14時に辞して姫路駅の地下で明石焼きを食す、懐かしい。ついでに、まねき食品の駅そばも食す。これも美味、少々食べ過ぎ。ピロシキを買うため三宮で途中下車。奥さんに言われていた三宮阪急の地下でピロシキ屋を雑踏の地下街を探し歩く。過去何度か来ている所でも忘却のせいでで迷いつつやっとのことで発見。いつものように結構長い列の後ろに着き、買っていく人の様子を観察しながらまんじりと待つ。一人前も同じく独人で買いに来ている男性で黒い背広にコートのフォーマル姿、腕組をしてじっと考えているような風。だんだん順番が来るに従い、その人の顔が赤くなっているようで、酔っているか?もしや風邪でもひいているかな??と思っていたら「全ての種類、二箱分づつお願いします!」充満していたものがはじけ飛ぶような力強い注文。凄いビッグオーダー、6種類以上だったか、揚がったピロシキはトングでガッサガッサと8個入り箱に詰められていく。包装するだけでも相当に時間を要し列はいよいよ長くなる。後ろのご婦人も少し唖然として見ておられ、ますます赤くなった男性は万幣を2枚出して支払い早々両手に紙袋一杯のピロシキを持って足早に立去った。ああ、ピロシキの鬼のような人や・・大人しく季節のお徳用箱1個を買って帰る。自身も奥さんに教えられて知ったロシアのおやつピロシキはもう少し流行っても良いような気もするが店は少ない。

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本日、義父母が行きたいと言われていた越前カニ祭りに出かける。この祭りは漁の解禁を祝ってか11月の週末にやっているらしい。もっともカニ好きの私のためということでありがたくコロナが落ち着いていることで出掛ける。天気は小春日和、朝7:30に出発。高速を下りて敦賀から潮風ラインという海岸道路で約1時間道の駅越前に9:30着。既に駐車場は満車近く県外ナンバーが多い。横のワンボックスはコンロに火をつけて鍋をやっているのは和泉ナンバー。越前ガニとセイコガニを買い混み合っている会場を早々に出る。越前灯台に立ち寄る。この時期、人気は無く急坂の上、白い灯台の向こうに日本海は深く静まっている。風に吹かれている水仙を花が趣味の義母が見つけて数本摘み取る。敦賀へ引き返す。ずーっと続く海岸は山が海岸までせり出てきて急な断崖になって切れ落ちる。なかなか地形的には厳しく、まして冬の厳しさは曰んやをや。漁村、温泉、北前船の館などの沿道を通りながら敦賀に到着。義父母が正月向けの数の子を買うため、「お魚市場」で買い物に付き合う。よく見るとここにも目玉商品として並んでいる越前ガニは値段が安そうで、ハテこれははモノの違いか?昼食は敦賀駅に近い「弥助」という義父が来たことがある寿司屋に入る。ご主人曰く「越前カニ祭りはね・・観光客目的なので安くはないですよ!今日あたりは敦賀の方が10%以上は安いね~」とのことで少なからずがっかりする。寿司屋の前の道路に何故か、宇宙戦艦ヤマトのモニュメントがあった。聞くと道路の反対側は銀河鉄道999のモニュメントがあるらしいが松本零士とは縁もゆかりもないそうだ。一路岐阜まで、何はともあれ義父母は久しぶりの遠出に満足された様子で15時着。

「冬を待つ北国ふかき海の蒼小春の傾(なだ)り水仙揺れる」

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帰宅後夕方にrunに出掛ける。柏の杜公園から金華山DWまで夕暮れの街並みの灯りが美しい。山道は真っ暗なので首に下げたライトを点灯して下る。
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f:id:azutatsu:20211219092638j:plain珍しく文芸春秋を買い石沢麻衣「貝に続く場所にて」読了。今年の芥川賞作品。ドイツ在住の作家、ドイツの町が舞台ということで興味があって読み始めたが大苦戦、トータル3か月を要す。純文学的な文体もあって、表現が観念的でもう一つイメージが自分の中ではっきりしなかった。夏の時期、街の明るさ、森の暗さ、出てくる幽霊の意味も何故か全体がぼんやり感じてクリアにイメージできないところが苦戦の原因か。TVの映像でしか東北震災を記憶していない私にとって描かれている記憶の部分も、幽霊になって現在によみがえるところの関連性もクリアにならず読んでる最中も読後も淡いままにメッセージ性も少なかったように思う。寺田という人が幽霊とわかるが、もしや寺田寅彦のことでは・・?と思いながら読んだが当たったことと、ゲッチンゲンの惑星の小径というのが意外に面白そうとわかったことが収穫と思える。読後に受賞者の言葉、受賞者インタビューでそれなりに本編のひも解きを読んでも消化不良的な印象は変わらず。

