伊自良スカイウエイ周回ride(67.2k)大茂山周回ride(59.4k)梅雨入り遅々

五月末から週末は天気が良く週末毎に平井坂峠など岐阜市北辺の峠をあちこち巡っているがメールでやりとりしている年上の知人はもっともっと走っていて、自分にとっては無言の圧と言うか励ましになっていて今年の走行距離は順調に延びている。
6月1日(土)、前週のはじかみ林道に続き今週は伊自良スカイウエイ周回に出かける。日の出が早くなり朝5時台に起きて5:57にスタート、サマーウエアでは少々風が寒いのでウインドベストを着用する。伊自良川に沿って上流に辿りスカイウエイ分岐まで1時間5分。獣除けゲートを通って閉めて本格的登坂開始。24:30で登頂。時刻7時半、朝の空気は澄んで四方の山々を見渡し深く深呼吸。実に良い峠です。少し休憩して峠の下り、苔生す山林の道で滑らないように注意を配る。外山集落に下りてから金坂峠を登って根尾川沿いに出て木知原から再度県道79号に戻り直して鹿穴峠を高速でダウンヒル、50k/h以上ですっ飛ばして平地に下りる。10時に戻ってくると今日は小学校の運動会なのか近所がかしましい。少子高齢のご時世、小学校の活気というのはなかなか貴重に思える。
67.17km 3:19:04 20.2k/h max56k/h 獲得770m

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6月8日(土)今週は少しハードな大茂山を目指す。5:45にスタートし忠節橋を越えて本巣から県道167号と79号を走る。最初の鹿穴峠を超えて金坂峠の途中から大茂山林道に左折する。この山岳路は厳しいのでギアを21Tから24T、その後27Tに入れて峠の頂上の分岐点まで登り切る。ここから始まる電波塔への激坂道の入口にあるはずのチェーンが今日は外れている。普段ここで一旦チェーンをまたいでスタートする必要があり難儀するが、今回はギアを30Tに入れて勢いをつけで登坂開始。最初の激坂はスムーズにこなすと狭い山道をスルスルと登り切りベストタイムが更新できた。ここからは富士山が見えることがあると聞いたが本当なのか??見えん。晴天の伊吹山を見ながら林道を下って木知原からは先週と同じく鹿穴峠を通って帰着、9:30。

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59.42km 3:08:50 18.8k/h max53.0k 獲得862m

(西方、池田山方面)
その日の午後、散髪に柳ケ瀬に行く。隣のビルの高島屋は7月末で閉店になるのでサヨナライベントが始まっている。姫路出身の身としてはデパ地下の御座候を買い貯めるため売り場に行ってみる。既に長い行列が何度か折り返していて、向かい側の列から不意に声を掛けられて見ると同じマンションのご老輩の方がマスクをしている。「今日はアンタひとりかぁ?」さすがに大声で話されると気恥かしいがどうやら同じ目的で並ばれているらしい。「これは冷凍すれば当分は持つでねぇ」・・「御座候と神戸コロッケ恵那川上屋さんぐらいは岐阜のどぉっかに残ってもらいてぇーとおもおとるんだわ。」言われ相槌を打つ。開店47年らしく生粋の岐阜出身者でもないが寂しいことに変わりなし。

「手際よく御座候を詰める手の無駄なき動き じつと見ている」

「感傷はそれほどでもなくデパートの最終セールの列に加わる」

6月22日(土)ようやく梅雨に入る。稀に見る遅い梅雨入りだそうで今年は台風も少ないような気がする。岐阜市では目立たず寂しい限りのインバンド客、オーバーツーリズムが激しいところは大変らしい。インバウンド客の偏りはこの前の山梨でも大いに感じたが、忍野八海や河口湖の混雑に比べ甲府市内はそうでもなかった。ニュースでは姫路城の入場料をインバウンド客向けに上げるとか・・。昔、スイスやドイツでは観光税?あるいは宿泊税や施設入場に別料金を取られたと記憶があるし数年前に北米ボストンで娘が泊まったホテルで料金に税が0.5泊分近く付加されていて世の中厳しいものと聞いた覚えがある。ヨーロッパの鉄道パス、やスイスパスなど外国人向けに媚びるようなディスカウント値付けではなかった。それに比べ日本のJRの新幹線含む外国人向け周遊パスは不当なくらいお得(最近までは特に)なのは何故か・・?これこそドル連動方式で良い気がする。別料金は公平を害するという意見もあるらしいが人気がある観光施設では諸外国でも一般的ではないか?と思い、また公平ならJRの新幹線周遊切符を邦人にも開放してほしいと思う。

