シャイン祭、はじかみ林道峠往復(54.16km)、安部公房「砂の女」読了

奥さんの職場の同僚の話で岐阜駅にあるドーダというスーパーの野菜屋さんが年1回やるシャインマスカットの安売り祭りが近づいているはず、その日はいつか?と待っていると聞かされる。普段は五百円の弁当を駅に買いに行く私としては親切心と同時に評判のシャインマスカット祭りのご相伴にあづからせていただこうと平日も目を光らせていた。ブドウは巨峰、デラウエア中心で話題のシャインマスカットは高コストに加え貧困妄想が取りついた私にとって高嶺の花と思っていた。一昨日、ついにその日がやって来た。店の入り口に普段は見ない老人男女の列ができて様子が異なり見ると中で何人かが緑に輝くシャインマスカットを次々箱から取り出しては袋に入れている。山梨産で普段1580円が1000円になっていたのでこれぞシャイン祭り、一人で何個か籠に入れていく人もいて平日の昼にしてこれは結構な売れ行きに見えた。梨とシャインマスカット1房を買うと同時に奥さんにメールして使命を果たす。秋は果物の季節だが確かにこのブドウは美味しい。


涼しくなって朝の散歩にも適温となる。桜の木が降らせた落ち葉にきれいに白いキノコが顔を出すが日影にひっそり妖艶、どうみても毒キノコ。近くの栗の木もイガが大きくなっている。岐阜の市内も人出が明らかに増えていて駅に近いコインパーキングも50円、100円と値段が上がっている。岐阜は市内中心部移住を促進している補助金のせいか最近マンションがポンポン立ちつつある。数年後完成で駅前にも高層マンションが計画中だったりする。殺風景で似たような建築物がニョキニョキ出来て私の仕事場にしている北向きの自室からの視界を大きく占めて何とも言えぬ残念さがある。数年前に北の金華山岐阜城が隠れ次に水道山が遮られ、いずれ奥さんが岐阜人の心と大切にしている岐阜の大花火が部屋から見えなくなってしまう・・。今見える山は百々峰の連山、失って始めて知る大切風景、山下達郎の「俺の空」という曲が心に染み入るようでただ寂しい。ところでマンションの売れ行きのほうは入居開始後から長々と埋ってない所がそこここにあるようで処分セールのチラシも入るので決して好調のようには見えず値段高騰?いやこの街の需要にして過剰なのか?と思う。在宅ワークでようやく10月末の台湾最大FABの工場投入まで漕ぎつける。あと少し。

「得意でもなかつた仕事は唯一のキャリアと呼ばれる取柄になるらし」

先週の9日に英国女王が亡くなられたがそのニュースではロンドンには虹が出ていたが、偶然この時期に珍しく夕方に金華山にも虹がかかった。

(ドクツルタケ??)
3連休初日の昨日土曜日、はじかみ林道表(南側)にride。少々遅く8時にスタート。登校日なのか私立高校生が大勢自転車で走っている市街地を気を付けながら北進。長良、高富を抜けて山県のT字路を左折。台風接近のせいか気温と湿度が高いものの畔道に赤い彼岸花が帯になって咲いている。大桑城方面に右折していよいよ登坂開始。南斜面は日影が少なく暑さでへばり気味で一人のキャノンデールのお兄さんがペース走行で抜いて行く。ギアを使い切ってヨタヨタしながら頂上着、厳しかった。二度目とは言え眼下のゴルフ場など景色はまずまず。太陽の日射を遮るものもないので早々に北側へダウンヒル。武芸川沿いを下って長良川沿いにでて帰宅。長良河畔ではパラソルの出店が出ていたが賑わいと言うには少ない。頂上でstravaの再起動を忘れ帰路の中間が抜けているが手元のメータで

54.16km 2:37:40 20.6k/h max38.5km 獲得358m
https://strava.app.link/1BpCs1F8Atb

「夏草とともに刈られし彼岸花 仰げば秋の宙に吹く風」

長々読んでいた安部公房の「砂の女」読了。昔々、読んでみたいリストには入れていたがすっかり忘れていて今年、100分で名著という番組を見て記憶がよみがえる。早速図書館で本を借りるがヨレヨレ古くて印字も小さいく途中から通販で文庫本を取り寄せて読む。砂丘の中の家がだんだん砂に埋まっていくのに格闘する物語という程度の知識で読み始める。結末が想像に反した平坦な印象をもったがそれでも砂地獄からの脱出を試みる主人公の心象など要所要所は面白かった。実際にモチーフになる砂丘があるのかわからないものの乏しい知識から鳥取砂丘を思い浮かべつつ読んだがどうも、生き物のような砂丘の性質が本当に書いてあるようなものなのか?わからない。普遍的な内容を描きつつも昭和的な貧村の情景など時代的な古さを感じてしまう。自ら世間体を脱し砂の家に囚われてしまう主人公が脱出を試みるときに「漂流者が飢えや渇きで倒れるのは生理的な欠乏そのものよりも、むしろ欠乏に対する恐怖のせいだという。負けたと思った時から敗北が始まるのだ。不必要に騒いで時間と言う馬を駆り立てることもないだろう」という独り言が妙に印象に残る。この本は何度か読み直して良さがわかるのかもしれない。