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三浦半島、横浜巡り行

緊急宣言が解除された。あまり遠出もできず、前から娘の様子を見に行きたいと奥さんが言ってたので再発せぬうちに早々に出掛けることにした。物事万事、様子を見てじっくり落ち着いてからやろうという慎重さより期を逸せずタイミング良くやっておくという考え方で立案。金曜日の10月15日は奥さんも私も有休を取って出発し2泊は娘ともども横浜山下公園前にあるホテルで過ごし私は帰岐、奥さんは娘の部屋(鶴見)でもう2泊して帰って来る予定にする。そんな話をしている数日前に、娘が2月に新築される世田谷の寮に引っ越すことが決まったので横浜近辺をゆるり散策する機会もそうあるとは思えない。
当日、早朝に出発し名古屋、朝6時台の新幹線で東上。横浜駅で大きな荷物を置いて軽装になって北鎌倉駅に向かい鎌倉の山越えと江ノ電沿線のいわゆるゴールデンルートを観光する。場所柄、本音を言えばもう少し若い年代で来るべき所かもしれないが50代でもそれなりに楽しめるものに事欠かない。北鎌倉駅、大勢の人が降りて賑わいあるが制服姿が多い。駅のすぐ横の円覚寺北条時宗の廟所とあるが、その脇に何匹かリスが木々の中で動いては鳴いているのが気にかかる。ケケケと聞こえるリスの鳴き声をマジマジ聞いたのは初めて。ここからは、大仏ハイキングコースを歩いて行くがこれが予想外の悪路、木の根やすり減った岩が普通の靴では何とも厄介。源氏山公園近くから長谷の谷(やと)に下る際に奥さんは足が滑べって腰を強打してしまい痛みで動けずしばらくじっとする。いやはや、何人かは歩いてはいるがメジャーな観光コースとは言えないような山道に思う。奥さんの回復を待つ間にも無神経なケケケとリスの鳴き声が響く。その後はゆっくり大仏まで到達。晴天で予想外に暑い。修学旅行、遠足の生徒が多く賑わいは結構なものに見える。宣言解除で一斉に学校行事が始まったようで卒業写真に必要なのか先生は生徒の間を撮りまくっている。

「宣言の解けた合図で堰を切る北鎌倉は遠足の波」

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腰の打撲の痛みが少しは引いていったということで長谷寺から御霊神社を巡る。私は3年前に来た場所でもある。前に比べ歩幅も歩速も小さく歩く奥さんの姿を気の毒に思いつつ狭い路地をゆっくりついていく。無理はいけないのでここから移動は電車中心で江ノ電フリー切符を使い七里ヶ浜まで行って海岸沿いのカフェで休憩。おお、サーファーが何人か波間に浮いている。ここではサーフィンは身近な馴染のスポーツらしいが相当難しいのか長い時間波を待ってチャンス到来乗るのは一瞬だけで即、砕ける波にのみこまれていく。テーブル前にブロンドの女性が海を見ながらフランス語で携帯で話していてこの光景なんぞいかにも湘南ぽいところか。鎌倉高校前と稲村ケ崎を少し歩いて鎌倉駅へ戻る。夕暮れの人の多い若宮大路に出て「三浦半島記」で読んだ段葛(だんかずら)を実際に見る。確かに異様な道でこれが800年前の土木工事で出来たもの、というのに感心しつつ帰路の鎌倉駅に向かう。夜、ホテルに着いてから中華街にて湿布薬とパイナップルケーキを購入。21時を回って勤務を終えた娘がホテルに合流、元気そうでなにより。おおよそ週の半分を在宅と出勤を繰り返しているらしい。

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七里ヶ浜休憩)

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(鎌倉高校前近く)

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若宮大路、段葛)

翌日は曇り。奥さんの腰の痛みは和らいだということで朝はゆっくりスタートし娘の案内にてバスに乗り三溪園を巡る。原三溪は岐阜の柳津の人だったらしいが郊外の田舎にこんな人がいたとは驚き。京都の寺や家屋を移設した純日本式の庭園で印象としては後楽園にも似ているように思った。午後、元町に戻り、台湾スイーツの豆花を食す、やはり美味しくもっとメジャーになっても良いように思う。人出は多い元町の通りから山手に上って洋館を見ながら港の見える丘公園に行く。娘が言う通りにバラが見ごろを迎えて素晴らしい。しかも無料で多くの人がバラ園を散策して写真を撮っている。中には本格的なカメラマンらしい人が犬と飼い主にポーズさせて撮っている。名前になっている港の光景は工業地帯にしか見えず、その中に何やらガンダムらしいものを見る。最近出来たちょっとしたテーマパークらしいが娘曰はく、「外から見るだけ十分や」だそうでアムロになるまでもないらしい。少し戻ったエノキテイという洋館でコーヒー休憩しホテルに引き揚げ夜は中華街の重慶飯店、まずまずの一日也。