「インバウンド凄まじかりきウイーンを想えば岐阜は静かなところ」

(ウイーン岐阜は姉妹都市とか・・)

山梨行、坂本龍一氏「ぼくはあと何回、満月をみるだろう」読了

連休中はどこにも行かず混雑を避けるべく18日(土)から有休にした21日(月)まで山梨の温泉に行く。交通手段からして岐阜から山梨は意外と遠い。新幹線を使えば東京駅まで2時間半もかからないので物理的距離以上に遠く感じどんな所なのか好奇心はある。18日(土)、朝5時半に出発し中央高速を甲府まで突っ走る。途中諏訪湖SAで休憩、八ヶ岳山麓からは正面に富士山が見えてこのルートはいい。JR甲府駅で東京から来る娘と待ち合わせる。晴れて陽射しも暑い30℃の予報、まずは昇仙峡という峡谷を山歩きする。下の駐車場から徒歩約1時間ほどで奇岩と渓流の最大の見どころに至ると観光客がぐぐっと増える。狭い道を上流から高校生くらいの大集団が続々と下りて来てすれ違う時「where do yo come from」と聞くと「from Taiwan」と引率の方が答える。おお、こんな所にもインバウンド修学旅行とは。松の生えた岩山と滝は水墨画に出てきそうな景観で美しい。昼食は「うどん」と「きしめん」のあいのこみたいなご当地料理「ほうとう」を食す。後に「ほうとう」屋は県内の至る所にあることがわかった。滝に近い道の両側には水晶をうる店が多くレトロ感・・むしろ怪しく寂れた感じがして先の高校生は満足したのだろうか?下る途中、娘は欄干にとまった糸トンボを撮る。駐車場に戻って甲府市街に戻る。途中に和田峠という九十九折の道脇の公園で富士山が見えるので撮影。富士の姿がいたる所から見えるのは実に良い。「武田神社」を回って湯村温泉のホテルに着。広い日本庭園のあるホテルは平屋の離れがあって将棋の対局などがあるらしい。実に久々の温泉に浸って疲れを取る。夕食、奥さんの誕生日が近いので娘はケーキを追加してくれていた。「ふじのすけ」という鱒が名物です、としきりに説明うける。

甲府には囲む山あり自転車で十分走れば峠の入口」

甲府駅前)

和田峠、奥に富士山)

19日、曇り。富士山麓の峠を上り精進湖から樹海林を通って忍野八海に出かける。娘が運転してくれ少々ラク忍野八海はこれぞインバウンドという激混みでパッと見外人客の方がが多いのではないか。そんなに良い所なのか?と思いつつ残念ながら富士山は雲に隠れて裾しか見えない。一通り湧水池と水路を見て回ったが風情と言うより中心部は混雑し観光どころではない。たこ焼き、串焼き、団子などがバンバン売れていて恐らくインバウンド客からはとってもお安く思えるのだろう。昼食の蕎麦を食べた後、河口湖畔でコーヒー休憩。ここも外人が次々と自転車で周遊している。娘が言うに東京はもっと凄いらしく岐阜市とは違う。やはりインバンドは偏在しているらしい。その後御坂峠を下り石和温泉に向かう。16時、石和温泉駅近くの宿に着。思っていたイメージと違い街の中にポンポンとホテルがあって温泉街という風情がない。それでも料理旅館発祥の宿らしく食事は良かった。奥さんと娘が「いいよ」というので薬石風呂に入ってみると熱気が熱過ぎ。10分と5分休憩を3セット繰り返したらヘロヘロで皆さんよく我慢できるなと不思議。汗とともに体の深底にある疲れまで出てきたようでその後しばらくの間体がだるい。

