ride:苦行アワイチ(155.98km)、湯河原温泉行、内田樹氏「沈む祖国を救うには」読了

先日姫路に帰省した際に姉から聞いた話から、故あってBS-TBSの「関口宏の一番新しい近現代史」という番組を見始めた。土曜の昼に毎週録画して奥さんと見ているがなかなか真面目にして面白い。高校で世界史を専攻したがこの辺りはゴチャゴチャする割にあまり詳しく授業ではやっていなかった気もする。毎回1,2年間の日本中心に世界史のポイントを掘り下げて解説するスタイルで司会の関口さんに加え解説役の二人の大学先生のボソボソとしたコメントが洞察鋭く何故そう言う行動に出たのか?背景に理屈ではない人間性を含めた解説が回を重ねるごとに面白くなってきた。当時の動きや情勢、判断は現在に通じるものがある。昔も今も人間そのものに違いはなく現代の社会情勢に向けたヒントが多いのではないか?地味でいい番組に思えて今は昭和初期、最初は明治維新から始まったシリーズらしいが早く見ておくべきだったと後悔する。

10月11日(土)、昨日から奥さんは子らと友人に会うために東京に行っている。三連休初日、死ぬまでにやっておきたいリストride編として「兵庫出身として淡路島一周はやっておかねばならんだろう」と、有名な通称「アワイチ」に出かける。朝3時に車に自転車を積んで日帰り予定の強行軍。山陽道垂水から明石海峡を渡ってデポ地の岩屋SAに到着。webに書いてあったオアシスパークの駐車場がよくわからず見回すとロードバイクを組み立てている車を発見し近寄って駐車。アワイチの要領を聞くとルートを教えてもらった。若い3人組だったが親切で写真を撮ってもらった。お礼を言ってお先にスタートする。時7:15、ちょっとした丘の上から下り道路の青い羽根を頼りにコースに入る。あいにくの曇り空で天気は良くない。淡路島の東海岸を南淡に向かって下っていく。道脇にパームツリーの木々が植えて南国的ムード。前方10人以上の集団走行に追いつきしばらくは連結して走らせてもらう。津名から洲本あたりで集団の前に出てお別れ。洲本の山の上、小さな城を発見。「エラク小さいが確かに城があったか?」兵庫県、郷土の地理で洲本城はあったような・・。洲本には旧会社の電池事業部があり一度出張で来た覚えがあるがそれ以外は無い。洲本から由良にかけて雲が低くなり小雨に会う。由良を越えると南淡の峠道、アワイチの難所区間、標高は大したものではないはずだが立川水仙の峠が始まる。距離は2km未満でも平均8%程度の斜度はなかなか大変だった。そこそこ余裕を持って登坂していると一人に抜かれる。頂上を越えて下った後にまた登りと予想外に長い。抜かれた後ろ姿を見ながら2番目のピークから下りに入り急坂のヘアピンカーブがでなんと!濡れた路面に後輪がスリップし右側に転倒する。「なんでか?!」と思いつつ状況を確認。ディレーラは無事そうでチェーンも落ちていないが右のブランケットが損傷している。幸運にもシフトでギアチェンジは出来たのでなんとか走行は可能そうに思う。それより体が痛い。右指から出血、肘と大腿も擦り傷に打撲あちこち。この先どうするか?帰れるか・・?状況は結構なピンチに思える。一台のローディー、大丈夫か?と声をもらったが「ええありがとうございます」とやせ我慢をしつつ思案。