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(豆花)

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(バラ園)

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三日目、日曜は朝から雨。余裕を持ってゆっくりチェックアウトし娘の部屋のある鶴見へ向かう。ふーむ、車窓から新しく出来たロープウエーのゴンドラがちらりと見えるが、確かに珍しいがどの程度良いものかはわからず?昼食を部屋で済ませ、電車を乗り継ぎ青葉台の私の親類のお宅にお邪魔する。実に久しぶりにお会いし、お元気そうで私の娘と同世代の娘さんふくめ、かなり大きな犬に驚きつつ約2時間のお茶は色々な話題で過ごすと意外にあっと言う間に過ぎた。4時過ぎに失礼し十日町駅まで送っていただく。新横浜駅で下りて上層階で少し早めの夕良。イタリアンのアマルフィと言う名は確か七里ヶ浜のカフェと同じ名前でチェーン店なのか?わりと混んでいた。ここで奥さんは娘の部屋でもう二泊するので私は独り帰岐。
鎌倉の段葛など読んだ「三浦半島記」の予習効果は十分にあった。隅々までとはいかないまでも鎌倉から江ノ電、横浜のメインストリームはい行けたような・・。やはり鎌倉は奈良、京都のことを思えば範囲は狭く個々の社寺も規模は小さいと思うが、長谷観音や銭新井弁天などちょっと違った味がある。もっとも大きな違いは、森の中で陰に佇む寺社にしても、ここは南に向いた海岸にほど近いという意識もあって光や風に何気ない明るさを感じることのように思う。しかし、あの大仏ハイキングコースの山道の悪さはいただけない。歩幅ふくめて岐阜の金華山でももう少し道が整備されているように思う。

「階(きざはし)を登り返れば汐の香のかぜは社を吹きぬけてゆく」

百ヶ峰周回(330m)、司馬遼太郎「三浦半島記」読了

岐阜も朝晩は涼しくなってくる。早朝、散歩に出かけるときに丁度日の出の時間になり朝日が美い瞬間がある。周囲も殺風景なビルが増えている。市中心に人口を集めると言っても建築中のマンション数は明らかに過剰な気がする。

 

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在宅勤務で10時間ほどPCの前にしていると目の疲れに劣化を感じる。先日、スーパーでこの季節らしい岐阜の和菓子「栗きんとん」を今年の初物として買う。奥さんと一服して和菓子をいただく直前に「おかしい、違うぞこれは!」とのたまう。確かに口にすると栗きんとんにしては妙に粘ちっこく、よーく見ると包装にはくずした書体で「芋きんとん」と書いてあるらしくあらぬ嫌疑をかけられこっちも立腹する。確かに栗きんとんにしては異様に安かった。万事、細部が見えづらくなって来てスマホの画面の文字も厳しい。このままいくと騙されてもわからなくなりそうで老人がipadを持ち歩いている気持ちがわかる。再び仕事多忙。中華圏の需要が多いようで、雨後の筍、聞いたこともない名前の会社からの問い合わせが多い。それなりのコストが必要にもかかわらず世界最大のファンドリーのテストチップサービスも受付即満杯で相当に活況、明らかに邦会社よりも攻撃的。遅ればせながら感もある日本の所得水準や購買力が停滞していることがニュースで出てくるようになった。物価が安いと2年ほど前に来てもらったインド人の派遣技術者さんも、百均の価格が本当に100円であることにマジ驚喜感激していたので聞くところ地元では150円くらいだった。昨今円安のせいもあり、その傾向は益々進行しているらしい。先日、欧州にいる息子が夏季訪問先のハイデルベルクで入った激安スーパーにあったパート募集案内の最低時給は€15.3だったようで2000円/H弱、論より証拠・・・。「安い。成長無い」「低購買力、コストプッシュインフレ」諸々。半導体の強化にしても失地回復は容易ではなく、まずは人的育成に相当時間を要する覚悟が必要か。先々、息子と娘ら若い人が活躍していく世の姿を想う。

