迫間不動尊クライム(54.5km)、匂蕃茉莉、萩原博子氏「私たちはなぜこんなに貧しくなったのか」読了

五月連休もカレンダー通りなので巷の長期連休の間の2日も勤務。おまけにプロジェクトが再び並行するので連休の間も休みを時々休んでPCに向かうことになりそうな予感。始まる前から5類移行にアフターコロナの世間は渋滞だの電車混雑だの騒がしく気が散るのでTVニュースも見ない。
やっと4月28日に中間デザインレビューというのが終わり、29日は気晴らしに自転車に出かける。各務原の東に迫間不動尊という激坂で有名なところがあると聞いて行ってみたくいと思っていた。早朝5時台に出発、各務原の市街を走ることは稀で、つい先日大学時の友人が来て航空博物館を案内したが、そこそこ知られているこの博物館は自身としては二度目だった。土地勘がないので地図を頼りに県道を東進する。早朝は車も少なく曇天の涼しさにも助けられ順調に苧ケ瀬池に到着。ここを左に折れて北進するところで一回道を間違える。もとの道に戻って登坂が始まる。最初は2車線の立派な道でやがて頂上らしい三叉路に達して道を少し下ったところに激坂に向かうゲートを発見。自転車侵入禁止と書いてあるが、早朝でもあるし問題無しとゲート横をすり抜ける。最初からインナーローに入れて20%近辺と思われる坂をエッチラオッチラ登る。車一台分くらいに道は狭く圧迫感があり最初から思いやられる厳しさ、聞きしに勝る斜度がずーっと続く。やがてヘアピンカーブの上から中年男女のハイカーが6人ほどで下りてきた。既に汗だく必死の状態でペダルを回しながらすれ違いざま女性が、「ここってさぁー、自転車よかったっけェ?、知らんけど~!キャハハ・・」なんともやるせない言葉を浴聞いて張り詰めた気合はプツンと音を立てて切れ、ヘアピンカーブで足をつく。「なんや、「知らんけど」の使い方違うやろ・・」息も絶え絶えに思う。ぼーっと見ると結構な急坂で、自身として関西の暗峠とか傍待峠以来かも知れないと思う。そこからは気楽にペダルを回してゆっくり登っていく。薄雲の空を見ながら電波塔まで来てゴール。ツツジの花に鴬があちこち鳴いている。高温ピーカン天気でなくて良かった。休憩中に何人かのハイカーと挨拶したがここは各務原アルプスと言うトレッキングコースらしい。少し下ったところに「ぶどうの森」という看板の展望台があり名古屋駅のビル群が見えてまあまあ良いところに思った。急坂を下って関市に下りるつもりが何故か道を間違えて犬山に下ってしまい、仕方なく犬山城の下から木曽川CRに乗って帰宅、10時。さすがの激坂だったがペース配分もわかったので次はなんとかなるかも知れないが、リアのスプロケットは28Tから30Tにしたいと思い始める。
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同、29日の午後、娘が帰省して来て岐阜駅でピックアップ、その足で義父の入った介護施設を見舞う。先日ビデオ電話で息子と話した時の義父はまだ元気だったが、このところ発熱もあって様態が悪くなりつつあった。その後の数日を経て奥さんの親族が見守る5月3日に息をひきとられる。真に急なことで喪主となった奥さんのサポートをしつつ家族葬儀を含む一連の儀式や出来事で仕事どころでもなくり連休は瞬く間に終わってしまった。85歳、義父の家には今年も匂蕃茉莉(バンマツリ)の花が開いて甘い香りを放つ。この花を義父は好きだったそうで、家の庭はいっそう広く寂しく思われた。歩行が困難になってから一度自宅に帰りたいという願いを叶えるべく、アフターコロナで介護施設から車椅子で短時間の帰宅を検討していた矢先のことで、つくづくやれることは思い立った時にやっておくべきとの心残りあり。介護施設に向かう道路脇の花壇には何もなかったように春の花が咲く。

「緊張の記憶よ義父と初めての卓上挟みて会いしそのとき」

「炉の中に棺の義父を見とどけぬ いつかは果てる命といふもの」

「父と呼ぶひとは亡くなり匂蕃茉莉の香る庭からっぽの空」

本日、萩原博子氏「私たちはなぜこんなに貧しくなったのか」読了。本来この手の経済紙的な記事の本は読まないが、奥さんがよかったら読んでみたらと置いて行ったので、司馬遼太郎を置いてこちらの斜め読みを始める。私たちは・・・というところを、日本は・・、我が国は・・と置き換えて最近の円安、そのうち経常収支黒字もだんだん減っていくという話題はあちこちに出ている傾向の話で今どきは珍しくはない。数年前は、モノづくり日本の底力と持ち上げた話題も多かっただけにこの種の記事の信用度にも注意は要する。年金問題、大蔵省、バブル、消費税、シティバンク新自由主義などなど昭和から現代に続く問題シリーズの歴史と解説がわかりやすく読める内容。最後に肝心の「なぜ貧しく・・」というところの掘り下げがあっさり経済中心で語られているせいか納得感やや少ないように思える。ITや半導体の遅れにしてもどうか。もう数十年の昔、台湾の新竹工業団地の某社の社員駐車場にドイツ製高級車がズラズラ並んでいるのを見て、その当時ですら日本の電機会社より勢いがあると個人的に印象を持った。その認識は正しかったか?今は大きな差になって現実が見えている。経済とテクノロジは密接でいまだに理系、文系のコース分け教育や理系専門人材の給与水準が他国に比べて安過ぎ、などついていけなくなった理由は他に多々、教育や社会文化にも多岐にわたるように思われる。全ては後講釈という寂しさあり。