連休中はどこにも行かず混雑を避けるべく18日(土)から有休にした21日(月)まで山梨の温泉に行く。交通手段からして岐阜から山梨は意外と遠い。新幹線を使えば東京駅まで2時間半もかからないので物理的距離以上に遠く感じどんな所なのか好奇心はある。18日(土)、朝5時半に出発し中央高速を甲府まで突っ走る。途中諏訪湖SAで休憩、八ヶ岳山麓からは正面に富士山が見えてこのルートはいい。JR甲府駅で東京から来る娘と待ち合わせる。晴れて陽射しも暑い30℃の予報、まずは昇仙峡という峡谷を山歩きする。下の駐車場から徒歩約1時間ほどで奇岩と渓流の最大の見どころに至ると観光客がぐぐっと増える。狭い道を上流から高校生くらいの大集団が続々と下りて来てすれ違う時「where do yo come from」と聞くと「from Taiwan」と引率の方が答える。おお、こんな所にもインバウンド修学旅行とは。松の生えた岩山と滝は水墨画に出てきそうな景観で美しい。昼食は「うどん」と「きしめん」のあいのこみたいなご当地料理「ほうとう」を食す。後に「ほうとう」屋は県内の至る所にあることがわかった。滝に近い道の両側には水晶をうる店が多くレトロ感・・むしろ怪しく寂れた感じがして先の高校生は満足したのだろうか?下る途中、娘は欄干にとまった糸トンボを撮る。駐車場に戻って甲府市街に戻る。途中に和田峠という九十九折の道脇の公園で富士山が見えるので撮影。富士の姿がいたる所から見えるのは実に良い。「武田神社」を回って湯村温泉のホテルに着。広い日本庭園のあるホテルは平屋の離れがあって将棋の対局などがあるらしい。実に久々の温泉に浸って疲れを取る。夕食、奥さんの誕生日が近いので娘はケーキを追加してくれていた。「ふじのすけ」という鱒が名物です、としきりに説明うける。
「甲府には囲む山あり自転車で十分走れば峠の入口」
(甲府駅前)
(和田峠、奥に富士山)
19日、曇り。富士山麓の峠を上り精進湖から樹海林を通って忍野八海に出かける。娘が運転してくれ少々ラク。忍野八海はこれぞインバウンドという激混みでパッと見外人客の方がが多いのではないか。そんなに良い所なのか?と思いつつ残念ながら富士山は雲に隠れて裾しか見えない。一通り湧水池と水路を見て回ったが風情と言うより中心部は混雑し観光どころではない。たこ焼き、串焼き、団子などがバンバン売れていて恐らくインバウンド客からはとってもお安く思えるのだろう。昼食の蕎麦を食べた後、河口湖畔でコーヒー休憩。ここも外人が次々と自転車で周遊している。娘が言うに東京はもっと凄いらしく岐阜市とは違う。やはりインバンドは偏在しているらしい。その後御坂峠を下り石和温泉に向かう。16時、石和温泉駅近くの宿に着。思っていたイメージと違い街の中にポンポンとホテルがあって温泉街という風情がない。それでも料理旅館発祥の宿らしく食事は良かった。奥さんと娘が「いいよ」というので薬石風呂に入ってみると熱気が熱過ぎ。10分と5分休憩を3セット繰り返したらヘロヘロで皆さんよく我慢できるなと不思議。汗とともに体の深底にある疲れまで出てきたようでその後しばらくの間体がだるい。
「おのおのが水に手をつけ確かめる湧水温度はやや上昇す」
(忍野八海入口)
(忍野八海中央)
3日目、夜中の雨が上がり晴れ。ホテルとしてはブッフェ形式の朝食のクオリティを特徴としているらしいが、昔より食べれなくなった。見回すと同世代の人よりも。去年お高いノルウエーのホテルでもそれは感じたがブッフェ形式で元を取るのは難しい年頃になってきた。朝食後にホテルの横に今が見頃のバラが咲き乱れる小道をしばし散歩してからゆっくりチェックアウト。奥さん期待の信玄餅工場を見学する。信玄餅はこの地では有名な土産らしいがきな粉餅のような感じ。最後はフルーツパークという山腹にある眺望の良い公園で昼食を取る。四方、高い山々に囲まれた扇状地が広がる。「ちょっと広すぎるけど、スイスのラウターブルーネン谷に似ているか?」南アルプスにつながる雄大な山々は岐阜ので見ている風景とは違う。公園は色々フルーツの木が見れて季節ごとに実りが入れ替わり意外と良い所かもしれない。石和温泉駅にまで下って中央線で帰る娘とここで別れる。車の運転で思うのは甲府周辺の道は狭いところが多く道路事情は岐阜に比べると良くない気がする。一方で岐阜には無い日銀支店があったり駅前の街路も立派な感じがしていい印象を受けた。18時30に帰着。
「夜半にふる雨は上がりて生き返る薔薇の小路の色の数々
(甲府盆地)
坂本龍一氏「ぼくはあと何回、満月をみるだろう」読了。昨年亡くなられた坂本龍一氏最後のエッセイ本を読了。図書館の予約が多すぎ購入した。昔「seldom illeagal」という本を読んだことはあるが記憶はほとんど無い。癌の治療中にインタビューの口述筆記であるので話し言葉で書かれていて文章は平易。一方内容的にはアーティストの固有名詞やスタイル、流派、特に現代アートの知識が無いと調べるために詰まる部分が多々。1度目の手術以降の活動、癌再発の経緯が本人の言葉で詳細に書かれているが苦しい闘病にもかかわらず受けるイメージは暗くない。音楽のことは当然、社会、文化全般に対する知識や認識の幅の広さには驚かされる。氏の現代アートの方向性にはついて行けず興味を失っていたが改めて「async」や「12」を聞く気になった。4月にインスタレーション舞台の「TIME」の京都公演を見たいと思ったが気付くのが遅くチケット売り切れだった。国内のアーティストが社会活動と距離を置き、営業への打算から発言を控えることが多いことに対し氏は自然、環境保護、原発に対しても後世の人に向けた発言と主張を出し続けたことなどなど、改めて規格外の幅広さを思い知る。