「川沿いの古道を歩く夢の中 ハイデルベルクを旅人として」

このところ晴れた日が続いている。先週、10月2日(日)。昼食に蕎麦を作るのは自分の役目。午後、少し暑い陽光の中を百ヶ峰に向けてスタート。シューズのソールが剥がれたので新品を購入し今日はお試しライド。百ヶ峰は半年以上ぶりで、まずまず順調に登って来た。思ったより湿気が多く霞む空気で乗鞍、御岳などの遠望は効かず。長良温泉沿い長良川河畔で写真を撮る。シューズのクリート位置を若干調整し他は問題なし。帰宅後、今日はドクターペッパー。このチェリーコークのような味がちょっと良い。
30.62km 1:55:29 15.9k/h 35.6kmax 獲得標高434m
Strava
https://strava.app.link/KqCzmVoUBkb

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長良川沿い)

ずっと読んでいた司馬遼太郎三浦半島記」読了。自分の知識を予想外に刺激してくれた。三浦半島と言っても概ね、鎌倉時代を中心に歴史的な史跡を巡り背景や逸話を引き出して物語っていくため、鎌倉中心に伊豆半島や房総半島、相模、武蔵の話も出てくる。武家政治の確立と言っても律令制と地続きの平家統治と御成敗式目による源氏の統治はでは大きく違い、源頼朝の立てた幕府の目的は関東武士間の地権利争いの裁判だったらしい。公家や寺社が地主だった律令制から鎌倉時代から土地が開墾農場主の武士のものになったようで、その後、19世紀まで武家政治が続くのでこの転換点は大きい。しかし幕府成立に参画した武家は陰謀や内紛で北条氏の他はほぼ滅ぼされてていくのを見ると時代の陰湿さを感じる。話は変わって幕末、勝海舟が咸臨丸で訪問した米国からの帰国後、江戸城内で老中に報告した時「アメリカはどんな国か?」と老中に聞かれ、海舟「アメリカというのは、えらい人ほど賢い人という国でございます」と答えたそらしい。「日本はそうなっていない」と暗に言いたげで並みいる老中はいやな顔をしたらしい。返って現在はどうか?えらい人の記者会見を見るにつけ、昔も今もどうなんだろうか・・・?と思う。

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洛北三峠周回、百井峠(730m)、花背峠(760m)芹生峠(700m)

今朝の散歩、一昨日の峠ハントの筋肉痛取れず。野良猫、しまちゃんの姿を見るが最近はどういうことか?体操風景を見せてくれることが時々ある。この心境がわからん。

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(ストレッチ追い込む)

9月も中旬を過ぎて感染者数がぐぐっと減って来たので、一昨日の23日に半年前にやり残した京都洛北の峠巡り出掛ける。早朝に出掛けて昼過ぎにデポ地点に戻ってくる予定を言うと学生時代京都だった奥さんも一緒に出掛けて峠巡りの間はレンタル自転車で京都の上賀茂周辺巡りをすることになる。宣言期間中の京都の人流は少ないハズ。AM4時に家をスタート。京都東ICを下りて山科から左京区川端通を北上し国際会館から岩倉東公園にデポ。昨日は前線通過で今朝は高速の道中も濃霧が発生していた。朝7時、曇り空に山の方を見てもくっきりとは晴れておらず微妙な感じがする。駐車場で自転車を下ろして用意をしていると、「じゃあねー」と奥さんは足取りさっさと出発し残されてゴソゴソと準備。今年は夏場から長距離、長時間のライドをこなしていない現時点の私の体力からしてこの3峠走破はそれなりに難易度が高いものと思われる。そのこともあってギア比が低いクロスバイクを使う。モンベルのトレイルラン用のリュックにスペアチューブなどを詰めて7時にスタート。岩倉のコープを左折して府道40号を北上する。予想通り出だしから緩やかな登り基調で叡山鉄道沿いを走る。何人かのロードライダーを見るが同じ方向に行く人はいない。鞍馬寺前を過ぎると街道は斜度が出てゆるゆると高度を上げてやがて本格的な登坂になる。山峡の中腹からは霧の中を進みなんとなく不穏な気分になるも、やがて「百井の別れ」という分岐点に到着し少々安堵。百井峠は右の狭い国道477、左の道は同じく477号で花脊峠に通じる。最初の百井峠は「激坂酷道」と言われていてこの最難関でどれくらい消耗するかが問題と思われる。少し下り早くも狭い急登坂になりギア比を下げてヨチヨチ登り始める。確かに酷い道で20%以上の斜度がありそうで汗が止まらなくなる。更に怖いことに霧の中を車が通って行くことで1台分の道幅ではどうすることもできず2度ほど止まっては避ける。消耗に耐えつつヘアピンカーブを曲がって霧の中をもがいているとやがて地蔵堂が現れ斜度は急に緩くなって峠の頂上に到達。幸いwebに書かれている時より舗装されて路面状態は良くなっている様子。確かに昇って来た太陽があるらしい朝の杉林の静寂の霧中にしばらく呆けていると軽快な足音とともに白髪のシニアランナーが通り過ぎていった。信じられん!

