朝は寒いが昼間は暑いくらいで寒暖差が大きく清水川沿いの桜の木に花が咲いていて霜月になっても秋は順調とは思えない。少し前、今年のノーベル平和賞に被団協が決まったというニュースに関連して発表する委員会とともにオスロ市庁舎の映像が流れた。昨年はその前を歩いたのかと、懐かしい思いとともに庁舎内までは見なかったことに少し悔が出てきた。明るいニュースとは思うが、現状況は喜べるものでもなく受賞関係者のインタビューの受け答えもいたって冷静に見えた。
(秋の桜)
10月下旬、奈良大和西大寺の眼科に行き定期診断と再手術の予約と段取りなど決める。行きの電車の中で向かいの列の白人外国人カップルからこの電車は奈良に行くか?と聞かれ、「西大寺で乗り換えれば行けます」と英語で受け答えする。西大寺駅で乗り換えホームを教えると大変感謝され少しいい人の気分になる。
10月25日金、娘は友人の結婚式に帰って来た。出席者は大変だが名古屋の某式場は人気があるらしくコロナ以降半年待ちで平日の金曜になったと言う。翌土曜日の昼食に揖斐の奥にある「あまご亭」をかれこれ20年ぶり?に訪問する。まだ営業しているのをネットで確認し出発。揖斐川町から川沿いに揖斐川の山峡に入り久瀬方面へ左折し林道入口から車一台の道幅に入っていく。杉林の間をかなり登ると忽然と小さな建物と養殖池が現れる。意外と有名なのか愛知県のナンバー車2台とバイク2台が止まっている。あまごと鮎のフルコースに近いのを頼んだが、中でもあまごのから揚げが特に美味しくこれだけは別に追加しても良かったと思った。帰省した時に外食しても岐阜市内ではマンネリだったので娘にとっても驚きがあったようで良かった。帰路、娘の運転で横山ダムを回ってから戻る。
(から揚げ)
娘にしても息子にしても彼らの同級の友人らは岐阜を離れている人が多い様子。先月の新聞に岐阜県の若者の県外流出について記事があった。特に20代女性の県外転出超過数が他の世代と比べ突出しているらしい。名古屋が近いせいもあるが希望の職種や待遇が名古屋、東京圏にしかないのも理由と思われる。最低賃金の話もあるが昨今この差はますます拡大し厳しように思う。もっとも岐阜の会社には「昔ながらの慣習や古い体制の企業が多い」とか「しがらみが多く閉塞的」というそれ以前の理由が記事に載せられている。子らは帰省という形でしか帰ってくることはないのだろうと寂しさはあるが、それはそれ、自分の人生を生きてもらえば良い。今になって若者の人口流出を社会の不都合と嘆いても仕方ない。
3連休の二日目、11月3日(日)久しぶりに東農の旧東山道、神坂峠に出かける。遅いと言っても標高1500m付近では紅葉しているらしいので紅葉狩りを兼ねて長大なヒルクライムを軽量サイクルのGUSTOで試してみたくなった。AM4:00に起きて5時に出発、小牧東から中央高速で中津川まで。川横の市役所駐車場デポして7:00出発。上下長袖で頂上は寒いのでウインドウベストを持っていく。まずは起伏を越えて落合宿まで到着、馬籠よりマイナーとは言え宿場として風情はある。クアリゾート湯船沢までの登坂をこなしていると上から若いローディー集団がダウンヒルして頭を下げて挨拶しながらすれ違っていく。川沿いの道は記憶していたより厳しく汗が出てきた。湿度もあるし長袖は失敗だったか??右折して14kに及ぶ神坂峠のヒルクライムに入るとギアを24、27と軽くして以降は24-30Tを変えつつエッチラオッチラ登っていく。途中、狭い道に頂上のヘブンスソノハラの観光マイクロバスが2台抜いて行く。以降、恵那山登山客か次々と車が追い抜いていく。出発から2Hで休憩地点の強清水の湧き水小屋に到着しばし休憩。