「おのおのが水に手をつけ確かめる湧水温度はやや上昇す」

忍野八海入口)

忍野八海中央)
3日目、夜中の雨が上がり晴れ。ホテルとしてはブッフェ形式の朝食のクオリティを特徴としているらしいが、昔より食べれなくなった。見回すと同世代の人よりも。去年お高いノルウエーのホテルでもそれは感じたがブッフェ形式で元を取るのは難しい年頃になってきた。朝食後にホテルの横に今が見頃のバラが咲き乱れる小道をしばし散歩してからゆっくりチェックアウト。奥さん期待の信玄餅工場を見学する。信玄餅はこの地では有名な土産らしいがきな粉餅のような感じ。最後はフルーツパークという山腹にある眺望の良い公園で昼食を取る。四方、高い山々に囲まれた扇状地が広がる。「ちょっと広すぎるけど、スイスのラウターブルーネン谷に似ているか?」南アルプスにつながる雄大な山々は岐阜ので見ている風景とは違う。公園は色々フルーツの木が見れて季節ごとに実りが入れ替わり意外と良い所かもしれない。石和温泉駅にまで下って中央線で帰る娘とここで別れる。車の運転で思うのは甲府周辺の道は狭いところが多く道路事情は岐阜に比べると良くない気がする。一方で岐阜には無い日銀支店があったり駅前の街路も立派な感じがしていい印象を受けた。18時30に帰着。

「夜半にふる雨は上がりて生き返る薔薇の小路の色の数々

甲府盆地
坂本龍一氏「ぼくはあと何回、満月をみるだろう」読了。昨年亡くなられた坂本龍一氏最後のエッセイ本を読了。図書館の予約が多すぎ購入した。昔「seldom illeagal」という本を読んだことはあるが記憶はほとんど無い。癌の治療中にインタビューの口述筆記であるので話し言葉で書かれていて文章は平易。一方内容的にはアーティストの固有名詞やスタイル、流派、特に現代アートの知識が無いと調べるために詰まる部分が多々。1度目の手術以降の活動、癌再発の経緯が本人の言葉で詳細に書かれているが苦しい闘病にもかかわらず受けるイメージは暗くない。音楽のことは当然、社会、文化全般に対する知識や認識の幅の広さには驚かされる。氏の現代アートの方向性にはついて行けず興味を失っていたが改めて「async」や「12」を聞く気になった。4月にインスタレーション舞台の「TIME」の京都公演を見たいと思ったが気付くのが遅くチケット売り切れだった。国内のアーティストが社会活動と距離を置き、営業への打算から発言を控えることが多いことに対し氏は自然、環境保護原発に対しても後世の人に向けた発言と主張を出し続けたことなどなど、改めて規格外の幅広さを思い知る。

 

八講師城跡の峠(53.8k)、日坂峠長者平峠(60.7k)メルカリ策

5月連休はカレンダー通り、特に目立った予定も無く淡々と過ごし間の3日間は通常操業。仕事は顧客側理由で納期が多少延びたことにも多少救われる。

「連休も開けぬことなしPCに煩うことが在宅勤務」
4月29日(月)関ヶ原の西、滋賀県の霊仙岳の麓に八講師城跡の峠道がいいという話を聞いていたので出かける。車で大垣の赤坂まで行ってデポ。6:30にスタート。美濃赤坂から中山道をひたすら西進し関ヶ原から今須峠を越える。今須の西に司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズにも出てきた美濃近江県境の「寝物語の里」があり写真を撮る。柏原の宿から更に西進、一旦は醒ヶ井宿まで行って湧水と梅花藻を見る。いやーここの水路は一段と美しい。来た道を梓河内まで引き返し南側の山に分け入っていく。八講師城の看板を頼りに登っていく。杉の葉枝が落ちた道は10%程度の斜度が続き相当に長い。林業作業中のおじさんの横を抜けてそろそろ頂上かと思いつつ左足のビンディングのがグラグラしておかしいことに気がつく。うむっ、嫌な予感とともに左のビンディングがうまく外れず頂上に張ってある鎖の前でで転倒する。左足を見るとペダルと固定するシューズのクリートのネジが1つ落ちてグラグラになっている。やれ仕方なし、膝から出血するが大したことは無さそう。ここからは下りメインなのでビンディング無しでも支障は無いと思う。八講師城は更に登ったところらしい。正面に伊吹山が見えて眺望は大変良くいい峠に思う。道脇にワラビが何本も生えている。峠を下って中山道をデポ地の赤坂に無事帰還する。
52.8km 2:58:55 17.7k/h max37.8k 獲得943m
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「なにげなき溝を流れる水わずか国を分けたる寝物語」