「水雲のただよふ杉の林にて朝陽はわれの影絵を映す」

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峠写真を撮って来た道を下り百井の別れから今度は花脊峠に登って行く。本来はこの百井から花脊に向かうこの1回のハンドルでは曲がれそうにないカーブが477号酷道だが先の百井の激坂を思えばこちらは普通のノーマルな峠道に見える。途中でロードレーサー2人組に抜かれ、また何人かと行き違う。霧が晴れ太陽が出てきたが途中一か所だけ視界が開けるカーブでは下界は霧靄で見えず、やがて頂上にゴール。さすがにメジャーなコースらしく先ほどの2人組に他数名がどんどん上がって来る。「トンネル早期実現」の看板の下で羊羹を1個補給。なんとか2個目の峠をクリアしたがここを花脊方面に下ると次の芹生峠までは結構距離がある。その間のアップダウン次第では体力的に帰って来れなく危険性がぼんやり頭によぎる。

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時刻はまだ9時台なので余裕はあると花脊に向けて下り開始。茅葺ではないが田舎の風情のある家々を過ぎていく道すがら淡く今年初めての金木犀が香る。案ずるほどのことはなく貴船神社方面への分岐点で府道361号に入る。

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ここまでは順調だったが芹生までは登り基調でアップダウンが多く疲れもあって重い上になかなか遠い。消耗も進み休憩場所を考えている頃に芹生の里に到着。芹生の里、昔幼少時に母が「花ぐるま」というTVドラマを見ていた時に、芹生村で育った少女が社長夫人に出世していくというサクセスストーリーだったが今見るところ村と言うほどの人口も無いような寂れた感じがする。休憩していると外人3人組が下りて過ぎていくところなんぞやっぱりここは京都に近い。最後の登坂は既に足はダメダメ状態、ヘルメットから汗を落としながら気力で岩倉まで帰り着くためだけにペダルを回しつつ、やがて杉林が切れて峠頂上に到達。もう後は下るだけと日陰の路面に仰向けになる。空が意外に近く雲が姿を変えながら過ぎていく。今年はコロナもあり、猛暑や雨も多く峠ハントは低調になった。いつも峠を越えて帰れなくなるリスクを持ちつつ何年もよく続けて来たものと思う。60も近くなって何やってるんだろうという自己疑問とよくやってきたなという感慨ともう、これから、そんなに出来ないという身体的精神的問題が浮かぶ。いつかは出来なくなる日が来る・・。

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この芹生峠はここからの下りの貴船側がブレーキを持つ手が痛くなるような激坂で有名で途中はダートもあって用心しつつ貴船奥社まで下りる。川床で有名な一大観光地も自転車でも走れるくらいの観光客でやや寂しい。暑いせいか空席の目立つ川床では何人かはかき氷などを食べている。貴船神社で写真を撮って貴船口駅までダウンヒルして来た時に急に女性2人が道路に飛び出してきたので「危ない!」と叫んで逆にハンドルを切って間一髪避ける。止まって振り返ると鉄道ガード上の叡山鉄道を撮っている。世に言う撮り鉄女子という人らしく全く悪びれる様子も無く「ホント偶然だよねー」と言いながらシャッターを切っている。そんなにお宝なのか?怒りは置いといて私も1枚パチリ。無事岩倉東公園に12時着。予定時刻まで1時間ほどあるのでコープに行ってサイダーを飲みつつ休憩。ここは河野裕子氏の歌や随筆に出てくる岩倉コープ、まま普通のスパーにしか見えない。国際会館まで迎えに行って13:30に帰路、大原と琵琶湖大橋を抜けるコース。奥さんは自転車で不案内な道で予定の行動ではなかったらしいが、出町柳の「ふたば」で豆大福などを買ってきた。40分待ちの有名店だけあって美味しい。

春の引っ越しから残件となっていた洛北三峠を無事終了する。
「人家なき山川越えてコツコツと二百余峠ペダルを回し」
52.03km 4:20:02 12.0k/h max43.9k/h 獲得1224m
https://strava.app.link/2War1QTo3jb

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貴船口駅

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(ふたば)

