茅の輪くぐり、はじかみ林道峠(47.21km)、大森静佳「この世の息・歌人河野裕子論」、永田和宏「あの胸が岬のように遠かった」読了

一昨日の6月30日、岐阜駅へ昼の弁当を買いに行く時に天満宮を見ると茅の輪が現れた。夏越の祓、数年ぶりにみそぎ祭りがあるらしい。人気のない真昼の境内で一足先に潜っておく。うーん早い、もう半年が過ぎた。早々に梅雨が明け?・・容赦無い陽光で連日の猛暑。LNGに電力が不足云々と熱中症への警戒が矛盾も関係なしに連日報じられると間が抜けていて意図がよくわからない。ここ岐阜は有数の高温地帯で一旦体調を崩すと大きな時間ロスになってしまうため冷房を迷わず使用し体調管理に気を使う。やっとのことで海外ユーザ向け2並列プロジェクトの1つが先日終了し、2方面がようやく一方に集中できるようになる。TSMCなどFABは需要がやや緩和されはじめているらしいが開発面の逼迫は依然として続く。在宅勤務はオンオフの区切りが曖昧にして孤軍でアクセクするのは精神衛生的にに良くないことをつくづく実感。成果まで息抜きの時間が無い。先年やったホテルでのテレワークプランも決定打というほどパッと転換にもならなずそれ以降は使っていない。あれこれ彷徨った挙句、朝夕の散歩とストレッチでわずかに体を動かし街路にたむろするネコの観察が唯一の憂さ晴らし。

(暑さで緩むキンゾーさん)
昨日、7月1日(金)は創業記念で休み。岐阜市の北にある「はじかみ林道」という峠に行ってみる。ここは以前教えてもらって行きたかった。昨今の高温を考えて8時前には帰って来たいので日の出の4:40にスタートする。長良橋を渡り平日とは言えほとんど車のない道路をスイスイ北上。最初の椎倉坂を越えて武芸川を左折して進むとやがて大桑城の看板とはじかみ林道入り口標識を発見する。フロントインナーに入れてやや薄暗い湿った空気の中を登坂開始。それなりに覚悟していた激坂は以外にも無くてやがて頂上らしい駐車場に出て登頂。何本かの旗が揺れるここ、古くは土岐氏の城跡の大桑城、つまりは明智光秀ゆかりの地らしく、林道と言いながら城跡観光用道路でもあるらしく路面の状態は全く問題なし、峠からの視界も開け申し分ない。そのまま南側に下ると距離も長く斜度も急そうで実は南面がメジャー登坂コースであることを知る。通勤、通学ラッシュの長良界隈を経て7:30過ぎに帰着。

https://strava.app.link/7O3Xq9DkJrb

45.77km 2:23:21 19.2k/h max39k 獲得413m
いよいよ今晩からツールド仏がコペンハーゲンから始まりJスポーツの無料中継を奥さんと見るが平均時速50km以上のTTレースは残念にも雨模様で街の様子がよくわからん。約3週間、新城さんは出ないが今年こそ我らがユンボの勝利を願う。

永田和宏「あの胸が岬のように遠かった」読了。昨年、新潮の読書雑誌「波」に連載されていたものの単行本化されたもので連載時に読了していた。まえがき&あとがの加筆部分を探るために借りる。今回の本も先日NHKのドラマにもなったので観たが小説とは違ったイメージ。メジャー歌人夫婦の出会った頃を河野裕子氏の日記を元に忠実に書かれたもでのあるが心の描写などのリアルさは特異で普通の日記ではない。河野氏の第一歌集のあとがき「他にも生き方があったのではなく、このようにしか生きられなかったのである。悔いだらけの青春であるけれども・・もう一度生まれて来ても今日まで生きてきたのと同じ青春を選びとろう」とあり氏の

「もう一度のこの世は思はずきつぱりと書いてゆくのみ追伸不要」

を思い出す。

永田和宏氏「あの胸が岬のように遠かった」を借りに行くと5人待ちになっていた時にふらふらと偶然見つけた大森静佳著「この世の息・歌人河野裕子論」を借りる。評論という形式は読み慣れずトツトツ、ぎごちなく読み進めなんとか読了。私には語彙すら難しい部分が多く自身の教養ではついていけない感あり。河野氏のエッジが効いた雄弁で自己主張の効いた初期、自己が後ろに退いた脱力感とユーモアを感じる平明な言葉による後期の解説などがまあまあ理解できた。特に氏が影響を受けたとされる小池光氏、他の方の作品との対比と分析は面白いと感じる。