標高1100m、汗がしたたり空気の薄さもあるのか疲労をそれなりに感じる。ここからが激坂が続くので気合を入れて再スタート、最初からかなり厳しい。30Tで時速6Kmを切りヘロヘロでペダルを回し続ける。厄介なのは車が多いことで道の広いところで抜いてもらいつつ登るものの頂上近くのヘアピンカーブで悲劇が起きた。外車の大型SUVがカーブで追い抜いたタイミングで私の進路が狭まり逃れた路肩に積った濡れ枯れ葉で後輪が滑り右側に転倒。体の右側を打ったがすぐに立ち上がって自転車を確認し問題なさそうなのでそのまま続行。10:15頃に頂上に辿りついてから変速するとリアが27Tに入らないことに気づいた。リアディレーラが損傷してギアが変わらないらしい。フロントは大丈夫なので以降はフロントの変更のみで凌ぎ切る。神坂峠からヘブンスソノハラリフト下り場まで行ってみる。ここは昼神温泉からのロープエー客がゾロゾロハイキングをしている観光地でもある。黄色く色づいた形の良い木はカラマツだそうで見頃に近い。富士見台高原入口の山小屋「萬岳荘」に立ち寄ってコヒーをオーダーする。満席のテラスでは風が冷たく体が冷えるのでウインドウベストを羽織り暖かいコヒーをチビチビやる。老若男女、登山客ばかりで自転車は私一人、山の紅葉は丁度見頃で赤や黄色になっている。暫くして雲行が怪しくなったので下山を開始するとローディが一人登ってきたので会釈する。道々紅葉を撮りながらの下山も14Kmの急な坂道はブレーキを引く手も痛くなるほど長く、よくこんな坂を登ってきたと思う。道路が広くなる湯船沢から高速ダウンヒルしなんとか中津川まで辿り着く。打った右の臀部がズキズキするが何とか無事戻って来るということが出来たのは最低限の幸運かも。過去日記で2013年11月に来ているようで今回は軽量バイクにギアも30Tまであるので多少は楽に登れるつもりだったが大いに甘くヒルクライムでは体力以上に減量がものを言うと痛感する。帰り、中津川駅近くの「すや」にて栗きんとんをお土産として購入する。
57.42km 4:51:57 11.8k/h 55kmax 獲得1643m
https://strava.app.link/XfAyOeTxpOb
(カラマツ林)
(落合、中津川方面)
本日、永田紅氏の歌集「いま二センチ」読了。図書館で偶然見つけたので借りた。氏は永田和宏氏、河野裕子氏の長女で兄の永田淳氏も併せて歌人家族のメンバー。ある程度、事情を知った上で読むことになる。既に4冊の歌集があるようで、これが5冊目、年齢として30代後半(アラフォー)の頃に詠まれたものらしい。長女の出産前後、大学研究者のキャリアと生活の両立の多忙さが多々見られる。使われている言葉は前に読んだの永田淳氏に比べ平易で読みは進んだものの、なんとなく輪郭がややぼんやり、ほんわかしたように感じられた。それが良さなのかも知れないが中盤に秘密保護法に対する社会詠がありやや雰囲気が違たもになっている。歌には理系の言葉も多く登場しサイエンス研究者と歌人の二足の草鞋、これは永田和宏氏と同じスタイルである。
「年月に無限希釈をされながら負の感情は色をうしなう」
「個人的統計的に不吉なるオリンピックの年嫌いなり」
「母の歌の前庭にわれら日を浴びてまだ本当のさびしさを知らず」
「曼殊沙華白きにやはり覇気がなし初めから試合投げてるような」
「この家の昼間をひとり過ごしたる母思いたり今ごろになって」
「論文を出すはハーケン打つごとしまたしばらくは息がつけるよ」
「なすすべもなく変えられてゆく国に子どもを抱けり女の子なる」
「みどりごと呼ばるる時の短さの二度目の秋に髪そよぎおり」