コヒーの木、司馬遼太郎「郡上白川街道、堺紀州街道」読了

小さな台風が通過してから先週までほぼ連日雨が降る。朝見ると路面が濡れて低い雲が43階タワービルの上を低空で流れていく。そんな日が何日も続いていて西日本では例年のように洪水が発生している。雨の降り方が異常で、降る時の水量が多い上に明らかに時間も長くなっている気がする。岐阜市は輪中堤という伝統の防水堤があるくらい昔から水害の危険が大きい地域であるだけに今回は無事でも一定の警戒心は持ち続けるべしと思う。それにしても、あの線状降水帯、積乱雲の連続したやつのエネルギーたるや恐るべし。あれだけの質量の水を海から天に持ちあげ運んで陸に一気に降らせるエネルギーは全て太陽からのエネルギーで地球の温度を均一にするための対流現象の産物らしく、温暖化進行で高⇔低温間のエネルギー交換が激しくなることは予想に難くはない。異常な高温とその後の雨天続きで農産物の生育が不良で野菜や果実が高騰している。朝の散歩、清水公園で緑のまま栗の木から熟する前にイガが落ちていてこれはこれでマリモにも似て美しい気はするが少々残念。

「濡落葉踏みしめゆけば参道の木漏れ日強く夏まだ名残る」

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清水公園の栗)
自宅のべランダにもプランターで植物を育てているがメインは奥さんのハーブ類、ローズマリーなどの数々。一隅に私担当の枇杷とコーヒーの木がある。枇杷は昨年種を植えたものが勝手気ままに伸びて、予想外に育ちすぎて態度もデカく正直なところ今後の処遇を悩む。コーヒーはずいぶん昔、大学の先生が趣味でベランダにコーヒーの木をを育てて実った豆を収穫し煎って飲んだ時の味の素晴らしを聞いたことがずーっと記憶にあって、この春にたまたまホームセンターで見つけ買ったもの。ワックスがついた深緑テカテカの葉を大きく広げ、木の生命力に感心するほどタフで枇杷ともども世話要らずで育っている。先の父の日に娘から奈良の「ロクメイコヒー」の豆セットを頂いていて昔から持っている年代物のミルで挽いて淹れたコーヒーの美味しさは素人でも大いに違いがわかる。ここ一番の時はコーヒー豆を挽いて飲むことにしている。煎るのはフライパンでもできるそうで道具の準備はOK、さてコーヒーの木に豆の収穫が出来るのはいつの日か??小声をかけつつ水をやる。

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(種からの枇杷

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(コーヒーの鉢)

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(コーヒーミル)
金曜日にワクチンの接種を完了。恐らく年齢から何も副作用は無いものと思っていたが存外37.5℃の熱で丸1日ほどダウンしたが、若者的抗体反応に少し安心もした。女性の方が大変なのか奥さんはもっと熱が出て大変だった。病み上がりの本日は朝無事散歩に出かけると加納城址公園のテニスコート付近で朝日が登る。

「接種後の体温意外と上昇し子からの助言メールに安らぐ」

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加納城址公園)
借りていた、司馬遼太郎「郡上白川街道、堺紀州街道」を読了。岐阜の郡上八幡白川村がどのように描かれているのか?と興味津々で読み始める。地図をボーっと見るのが好きなので横に地図帳広げで場所を確認しつつ、文章から情景を想像しながら読み進める。この地の他、京都洛北、丹波、堺紀州、北国街道などが含まれているが堺紀州以外は少し通ったこともある場所で多少の知見がある。東京の青山は郡上八幡の殿さま青山氏の藩邸の跡が地名として残っていることなど歴史と現代をつなぐ内容が多々あります。一方「記号としての客」というコーナではホテル旅館を例にして生産性主義、能率主義を新しい新宗教と批評的に書かれているところも面白い。並行して読んでいた、半藤一利氏の本ではさらっと流れた南北朝時代の「南北朝正閏問題」に関しても水戸イデオロギー云々、北朝天皇などあやふやになっていることに知識を多少もらえた。もっとも北朝室町幕府時代は北山、東山など文化の輝きが多く生まれ、現京都にとって最重要時代に思う。執筆されたのが1970年代らしいがその頃から地域の衰退、過疎、ハコモノ行政などなど憂いが書かれており、「セメントこねくりまわして殺風景な建築物があちこち出来てはまた壊される」と今もそれほど変化はない。問題と言うものが固定化され後世代に引き継がれていくような、その場しのぎの都合がこの一事にして諸問題にも通ずるように思う。

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新市庁舎、金華山DW岐阜公園run10.6km、半藤一利「戦争と言うもの」読了

連日が猛暑日。気温と言うより私にとってはより湿度が問題で多少でも乾燥気味なら楽に感じるものの湿度計は毎日降り切れてHighを示している。多分にいい加減な湿度計測と思うが湿度が高いことは確か。TVもネットも間断無く五輪を放送していてメダルラッシュらしいが、ハテ、ウイルス感染者の増加は?と気になっても五輪ニュースにかき消されたか?扱いが小さいのでよーく探さないといけない。世の中一般の価値観はそういうものなのか・・?疑問に思うが、一方で感染者が急増している状況はある意味合理的な結果でその後の影響が長く尾を引くことと按ずる。

