関善光寺往復(41km)、安八周回ライド(46km)、暮れる想い、目黒冬弥氏「メガバンク銀行員グダグダ日記」読了

年始の初詣は伊奈波神社へ。二日から仕事の解析対応で時間を見つけてはLSI解析シミュレーションを走らせ、正月気分はそれほど無い。正月明け朝はTVでニュースを見たいと思っても正月番組の続きなのか家康やwebアプリの宣伝とPRが流れ続けるのでTV東京系の経済ニュースに変える。やれやれ受信料払っている甲斐はどこにあるか・・。

今年のサイクル走り初めは正月の2日、関市の善光寺でこの地方の牛乳が販促キャンペーンをやっているという話題を知って走り初めついでに往復をする。関牛乳はちょっとコスト高なので普段買っていない。朝、帰東する娘を見送った後の11時に出発。天気晴朗でも思ったより西からの風は吹いていて全行程がほぼ平坦路であるものの帰路は苦しむ。肝心の関牛乳はホットミルク、抹茶ラテ、甘酒ラテの3種類を購入して飲み比べてみるが、ニュースになるほどの特別感もなかった。もっとも只かと思っていたが(冷静に考えるとそんなことはないはず)有料、しかも最低で300円はちょっと高かった。それにしても一人で3種類で計1100円も買う人は周囲にいない。
41.3km 1:58:27 20.9k/h 獲得標高99m
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(ホットミルク、抹茶ラテ)

次週は3連休で中日の8日は昔勤務していた会社跡地がいよいよ壊されていると聞いて確認がてら長良川から木曽川を周回するコースに出発。そばを作って昼食のあとに出発、今日も快晴にして伊吹おろしの風が冷たい。長良川河川敷を南下して左岸堤防に上がり長良大橋を墨俣に渡って安八に向かい現場に到着。ここ長らく見ていなかったが確かに建物はシートに覆われて取り壊し最中のよう。ありし頃は全体にビルがあった敷地は草ぼうぼうではないが荒涼として広がり、残り僅かの建物が残っている。いわゆる解体屋でなく大手建設会社が実行しているらしく着手中の工事はあと一か月程度で終わるように見えた。昔、年一回あった5月下旬のごみゼロ運動で付近を清掃した桜の並木も懐かしい。当時から見て日本の半導体衰退も、旧会社の衰退も基本的な波長は似ているように思う。国内に顧客が少なく(弱く)なり多すぎるメーカーの投資資金も海外に比べて貧弱で個々の会社の立場では延命策がメインとなり強化のM&Aなども手遅れる。出始めた海外競争以前に国内会社同士の競合で消耗していったように思う。それは今の自動車業界もなんとなく似ているように見えるが・・。TSMCの進出など半導体関係のニュース配信が増えてきたが、やや疑問に思う記事も多い中で湯之上さんという人の記事は少し辛口でも状況を正しく伝えていると思う。この敷地にはソーラーアークという太陽パネルが堂々と虚空に立っているがこの処分はまだ決まっていないらしい。あまりの強風の中、木曽川堤防は避けて柳津、笠松を通って帰宅。

セミコンと明るくよばれた頃もあり 消え去りゆく半導体工場」
46.28km 2:01:12 22.9k/h 35.1kmax 獲得標高117m
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年末から坂本龍一氏のコンサート配信を見ていたが、15日不意なことに高橋幸宏氏が亡くなられたニュースが流れショックを受ける。中学時代にYMOが一世を風靡しビルボードチャート100のジャズ部門でチャートインしているのを見て高揚した記憶がある。YMO散開以降も入れ込んで坂本氏、高橋氏のコンサートを各々たびたび足を運び、幸宏氏の「ヒトデの休日」というエッセイも買ったり2000年頃まで、いわゆるその世界にハマっていた。エッセイにも「ちょっと情けない男」をむしろ楽しんで演じているようなところがあり、粋でダンディな外見の雰囲気からすると意外性もあっていいなと感じていた。改めてCDを次々に流しYMOではロック調の「ラジオジャンク」「ナイスエイジ」ソロは「二人で暮らしてみたいね」「ちょっとつらいんだ」、サディスティックミカバンド「boys&girls」そして「暮れる想い」の加藤和彦氏も今は泉下、あの世間に勢いがあった時代も懐かしく悲しみ喪失感は深い。

「君に逢いしころにくるまでよく聴いたAozora(青空)はいいねと 高橋幸宏

「繊細で声うつくしき旋律の 高橋幸宏曲は旧びず」

昨年秋口に図書館で予約を入れておいた目黒冬弥氏「メガバンク銀行員グダグダ日記」を速攻で読了。この手のシリーズはタクシー運転手など色々あるのは知っていたがメガバンク行員の仕事場には興味があった。岐阜の県図書にはないが市立図書館にはこの手の庶民的な本もあって、しかも人気で37人待ちで忘れた頃に順が回って来た。著者のM銀行はシステムトラブルが3度、とあるのでイメージしやすい。氏の入行から現在(50歳?)までが時間を追って一般的な行員生活が書かれてある。収益源が融資から手数料に変わっていくなど窓口で投信を進められた自身の記憶もたどりつつ銀行側の事情を改めて知る。お金に対する考え方、パワハラ、ヒエラルキ、転勤、出世コースなど悲喜こもごも。あまりよく知らない文系職場の代表格銀行内の、それが生産的かどうかは別として組織と業務がなかなか大変なことを知る。