(県境、寝物語の里)

(醒ヶ井の宿)

「遠目にも山肌しろき伊吹山禿ゆく野緑食む野生鹿」

(八講師城トレッキングルート奥は伊吹山

5月4日(土)晴れ、連休後半は揖斐川上流の日坂峠と長者平の峠を周回する。このコースは約2年ぶり。車で朝鳥公園にデポ。半袖とレーパンにベストを着用し6:30にスタート。揖斐川沿いを上流に向かって久瀬、藤橋の集落を抜けて行く。道の駅の駐車場は結構混んでいて特にバイクのおじさん軍団が多い。最近この道の延長線上に福井に抜けるトンネルが出来たせいか・・。横山ダムの斜面を登って坂内に向かう。日坂峠に左折して急登が始まる。確か以前も大変な思いをしたが案の定今回も最後の激坂は30Tのギアを使い果たして何とか日坂峠に到着。仰向けになって休んでいる横を福井ナンバーの青い車が通って行った。やっぱり冠山トンネル効果か?。昔の揖斐高原スキー場貝月ゲレンデの跡を見ながら日坂峠を下る。三叉路で長者平に向かう道に右折すると工事通行止めのバリケードが出現。折角ここまで来たので何とかならんか?よく状況観察した後、自転車を担いでバリケードの横の隙間、幅50cmほどの溝の上を歩くことを決断。道は崩れて崖になっていてバランスを崩すと危うい。10mほどを歩いて道が崩れ落ちている区間をクリア。「危うきに近寄らず」普通ならこういうリスク避けるべきところ。ここから上は工事のせいで車も来ない坂道を延々登って新緑の美しい頂上にゴール。軽ワゴンが1台、工事中の看板を指さして「行ける?」と聞かれたので「車じゃダメですよ」と答える。ここから長者平方面にスーパーダウンヒル、30分ほどで春日村を抜けて行く。さすがに連休、ロードバイクと次々すれ違いながら無事朝鳥公園に戻る。60.72km 3:44:06 16.2k/h max49.5k 獲得1217m
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(日坂峠)

(奥旧貝月ゲレンデ)

(長者平の峠)

5月3日(金)晴れ。義父の一周忌。葬儀が無宗教だったので法要など親戚一同のような儀式は無し。奥さんの妹殿が横浜から来て墓参り、義母の介護施設と巡る。義父の遺品の整理を春先から始めるものの膨大な量でチマチマやってられない。親類に引き取ってもらった後も残りは多く家具、座卓、床の間の置物、掛け軸、絨毯などコレクションに近いのが結構ある。仕方なく美術品商に来て見てもらう。以前は価値があったものも経済情勢や時代の流れで今は無価値になっているそうだ。一昔前は中国人がコレクターとしてこぞって買ったものも今は景気が悪くてダメらしい。国内では今どき和室が無い家も多く床の間が無くて茶器、置物、掛け軸の類の需要が無いらしい。この手の価値についてはさっぱり自分は分からない。可能なものを引き取ってもらい、残りは不慣れにもメルカリを立ち上げ花瓶など何点かを出品。ポツポツと売れていくが一連の発送までの手間も煩わしく得られる益とコスパはどうか・・?第一輸送費高騰の昨今、大きな家具類はムリと思われる。口酸っぱく終活の徹底を言っておくべきだっと悔い残るが後の祭り感ヒシヒシ。果たして自分の時はもっとマシにできるか・・。