「ああまた、五輪にコロナ隙間なく市松模様でTVを占める」
先日、ワクチン1回目を特に問題無く終了。決まった盆休みは無くカレンダー通りの勤務。昼食に久々に名鉄岐阜駅付近のココ壱番行くとなんと閉店していた。確かに近くの飲食店の閉店をパタパタ目にするようになった。考えを変えて気分転換に4月に新しく出来た市庁舎の食堂に見学を兼ねて行くことにする。モダンなのかどうか判断のつかない外見で、映像で見る東京やその他でももっと斬新なビルは多いのではないか?どこか新橋の交通会館を連想した。18階建ての17F、15Fは展望フロアなので行ってみると、どちらも北側向きで長良川しか見えない。西の伊吹山、養老、揖斐山系は職務中の机越しに、同じく東は金華山、南は岐阜駅の高層マンションが明るく見える。2Fに降りて食堂へ行く。メニューは定食などもあるが量は必要なく地味にたぬきそばを食券機で購入、そのままオーダーが厨房に届くらしい。見れば食券機のところで列が出来るのとセルフサービスでメニューが出来るまでに少々時間がかかるフードコート的なシステムの様子。皆さん定食やカレーなどガッツリ系を選んでいるようで隣の図書館に来たらしい高校生や来館一般の人が多く利用していたが職員らしい人は少ない。自分にとっては十分でもたぬきそば一杯700円ではもう一つ社員食堂的お得感が足りないのかもしれない。

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(リニューアル市役所)

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(17階展望から図書館、長良川、百ヶ峰方面)

本日、早朝5:25スタート。金華山DWまでrun。スポーツマスクとサングラスでも往路はまだ日の出前で涼しさあり。柏杜公園からの登坂では既に厳しい暑さで以降は汗が止まらない。大気に水分の多い季節にして珍しく展望台から伊吹山がくっきり見えた。下り、マスク無し年配のオッサンを抜くとそのオッサンにそれ以降ピッタリ後ろに付かれたので意地になって速度アップし、空気感染リスクともども振り切り成功、徒労で汗も多く3キロ減量。ネコ通りにしまちゃんを発見。今日最高気温は39℃。

10.59km 1:33:50 獲得標高167m
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「灼熱の夏だ加納の野良猫よ、おまえが好きな秋はもうすぐ」

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金華山DWから伊吹山

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(見返りのシマ)

司馬遼太郎の街道を行くを読みつつ、TVの紹介で見た半藤一利「戦争と言うもの」を読み始め早々に読了する。平易な文章で読みやすかったことと、加えて自分の既知の部分が多かったこともある。ポツダム受諾、8月にふさわしい読み物と言えるが亡くなられる前の遺稿として若い世代(孫の世代)向けに戦争というものを語り伝えるという趣旨がある。1940年前後の、言葉やフレーズをピックアップし当時の思想の動きや世の動きを解説し戦争や群集心理の怖さを述べるといスタイルで14編。読んでいて、数十年前に「ノモンハンの夏」、「日本のいちばん長い日」を読んでいたことを懐かしく思い出した。ただ懐かしい、ではなく今回の読了感をしても自分の感じる問題の捉え方とは少し違っている、例えば南北朝正閏問題にしてもさらっと表面を流れている所などが消化不良的で突っ込み不足の印象を持ったことは当時も今も変わらない懐かしさを感じた。実際それ以来、著者の本からは離れて久しかった。この本は後記の部分で実の孫の方が編集されていることがわかるが、ここが最も著者にとって重要な部分だったと思われ、ある種満足感をともなっているところが明るく次の世代に向けてのご本人のメッセージなとなっているように思う。

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夏の虫、裾野~御殿場(17km)と五輪ロード

とうとうワクチン接種券が来たので速攻でTELして近くの医院で予約キープ、8月初。もっと早くできないか・・と、指折り数えるほどの医院にアクセスしても「ワクチン在庫が無いのであしからず」とお気の毒そうな声。岐阜、50歳代の1回目はせいぜい8月中下旬程度がせきのやまらしい。お馴染のデジタルデバイド的なチグハグ在庫状況の中でワクチン探しで余計な労力を使うが損と思いあきらめる。2回目接種は8月下旬となって正式に免疫確保はそこから2週なので結論として9月中旬と季節が変り始める頃の予定。

