図書館にて話題の本ということで「滑走路」萩原慎一郎氏を借りてきました。歌集とあって厚くはありません。遺歌集にあたるという、ある種の心理的バイアス、ぬきさしならぬ想いを持って読みました。30歳台にして歌壇の賞などを取っておられその点では大成功された直後、32歳の若さで自死されています。
著者の経歴を見るに、つくづく若い人の抱える現在の社会の住みにくさ、息苦しさ、やり直しの効かなさを切実に思い知らされます。何とかならんか?人手不足?正規非正規、同一労働同一賃金は掛け声メッセ―ジ程度には繰り返されますがルールを作る側の人の利害をも削るような踏み込んだ改善は保守的世間では難しそうな感じ。
「きみのため用意されたる滑走路きみは翼をてにすればいい」
切なくて悲しい歌も多いなか、ほんのり希望的で明るい歌も多いのがいいと思いました。その中で、
「ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる」
牛丼はモチーフとして何首かに現れます。
フム。私の普段の昼食、太らないよう揚げ物などを避けるため蕎麦とおにぎり計350円、コストで言うと恐らく牛丼以下?。少々空腹ですが慣れてしまうと悪くない。定食500円は揚げ物が多く脂で腹に余分なものが入った感じで後の仕事の調子も悪い。たまの煮魚、焼魚定食以外は取らないようにしてます。見渡すと知らない年配の人は茶碗にご飯をがっつり装ってますが背広前の腹周りぽちゃりしてます。それは避けたく脂と糖質には気を使う。しかーし、そうは言ってもたまには吉野家が懐かしくなる。
この2月、ソフトバンクのスパーフライデーは吉野家の牛丼並みがサービスで年に一回のスペシャルマンス。岐阜に帰るときは岐阜駅で使ってましたが、この精華町には吉野家が無い。調べると近いところでは奈良か生駒で往復15km以上。店に行くにもアップダウンが豊富な道路を自転車で必死のペダリングの末にたどりつけるような、届きそうで届かぬいわば高嶺の岩の間に咲くささやかな花。ささやかなる牛丼の願い、断腸の思いにてギブアップ。
岐阜で桜が開花したようですが、昨夜は寒くて今朝散歩で見ると近所の車の上に雪が積もっています。寒ぅ。開花宣言のあった清水川公園の桜は1本だけ咲いてますがこの春の足取りは素直な調子ではない。
「見渡せばただ一木の花便り」