7月31日岐阜高島屋が閉店し全国ではデパート無し県の4県目に正式になったらしい。同日、ひと昔に退職した会社でその後規模縮小して継続されていた部署の解散会が岐阜駅近くで開催された。声をかけていただいたので参加する。退職後、実に10年ぶりにお会いする方も多い。少なくとも参加された方々は皆さんお元気で懐かしくお会いできてによかった。再就職やこれからのことに不安を口にされる方もおられたが、塞翁が馬。人生タイミングは色々あるとは思うが10年前とは違って今は半導体業界は一応人材不足と言われて、再就職事情は大分違っていると思うのだが・・。13年前にM&Aをした外資として半導体の開発部門は日本から撤退となる。既に退職していた同期の方にも久々に会って話ができ自身としては大変良かった。
8月1日、息子が一時帰国。中部国際便を運航再開したフィンエアを使用したので今回は21時に名鉄岐阜駅に迎えに行く。去年10月のウイーン以来の再会になる。一回り体が大きくなったように見えるのは気のせいか。東京でのインターンが主目的のため岐阜には1週間強の滞在になる。その間に親としてできる買い物に食事に東京の部屋の準備など約1週間に詰め込む。天婦羅「福田」という店、焼肉の「桔梗園」、大垣の水まんじゅうなどへ行く。最終金曜日には趣味のケーキを作ってくれる。桃が入ったフルーツケーキで本人曰はく「失敗したぁ」らしが全くもって美味しいので私にはどこに問題があるかわからぬ。3連休の初日8月10日(土)AMに奥さんと息子は共に東京に旅立ち娘殿と合流。
8月11日(日)、前回通行止めの看板で引き返した円原川伏流水の里に復讐の執念を持って再チャレンジする。本当に伏流水まで行けないのかどうか実地検証のため。AM5:30にスタートするも、昨日と同じく今日も殺人的暑さになるハズなので前回同様に比較的楽な平井坂峠を越えていく。平井坂で1人の健脚ロードに抜かれるが後ろを追いつつ峠を心地よくダウンヒルし一直線に谷合集落を抜けて行く。谷間を抜けてやがて前回の工事看板のY字路に着くが躊躇なく右側にコースを取る。一向に工事の気配もなく伏流水の里近くの駐車場までたどり着いたが7時そこそこの時間に結構な車が止まっている。意外にも京都、神戸、岡崎のナンバーもあってさてさて何があるのか??老若男女の大勢の人が川に入って三脚カメラを構えている。冷たくないのだろうか?歩いている爺さんに何を狙っているのかと問うと「コウボウですよ・・わかります?。。あの光のカーテンみたいなネェ」、「あ~光芒!?ホォ、そんなに凄いんッスかぁ!」と返す。確かに川霧が発生して朝日が木々の間から差し込んで幻想的に見える。ただ、自転車ではたまに見かける光景にも思う・・。そこから上流は確かに工事で車侵入禁止ガードがあるので横の隙間を自転車で抜けて少し走って伏流水現地に到着。ここも少ないとは言え数人カメラを持って歩いている。周囲の岩の間からドクドクと湧いている伏流水は確かに美しい。川霧が漂う中、汗ビタの体に水を浴びると冷たくて心地よい。帰路は一人のロードバイクの後ろについて途中まで下る。続々と登って来る自転車とすれ違いながら佐野坂峠に回って高富街道から無事帰着。知人曰はく、円原川光芒の里はyoutubeでも相当upされていると知り改めて良さを実感するが、昔来たときは人知れず鄙びた山峡だったので改めてインスタやyoutubeは偉大。
79.6km 3:47:03 20.8k/h max54.9k 獲得545m
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この日の最高気温37℃。集合住宅の断熱は優れていても日に焼かれて一旦構造物の鉄筋やコンクリートの温度が上がってしまうと夜でも冷めずエアコン付けっぱなし生活で、どうも体の疲れがとれない。この調子であと一ヶ月くらいの辛抱か。
「みしみしと我が肉叢(ししむら)が音鳴らす朝の散歩にするストレッチ」
「クーラーさまさまと君いうがクーラー無い世が普通の地球」
この日パリオリンピックが終わる。あまり関心湧かず見たのは結局、息子とTVerで見たロードバイクの男女くらいで他はほぼスルー、ニュースで成り行きを知るくらい。年齢のせいか関心が薄くなってきたのもあるが連日、高校野球も合わさってテンション高い口調で入れ替わりニュースを流されても気ノリもせず返って白けてしまう。その中で走り高跳びで5位になった岐阜出身の赤松さんの飄々淡々とした競技やその後の素振りが印象的に思えた。獲ったメダルは多いらしいが息子や娘らを見聞きすると若い世代が今一つ関心も高かったようには思えないのではあるが。
8月18日(日)永田淳氏歌集「湖をさがす」読了。河野裕子氏、永田和宏氏一家四人が歌人で日記のように毎日一首づつ詠んで一年間を通すというもの。河野氏「季の栞」永田和宏氏「某月某日」に続いて今回は永田淳氏の「湖をさがす」を読了。図書館に無いので購入。作品内容についてはさておき、正直言って最も難しく思われた。文語体で読解困難な古語、漢語を逐一調べつつ進むため読みの時間がかかった。湖=琵琶湖のことで京都洛北の山を越えて東に広がる湖は氏にとって大きな存在になっているらしい。私も自転車で米原の湖岸に到達した時に見る深く蒼く広い湖に「おおやっと来た」と心が躍った記憶がある。兎に角、難解も多かったので読みの滞留時間は長く、なんとなく理解した程度も多々あり。河野裕子氏の亡くなって間もない頃の悲しみを多く感じつつひとまず読了。
「限られた時間を生きて限り得ぬ時間を死なん桜はなびら」
「子を擲(う)ちし指先熱くなり始じむ正午を過ぎてゲラに向かえば」
「去年母の誕生日を祝いにき遠からぬ死を皆が知りいて」
「いくたびも怒られたりしよ幾度も励まされたりしよそして一年(ひととせ)」
「ミズヒキが小さく花を立てておりつぷりつぷりといずれも花弁」
「この身より出でゆくことのかなわざりその身を霖(りん)に打たせて帰る」
「背伸びして腕をのばせば星がまだつかめた頃の話をしようか」
「舌先に口内炎を触(さや)りいる母の枕頭にありしケナログ」