ヨロヨロ立ち上がり自転車を確認し、体の痛みを堪えてひとまず慎重に坂道を海に向かって下っていく。本来ならば美しい光景が始まる海沿い、岩屋までは残り100km、この際行ける所まで行く。残りは帰り着くことだけを目標に変える決心をする。南洋の台風のせいか海岸の波消しブロックに荒波が当たって道まで届く中を25k/hで走り続ける。次に灘という峠もクリアして玉ねぎ畑を見ながら11時前に賑わいのある福良の道の駅に到着し一休み。ここまで落車以外では休憩無かったので疲労あり。ベンチに座ってソフトと羊羹を2個食べながらウエアの出血を見た人に聞かれるので「コケちゃいました」と内心とは裏腹に自虐的に笑う。「あそこは転倒する人いるね」と、後で調べると危ない所みたいだ。桟橋には渦潮遊覧船が泊り湾の向こう岸には造船所のドックが見える。座っていると改めて打撲の痛みがアチコチ出てくる。残りは半分無事帰れるか?予断は許されない気もして早々に出発。一路鳴門大橋に向かうがまたも延々と登坂、いやいやアワイチは厳しい。登ったあとに少し下って建物が見えたので入っていくと玉ねぎオブジェがあったがバーガー屋は休業している様子。昼食もできず鳴門大橋の写真のみ撮る。福良で大勢いたローディはわずか一人しかいない。真のアワイチをやっている人は案外少ないのか?福良で話した人もショートカットと言ってた。空腹なので早々にスタート。アワイチは一般車道を走るので、手負いの身で次に何かあったらギブアップと用心する。ここからはサンセットライン、播磨灘を左に見ながら北上しほぼ海岸線沿いで時々山側に登る。コンビニを見つけておにぎり1個とコーラ。集落は秋祭りの最中で神輿を見る。対岸に遠くに高砂の高炉が見えてきた。昔、父は播磨灘に釣りに出てベラやアジを大量に釣って帰って来た記憶がある。春のイカナゴはあまり獲れなくなったらしいが。郷里兵庫を自転車で走っている感慨がしみじみ出てくる。北淡に入って有名店らしい美しい料理やスイーツの店が次々現れついに明石大橋が見えてきた。一人のローディーの後ろに付いて14:25に(ここまで走行時間は約6:25分)明石大橋に着。記念写真を撮り、横にいた人にはアワイチオブジェの所まで案内してもらい少しお話をしながら写真を撮る。三田から来た40代くらいの品の良さそうな人で、5回目だそうだが毎度アワイチの登りは厳しいと話された。最後にオアシスパークの丘に向かって朝とは違い暑い日差しの中を必死に帰り着く。ホット安らぎながら観光客の中でしばし呆けたようにコーラを2缶。出発前に会った若者はまだ戻っていない。なんとか無事に19時岐阜帰着。ウエアにアームカバー、レーパンを脱ぐと大腿、肘、胸に思いの外打撲や傷が酷く我ながら哀れな状態。キズパワーパッドを何枚も貼る。夕食用にSAで買った鯖寿司とアナゴ寿司がしみじみ美味しい。一瞬で最悪に落ちたとは言え救急車を呼ばずに100km帰って来れたのは救いだったか?。それにしても今年は不運の底がどん底に深い。まあどれも致命傷になってないのだが・・。
155.98km 7:03:44 22k/h 49.3kmax 獲得1227m

紀淡海峡

(洲本城)

(沼島遠望)

鳴門海峡

(慶野松原)

(コンビニ前に北前船高田屋嘉兵衛生誕の地)

明石海峡

(こちらは取り換えへ)