九頭師坂峠寺尾千本桜峠(63.48km)憂春諸事多々

4月6日(土)、今年は遅れて開花した桜が満開になる。奥さん曰はく「花の数が少ないんじゃないの?」と。ボリューム感といい確かにそう見えなくもない。昨年末に納品したT12nプロセスのデザインの不具合見つかり大急ぎで修正、昨晩深夜までかかる作業でホトホト疲れる。微細化の進行で各検証シミュレーション時間も長くなり、修正法の正しさと副作用の有無をなんとか耐えて確認終わる。この日の昼、岐阜市街は道三祭りで人出多し。パン屋「かし是」近くの伊奈波界隈にも神輿などが出て所々に活気あり。花粉症?黄砂?なのかここにきて鼻炎が酷くなり内科で少し強めのアレロックを出してもらう。市街地には小さな赤いバスをよく見かける。昨年秋から始まった自動運転バスの実証実験らしい。スマホで予約すれば只で市内を循環できるので使いようによってはお得で一度試したいと思っているが暇と機会が無い。朝の散歩にてノラ猫シマちゃんに会う。コロナの在宅勤務になって初めて会った春からもう4年、たぶん5歳くらいと思われるがご健勝そう。

4月14日(日)昨日、最近のやることリストで懸案になっているロード自転車のタイヤ交換を実施。実はこの基本的作業があまり得意ではない。精一杯の力でタイヤをホイールに嵌め込む際に歳のせいか手の握力が無くなってスルッと滑った拍子に手をホイールに打ち付ける。あ痛た!・・2か所から出血多量、応急にキズパワーパッドを貼って手当。ああ、年取るってなぁいやだねえ、身に沁みる悲しみ。この日、コンチネンタルの新タイヤの試走を兼ねて岐阜の北にある九頭師坂と寺尾千本桜峠に出かける。6:30スタートし順調に北上、椎倉坂手前で同じ自転車ショップのウエアを着た人とすれ違う、巡航速度かなり速い。勾配9.8%の九頭師坂はもがきながらなんとか登坂。あれ、自己新更新・・。トンネル前に桜、さすがに葉桜が多い。洞戸側に下って寺尾千本桜峠を登り返す。ここもおおかた葉桜、その割に自転車もバイク軍団も車も多い。この時期桜より田舎家の庭の地面にある芝桜がピンクや白に美しい。峠を下り長良川沿いを走って10時に無事帰宅。

「「アレ、こんなとこにも桜あったっけ」九頭師坂トンネルおやすみ処」

63.48km 3:04:29 20.6km/h max45.4km 獲得標高460m

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新年度になりTV番組にも変化があり、ボーっとニュースを見た後で公共放送社の番組自己宣伝が次々長々と繰り返される。大リーグの大谷さんニュースも飽く無きまでに流され、ハテ、受信料のコストは・・と考えてしまう。一般にもっと大切なことは他にないのか?今どき「モノづくり大国の底力」とか懐古趣味のような新プロジェクト*もどうか?今年、賃上げ率は珍しく5%以上と言っても上げやすいい若い人中心でアラフィフ世代の賃金は伸びがチョビット?とか。ニュースになる大企業のコストダウン、リストラ人数も増えていてとりわけ壮年世代にとって環境は良くない印象がする。国境のないネット空間でデジタル小作人と言われ始めれば、さしずめGAFAMは中世のコロニー、荘園主に位置するのかもしれない。プログラムのコードをアルファベット記述するところからして伝統的にDX推進、デジタル人材創出というハードルを難しくしているのでは?と思う。

