「翔ぶが如く4」読了

32℃まで上昇した岐阜、夏さながらの天気の今日、司馬遼太郎全集38巻「翔ぶが如く4」読了しました。1から巻を追うごとにペースが上がって今回は速かったです。
明治維新の成り立ちから変遷、その後のどさくさから出てくる既得権の綱引き、些細な立場の違いが没落と浮上の分岐点になっている様子など時代と周囲を含んだ中で動く力学に流されながら運命が左右されていく姿が印象的でした。振り返ってみれば、同じ国の中で西日本と東日本で電気のヘルツがなぜ異なっているか?たまたま創世時期の権力闘争や好き嫌い、欲望含め極めて人間的でドロドロしい美しくもないものの遺産みたいなものでしょうか・・。
それより「書き終えて」と題して最後にあった著者の末筆の感想に、官僚国家体制は明治10年まで大久保利通にして作られ、昭和敗戦でも民主化されることなく営々と今日まで維持され、現の官僚体制維持が最も都合の良い政党と寄生集団として存在しているという節。まさに昨今のニュースの政治、金の問題の古臭い問題が根深く今日的な問題として発現しているように思えます。

さてさて、次はドストエフスキー罪と罰」を借りてきました。