「落車して細きタイヤの頼りなさを知る雨の立川峠の下り」

「この痛みいかにかはせむ落車よりつづく苦痛が寝ても起きても」

流血のアワイチ以来、四六時中体は痛い。擦過傷+打撲+捻挫で熱っぽい日が続いたが医者には行かず大人しく療養する。傷が治り切らない10月25日(土)、湯河原温泉に出かける。息子殿の帰国以来家族四人が揃うことが無かったので卒業、就職、誕生日祝いなど兼ねて2か月前から計画していたもの。東京と岐阜の間の温泉地として湯河原を選んだ。当日はあいにくの本格的雨。真鶴駅小田急JRを乗り継いで来る子らと合流、元気な姿を見て何より。駅からタクシーで「うに清」という海岸沿いの料理屋に向かい昼食。晴れたら相模湾が美しい所らしいが小雨で霞んでいて真鶴岬めぐりも諦めるしかない。ここは評判の店らしく満席近い。新鮮な活け造りに加えてサザエやアワビ、ウニを追加しいずれも美味也。食後、湯河原駅に移動し小雨の中を万葉公園などを見て奥湯河原温泉までバスで登る。湯治客でバスは満員だった。万葉言葉で海石榴と書いてツバキと読む宿に入る。山間にある料亭旅館らしく奥はかなり広い。源泉58℃の塩化物硫酸塩温泉に早速浸かる。効能は打撲、キリ傷などと書いてあるのでまさに今の自分にピッタリ。露天風呂に浸りながら「あー温泉はええもんやなぁ~」と淡路で負ったまだ癒えぬ傷口に来るチリチリとした感じに湯の効能を実感する。

「湯のなかに目蓋をとぢて傷癒す煙たゆたふ雨の湯河原」

風呂上りにはハーゲンダッツアイスやジュースなどいただく。祝いの品も付いた夕食にはこの時期らしく松茸などが出され、量より質的で私らには丁度良かった。聞くと湯河原まではまだインバウンドがそう多くは無いらしい。フロントにはストーブが炊かれていて前日は冷え込んだとか。翌日、雨は止んだが相変わらず山に霧がかかっているのではゆっくり11時にチェックアウト。またまた激混みバスで湯河原駅まで行ってレンタカーを借りて元箱根まで登ると晴れ間が見える。ここにはインバウンド客が多い。関所付近の有料は避けて元箱根の湖畔の無料駐車場に停める。雲間に富士山の裾野が見える。箱根神社まで散策し写真など撮る。どうやらインバウンド客には湖面の鳥居が特に人気らしく撮影用に長蛇の列ができていた。うーむ、岐阜も長良川に鳥居でも立てると案外バズルかも。14時過ぎ湖畔で軽めの昼食の後、湯河原駅に下り17時。ホームで子らを抱きしめてまたしばしのお別れ。熱海からのこだま号は満席、行きもそうだったが新幹線の混雑、最近はそうなんだと実感する。両日、悪い天気予報の割には良い家族旅行になった。

(万葉の滝)

(海石榴)

(土瓶蒸し)

芦ノ湖

箱根神社鳥居)

内田樹氏「沈む祖国を救うには」読了。これも奥さんが借りていたものを連られ読みしたもの。今年の3月初版で新聞の広告が出ていたのだとか・・。情報としては今と変わらないだろう。統計上の経済的、人口的にも国力の分が悪くなってると危機感を報じられるようになったのは5年前くらいからか?どうして国が衰えて来たのかの説明を多種の事例を取り上げて状況分析をされているが残念ながら解決策、提言までは至らなかったと書かれている。何度も出てくるのは米国的な新自由主義の流れの中で「今だけ金だけ自分だけ」風潮が進み、民主主義を支えるコモンという公共財が崩れて社会的も貧しくなっていくという下りは斎藤幸平氏の考えにも通じるように思えた。知らない間に包摂的な社会が衰え弱肉強食の社会に移行しているのだと。昨今の社会保障費や急激なインフレにステルス増税も貧富の差の拡大の要因でその行く先には暗いものがある。氏はこれからの若者にチェンジを期待するようにも書かれているが振り返ってこの状況を子らの世代に引き継ぐ我々老荘世代の責任はどうなんだろうか・・。あとがきに「米国はじめどの国も崖っぷち?今は幸せ度が下がっている」と書かれているが2年前に見たノルウエーは平均所得も日本の倍で、街が清潔で安全、EVの普及も進み空気が騒音も少なかった。住んでみないとわからないがどこも同じようだというのは大雑把な感じもするが・・?。