コヒーの木、司馬遼太郎「郡上白川街道、堺紀州街道」読了

小さな台風が通過してから先週までほぼ連日雨が降る。朝見ると路面が濡れて低い雲が43階タワービルの上を低空で流れていく。そんな日が何日も続いていて西日本では例年のように洪水が発生している。雨の降り方が異常で、降る時の水量が多い上に明らかに時間も長くなっている気がする。岐阜市は輪中堤という伝統の防水堤があるくらい昔から水害の危険が大きい地域であるだけに今回は無事でも一定の警戒心は持ち続けるべしと思う。それにしても、あの線状降水帯、積乱雲の連続したやつのエネルギーたるや恐るべし。あれだけの質量の水を海から天に持ちあげ運んで陸に一気に降らせるエネルギーは全て太陽からのエネルギーで地球の温度を均一にするための対流現象の産物らしく、温暖化進行で高⇔低温間のエネルギー交換が激しくなることは予想に難くはない。異常な高温とその後の雨天続きで農産物の生育が不良で野菜や果実が高騰している。朝の散歩、清水公園で緑のまま栗の木から熟する前にイガが落ちていてこれはこれでマリモにも似て美しい気はするが少々残念。

「濡落葉踏みしめゆけば参道の木漏れ日強く夏まだ名残る」

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清水公園の栗)
自宅のべランダにもプランターで植物を育てているがメインは奥さんのハーブ類、ローズマリーなどの数々。一隅に私担当の枇杷とコーヒーの木がある。枇杷は昨年種を植えたものが勝手気ままに伸びて、予想外に育ちすぎて態度もデカく正直なところ今後の処遇を悩む。コーヒーはずいぶん昔、大学の先生が趣味でベランダにコーヒーの木をを育てて実った豆を収穫し煎って飲んだ時の味の素晴らしを聞いたことがずーっと記憶にあって、この春にたまたまホームセンターで見つけ買ったもの。ワックスがついた深緑テカテカの葉を大きく広げ、木の生命力に感心するほどタフで枇杷ともども世話要らずで育っている。先の父の日に娘から奈良の「ロクメイコヒー」の豆セットを頂いていて昔から持っている年代物のミルで挽いて淹れたコーヒーの美味しさは素人でも大いに違いがわかる。ここ一番の時はコーヒー豆を挽いて飲むことにしている。煎るのはフライパンでもできるそうで道具の準備はOK、さてコーヒーの木に豆の収穫が出来るのはいつの日か??小声をかけつつ水をやる。

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(種からの枇杷

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(コーヒーの鉢)

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(コーヒーミル)
金曜日にワクチンの接種を完了。恐らく年齢から何も副作用は無いものと思っていたが存外37.5℃の熱で丸1日ほどダウンしたが、若者的抗体反応に少し安心もした。女性の方が大変なのか奥さんはもっと熱が出て大変だった。病み上がりの本日は朝無事散歩に出かけると加納城址公園のテニスコート付近で朝日が登る。

「接種後の体温意外と上昇し子からの助言メールに安らぐ」

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加納城址公園)
借りていた、司馬遼太郎「郡上白川街道、堺紀州街道」を読了。岐阜の郡上八幡白川村がどのように描かれているのか?と興味津々で読み始める。地図をボーっと見るのが好きなので横に地図帳広げで場所を確認しつつ、文章から情景を想像しながら読み進める。この地の他、京都洛北、丹波、堺紀州、北国街道などが含まれているが堺紀州以外は少し通ったこともある場所で多少の知見がある。東京の青山は郡上八幡の殿さま青山氏の藩邸の跡が地名として残っていることなど歴史と現代をつなぐ内容が多々あります。一方「記号としての客」というコーナではホテル旅館を例にして生産性主義、能率主義を新しい新宗教と批評的に書かれているところも面白い。並行して読んでいた、半藤一利氏の本ではさらっと流れた南北朝時代の「南北朝正閏問題」に関しても水戸イデオロギー云々、北朝天皇などあやふやになっていることに知識を多少もらえた。もっとも北朝室町幕府時代は北山、東山など文化の輝きが多く生まれ、現京都にとって最重要時代に思う。執筆されたのが1970年代らしいがその頃から地域の衰退、過疎、ハコモノ行政などなど憂いが書かれており、「セメントこねくりまわして殺風景な建築物があちこち出来てはまた壊される」と今もそれほど変化はない。問題と言うものが固定化され後世代に引き継がれていくような、その場しのぎの都合がこの一事にして諸問題にも通ずるように思う。

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