「タコ四つそれでも明るく読み上げる朝は必ず大谷ニュース」

「羽根布団の温度加減はむつかしく夢に汗かく卯月の夜明け」

干支の飾りに端午の節句に向けた人形飾りを加える。

4月26日(金)奈良の西大寺にある眼科に定期診断に行く。非常に混んでいる。さて追加の手術をいつ行うか?熟慮が必要。4月27日(土)明日の清流マラソン(ハーフ)に参加する大学の友人東京より来たる。メモリアルセンターで受付したあと「更科」に案内し岐阜のソウルフード冷やしたぬき蕎麦を食す。その後、犬山市まで移動し犬山城を見学。国宝で白帝城とも言われるが姫路城を知っているだけに少々小さいと感じるもののインバウンド客多し。城下を歩くと岐阜よりも道が混雑し明らかにインバウンド効果が見える。コーヒー店で休憩、近況話を多々。その後、宿まで送り明日の健闘を伝え別れる。

犬山城門)

罹患離難、開花前後、永田和宏氏「某月某日」読了

3月上旬、不運にもコロナに罹患。金曜仕事帰りの奥さんがまず発熱でダウン。保有していたコロナ検査キットを念のため使ってみると陽性反応。一気に家庭内シフト変更し土日の買い物と軽い食事など家事を自分一人でこなす。はて、どこまで持つか・・自身の免疫力を頼りに家事を続けて日曜午後に買い物から帰り着いたところ、疲れで何やら意識もボーっとなっていることに気がつく。運転中は気が張っていたせいだろう。体温計は既に37.5℃まで上がっていてダウン。うう、とうとうワクチンのご利益も切れ自分の免疫力も思ったほどでもなかったと寝床で嘆く。
2日目、翌月曜日、フラフラ歩いて近所の内科で一応陽性反応を確認、漢方など処方してもらい自宅でひたすら寝る。
3日目、昨晩最高38℃まで上がった発熱はようやく落ちつくが尚も頭痛が残る。
4日目、平熱に戻る、体はまだだるく喉と鼻おかしくなってくる。一足先に奥さんは回復してきたのであと1日くらいの辛抱だと良いが。。
5日目、木曜どうにか動けるようになり、長く休んでもいられず仕事を始めるものの体調思ったより悪く意識、頭の集中が悪く大して仕事にならず。仕事、一週間以上のブレーキはさすがに痛いと焦り始める。
6日目、金曜朝、朝食に味がしないことに気が付き暗然。味覚障害突如に来たる。試しに舌に辛子を塗りつけても全く味がしない。急いで内科に行って診てもらうが味覚障害の特効薬は無いらしい。「時間薬と言いますかぁ~まずは3週間、じっくり様子を見てください」と医師先生。何かと効能があるらしい亜鉛と漢方を処方され飲み続ける。味覚が無くなると食事に対する意欲も失せる。この3月、2月に比べて寒い日が多い。
4週目、3週間の地道な亜鉛漢方薬の効果なのかようやく味覚が戻り始める。治らなかった気管支炎っぽい咳やクシャミもやっと正常を自覚できるようになってた。長い越冬の穴ぐらから陽光のなかに這い出てきたような安堵を感じる。最新のJN1株というやつかも知れないが完全に治らないケースもある後遺症も含めると年配者にとってコロナは案外深刻かもしれない。

(夜明け一筋の雲の波)
健康と運気が下がったこの3月は散々だった。3月21日は冷え込み朝は薄っすら雪、ホトホト寒くて春が待ち遠しい。体力作り一環の朝夕の散歩でも加納清水川の標準木を日々監視を続けている桜の蕾はまだ堅く予報より存外遅れている。3月27日、晴れて暖かくなった一日。昼に駅で蕎麦を食べ、自転車で帰り道に桜の標準木に回ってみると「気象庁」の作業服を着た人が何人かと話している。「ほれ、ここもあそこも、五輪以上花は咲いとるがね」と老婆の声。「そうですね、この調子だと今日は開花・・かも。また15時に来ますので、その時に開花宣言できる・・かもです」と気象庁の人はかも、かも、と何度か言い去っていく。その日夕方、ニュースで開花宣言の現場が流れていた。但し自分の知っている中で一番早いのは天満宮の桜で既に二分咲き程度になっている。この日、ふるさと納税で4か月待った刃物で有名な関市の返礼品パン切包丁が届き少し嬉しい。さすがに関の刃物だけあってそれなりに人気らしい。

(早朝の雪)

(標準木)