「頼りなきデジタルなればワクチンもいま再びに見えるゴタゴタ」

7月も下旬となると毎朝の散歩も暑さは厳しい。気温を見ると北海道すら30℃をかなりオーバしているので異常気象というか考えると農水産物に影響があるレベルではないか?今年もマンション出口脇の小さい庭木にクマゼミがウヨウヨいて人通りが無い早朝から全開で鳴きまくる。直近の部屋の人にとって大いなる睡眠妨害ではないか?と案ずる。じっとり汗をかきつつ天満宮から清水川沿いに出る。ビオトープのような草叢には虫が多くいて季節に応じ観察して歩く。殻から出たばかりのクマゼミを見つける。羽化したばかりのセミを見ることはこの方初めてかも知れない。草花の中でごそごそ花粉を味わっているコガネムシは色鮮やか。自宅の外灯の裏側に住んでいるらしいハエトリクモ。この格好を好きではなかったが、部屋の中で捕まえようと追い詰めたときに驚いたようにピョンと10cmほどジャンプをしたのを見て、そのファンキーな行動に驚きと称賛の気持ちが湧いてそれ以来クモ類の中では一番手となる。

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開会式は見ていないが東京五輪が始まった。嬉しくも悲しくもない、どちらかと言えば疑問を持つ開催とは思うものの唯一の関心は自転車ロードとTT。先日までツールドフランスを走っていたメジャー選手が来ている。五輪がそんなに価値があるのか?という思いもあるが一部ではツール第22ステージと言われていることもあり、これらの選手をじかに見る千載一遇の機会と意を決して朝6:00に車にクロスバイクを積んでスタートする。車がお邪魔にならぬよう裾野市にデポしそこから御殿場まで途中でコンビニに寄りながら自転車で走るが、難儀なことに地図では推測できなかったが裾野からずーっと上り坂が御殿場まで続くことになり獲得標高はざっと350m。ここは標高500mくらい、マスクもあって異常に暑く汗がサングラスを濡らす。さて、速度が落ちるクランクのところが見るには最適なので御殿場の周回コースの2か所、原里交差点と玉穂支所交差点で見ると決める。左手にスマホで動画、右手にデジカメの連写で同時に撮影が上手くいくかシミュレーションするが、これはツアーオブジャパンでの経験が活きるハズ。選手が来るまでの長ーい時間を待っていると、隣に大きな望遠カメラを持った若い女性がやってきてしきりに立ったり座ったり落ち着かない。私を見て「へぇー、カメラと携帯両持ちなんですか!?」と問われ「いやー私、二刀流なんですが上手くいくかどうか・・・、その望遠レンズは誰狙うんですか?」と返すと「もちろんポガチャルですよ!」とテンション高く、「タディ」は超かっこいい新進の実力者でツール2連覇の凄さなど滔々と続き、最新事情に疎いオジサンの雰囲気をそれとなく出しながら話についていく。そっかぁー、ポガチャルは日本の若い女性にも人気が出ているんだぁ、これは意外とロードレース人気も燻りはじめたか・・・?。14時過ぎに逃げ集団が来る。高速で通り過ぎる選手を撮影するのは難しいが、偶然ではあるものの新城さんが撮れてまずは良し、こんな過酷な暑さで240kmを走って勝負する新城さんは凄い。私好みのチームユンボウイズマのファンアールトとディユムラン、チームイネオスの落車が残念なトーマスなどが見れて良かった。最初は麦藁帽の近所のおっちゃん姿が目立った沿道も気がつけば相当いたように見えて賑わいがあって欧州に行かねば見る機会は無いと思うと自身にとって二度とないチャンスだった思う。遠く中継を追いかけている息子にも写真を送付。帰宅後ネットで中継録画を見ると仏の中継スタッフがそのまま撮影していただけあって、少ないとは言え観戦者がいて日本の自転車ロードレースとしてこんなに本格的にできるのか、と破格に映像は良かった。レースはカラパスが勝ってファンアールトとポガチャルが表彰台。彼らは20代前半の若さでここ2年でロードレース界の世代交代が一気に若返り、ああ世界は動いている。私の五輪、これで大きなヤマ場を越えて数日後の女子ロード、TT、MTBでほぼ終わっていく。帰路の高速で長い静岡県、愛知県を通って21時帰宅。携帯電池消耗で帰路の記録は無し。

「十八年欧州かけた新城さん富士の日本の五輪を駆ける」

裾野市から御殿場市 16.7km 1:13:49 13.5k/h 標高352m
https://strava.app.link/qUho8vLzjib

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左 新城さん

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2番目ワウト・ファンアールト(ベルギー)

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中央タディ・ポガチャル(スロベニア

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中央ゲラント・トーマス(UK)