さざれ石公園伊吹山中腹往復(39km)、健康診断準備、河野裕子「どこでもないところで」読了

先の11月6日の岐阜信長祭り、パレードにキムタクと伊藤英明が出ることになって観覧者が大勢くると大騒ぎになっていた。当日の朝、義母から岐阜駅で開催されている農業祭で富有柿を二袋買って来て欲しいと頼まれたので、つい岐阜駅から延びる金華橋通りの人混みに近づくと意外にもスルスルと道路横まで接近できたところ丁度、馬上の二人を小さいながら確認できた。確かに人が多いし、頭上をヘリコプター数機が旋回してこの静かな街にして大イベントである。と・・言ってソウルのハロウィンのようなこともなく淡々粛々とした感じで、厳戒態勢もやや大袈裟空振りに思いつつ、そそくさ引き上げて柿の袋を自転車に入れて義母の家に届ける。岐阜に来て35年、信長祭りのパレードマジにを見たのはこれが初めて。

「キムタクの高揚感に絆されて信長祭りは群集を観る」
この前教えてもらった春日村の伊吹山に登る農道へ行ってみたくなる。春日村のさざれ石公園のから更に登っていく謎の道路らしく、同時に標高500mクラスの紅葉が丁度いい頃なのではないかと思う。翌日は雨予報なので天気の良い12日(土)に決行する。但し土曜の午前中は掃除に買い出しとレギュラーの務めがあるので自転車を車に入れて午後出発するものの焦り気味、途中で携帯を忘れて戻ったりしたせいでデポ地点の春日村の粕川沿いの運動公園に着いたのは14:30。すでに日が傾き残りはせいぜい2時間半が限度と思われた。早々に県道32号を粕川沿いに登っていく。ここは勝手知ったる道なので道案内に心配はいらない。沢沿いの木々はいい感じに色づいている。古屋の集落を越してさざれ石公園に約1時間で到着。この公園から上に延びている1本の細い道が目的の道らしいが急登の最初には金網のゲートが開いていた。ここからは幅の狭い激坂が延々続く。インナーローでエッチラオッチラペダルを回して登っていく。九十九折りで道が巻いてあるのがまだ救い。やがてガードレールが壊れたところが現れ頭上の斜面で工事のような音が聞こえる。アスファルトの道路がセメント道に変わってデコボコになったのでこれ以上は危ないと判断し今日はここまで、16:10。標高にして663mは意外と登ってないなぁ。伊吹山の中腹は縦に白い筋が遠くから見えるが石灰岩のガレ場でまさにこの辺りのような気がして、木々が少なく土砂崩れのような跡になっている。しかしこの急斜面にしっかりした畑があるのは驚き。見ると普通の野菜を植えているようで、この細い道は確かに農道らしいが酷く傷んでいる。工事もその関係かもしれない。日は伊吹山に隠れ山影は尾根に延びて日暮れは近い。暗くならないうちにと、寒風よけのウインドブレーカーを着て早々に下り始める。さざれ石公園までは慎重に下ってそこからは平均40k/hで黄色い葉の舞うカーテンを突き抜け古屋、春日の村々をすっ飛び下る。つるべ落としとはよく言ったもので、山影が瞬く間に伸びて昏くなる山道をミスを犯さないよう焦る心を抑えつつ攻撃的にカーブをきっていく。リスクのある高速ダウンヒルで出発地点まで約30分で戻ってきた時、既に17時過ぎにして真っ暗のなか無事着。晩秋、スタート時間が遅れは命取り。今年の500m以上のヒルクライムはおそらくこれが最後と思う。
「われままさに伊吹の影を彷徨いてつるべ落としの孤独を走る」
「孤独にも慣れて六十路の前ならば焦りを抑えことなくかへり来」
38.71km 2:15:52 17.1k/h 43.9kmax 獲得793m
https://strava.app.link/QyIrJAPKZvb

伊吹山崩れ)

(九十九折)

(岩手峠方面)
本日健康診断前の体重を落とすための苦肉のハードトレーニングで金華山にrun。明日は献血400ccで更に念を入れて体重を軽くして1日前の断食に入る。展望台からの下りカエデの色づきがちょうど始まったところで道路が晩秋の色になっている。
10.35km 1:30:30 8:44/km 獲得166m
https://strava.app.link/X36ht8uB1vb

このところ色々な本雑誌のつまみ読書を続けている。苦節やっとのことで河野裕子「どこでもないところで」を読了。氏のエッセイ集でおおよそ1980年代~2000年代までのかなり長い期間に雑誌などに発表されたものが本になったもの。内容的には難易度はほどほどでも、スラスラ読めるところばかりでもなかった。カルチャーセンター「短歌の旅」の日記は英国湖水地方が目的地で自身行ったことがあるので興味を持って読んだ。歯切れよく、切れ味のある・・ここまで書くか?という率直な文章が並ひ、与謝野晶子西行、馬場あき子、正岡子規に関する評論が後半にあり、特に当時流行歌人となった俵万智氏の「四葉のエッセイ」の中で、「安心してどんどん読めてしまい、何かあっけない気がする」という文の一節に加え「まるで資生堂カネボウの化粧品のコピーみたいだ」と書かれている所などがいかにも河野氏らしく印象的に残る。河野氏の息子氏によるあとがきに「母のエッセイをまとめた本はこれが最後になる」と書かれてあり、没後12年、今年は墓や歌碑などが出来たらしいが一抹、二抹の寂しさあり。