天満宮

外出を控え気味だった数週間、ニュースで止まらない円安が連日報じられる。ドル150円近くまで多少変動はあっても一本調子に安くなっている。色々な解説はあるが国力や稼ぐ力が相対的に衰えているというのは前から言われていたこと。円安を助長する政策を10年も続けては当然の帰結かもしれない。今日のコストプッシュインフレを果たして賃金上昇がカバーできるか?ところで現職の会社も小さいながら顧客は海外が多く自ずとドルでの決済が多い。低金利に信用低下と円安進行中であればコストプッシュインフレ対策や国際的賃金価値の低下を抑えるべく福利厚生の一環でいっそのこと給与の数10%をドルで支払うようににできないものか?。巷ではNISA活用のオルカンという海外投資信託が流行し円売りされているようで皮肉な傾向は生活防衛術の一つにもなっている。
永田和宏氏の歌集「某日某月」読了。コロナの病床、寝る時間が長くその間、難しい長文は読む気がせず図書館に無く前に購入していた「某日某月」という歌集を読む。氏の6年前の歌集で2014年10月から1年間、毎日欠かさず詠むという日記的趣向になっている。その日その日の記憶をピン止めするように歌があると言われ、まさにそのような風景が歌集になっている。それにしても新幹線の中で「時速30首」と言われていたが、日々の科学者、教育者に歌人の多刀流生活に多忙なスタイルには驚かされる。社会的な発言もあり批判精神、反骨、突っ張りの姿勢などなど印象深い。
「若きらの英語のうまさはそれはそれ老人らしくゆつくり話す」
「厳しいといふ評判は望むところ厳しさに耐へ得ぬものの残れぬ世界」
「何よりも先に言葉が奪はれて言葉が民衆を追ひ立てるるのだ」
「この友を持ち得たことを率直にわが生涯の幸せと言はむ」
タンポポの絮(わたげ)がかすかにゆれてゐる網戸を通して来るものとして風」
「肩濡れて帰りきたるも侘しくて雨の七夕飲むこともなし」
「名が遺る遺すとふこと何ごとぞ失意のなかに人はただ死ぬ」

 

長良川河口堰往復(97.15km)、干支交代、森永卓郎氏「ザイム真理教」読了

2月の3連休の中日2月11日(日)、前回のリベンジ走行で長良川河口堰を目指す。日曜の朝は6:44時にスタート。晴れ西風少々、ウインドウストッパー上下に靴下2枚とシューズカバーで最大級の防寒態勢をとったものの若干まだ寒く感じる。前と同じく長良川河川敷の道を南下する。例の「背割り堤」の工事は土日はお休みだという情報を得たので自信を持って長良川左岸を背割り堤に向けて直進。予定通りゲート横をすり抜け自転車専用の「背割り堤」区間を入り追い風に乗って快適に立田大橋にまで走る。時間が早いせいかロードバイクにには遭わない。しばし休憩の後に木曽三川デルタの三角州を南下してJR関西線、近鉄ガード下を抜け国道1号は左折、長島駅をチラ見したあと長良川左岸に出てみると下流に大きな河口堰が見えてくる。9時過ぎに河口堰のたもとに到着。隣は「なばなの里」という施設があってちょっとした観光スポットかもしれないが時刻も早いので人影はない。河口堰の上を実際に走ってみると思っていた以上に巨大な建造物で幅と言い高さと言い、川の対岸までも相当な距離があった。南を見ると海と同じく広い川面と陽光の中に長島スパーランドの影が浮かぶ。北側は鈴鹿山系の藤原岳が荘厳に雪で白い姿を見せている。水深は相当に深そうで囂々という水流と強い西風の音以外何も聞こえずやや心細く感じる。「誰もいない・・もし地震が来て堰が崩れたらお陀仏やな」と思いながら早々に引き返す。そこからの帰路は強烈な逆風でヒイコラヒイコラペダルを回して木曽三川公園で一旦休憩して来た道を引き返す。ロードバイク数人に抜かれるものの後ろに付く元気も無くマイペースで20k/hそこそこで走行、12:20に無事帰着。往復97kmはそれなりに遠い。次は伊勢湾を目指すことになるが往復120kmくらいか。

99.25km 4:36:10 21.5km/h 獲得368m

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(河口堰たもと)

 

(伊勢湾方面)

 (北勢、藤原岳方面)

(背割り堤)

能登地震、その後もニュースは決まったように連日報じられている。脆弱な交通網が寸断されて援助が届いていない。6年以上も前にドローン用ICのデザインを海外顧客に出した記憶がある。最近ドローンによる調査や荷物輸送など技術の進歩やベンチャー企業などのニュースが頻繁流れていたこともあってこんな折こそ大活躍かと思いきや存在があまり出てこない。単に露出が少ないだけなのか?技術がイマイチなのか?離島や限界集落への輸送に活躍している姿を期待していたので少々残念な気がする。

晴れた休日の午後、干支の交代と桃の節句の人形を飾る。片づけ最中にオランダのスキポール空港で土産で買ったストロープワッフルが唐突に出てきて、あれ、すっかり忘れていた。早速コーヒーの上で温めて食べるとキャラメルとシナモンの味がコーヒの苦味によく合う。この2月は土日を含め少々忙しい。To Doアイテムの奥さんの実家の断捨離なども遅々として進捗が思わしくない。2月18日にマンションの総会があった。長期修繕積立金の計画の改善など何件か提案を行う。総会出席率60%以上は住人の関心が高く良い状態と思うものの輪番制の管理組合理事の役割についての理解や認識と責任はもう一つな気がする。管理会社の言いなりにならない力量を身につけないと住民の共有財産を守ることが難しいと思うのだが・・。

「西の山くうき温みて春霞、否スギやヒノキぞ油断はならじ」

立春をすぎれば陽射しは猛々しはやくも道は日影をえらぶ」

森永卓郎氏「ザイム真理教」読了。奥さんが図書館で十数人待ちで借りたが「今は忙しいから良かったら先に読んで」と言われ読み始める。著者は経済学者で新聞広告でも盛んに宣伝されている。内容は財政政策や国税の歴代の運営において財政均衡策が経典として広く布教され国内がマインドコントロールされて低成長の不幸に陥っているという問題が説明されている。話題の本にはなっているが第一の読後感としては「さてどうなのか・・うーん?」と半分疑問、消化不良を感じたのは自身も該当教の信者になっているからか?知識不足か?。MMT理論推しの氏の主張は財務省派の財政均衡主義と相反するものとして書かれている。現在の1600兆円の国債も1100兆の資産と通貨発行権500兆で実はトントンというのが氏の説明。にもかかわらずここ何回かの消費増税で個人の豊かさが奪われ国力の衰退を導いたというのはなんとなく同感。しかし、保有する100兆円の米国債は米国の手前自由に換金できるものでもないし、前政権が金融緩和の財政ファイナンスを実施していた時ですらGDP、国力低下が止まる気配もなかった気がするのでMTTが単純に良いというのも疑問に思う。まあ複雑な経済対策して業者が中間マージンを吸い上げるくらいなら減税が一番でその元をMMTで補うという考え方には賛成。過去のいきさつから経済学者O氏、N氏の過去記事を参照して逐一反論する文も長く書かれているがこの部分は分かりづらく冗長にも思えた。氏は現在癌の病と闘っておられるようで後世へ書き残す一環としての執筆らしい。所詮思うのは、理論はともあれ巷で起こっている脱税、政治資金やパーティ券問題などルール無視で後付けの都合でそれなりの理屈やルールを作っていくような昨今の事情は高尚な理論など関係ないレベルで、まずは社会的誠実性が社会の永続性の第一の問題に思う。

 

走り初め犬山往復(55.9km)木曽三川公園往復(90km)吉川宏志氏歌集「石榴花」読了

今年の走り初め。1月6日(土)奥さんは仕事始め早々に風邪気味、「初詣の伊奈波神社の混雑でうつされた」との自己分析、一人で掃除に洗濯、買い物の後昼食を作る。12:30に走り初めとして犬山往復にスタートする。予報は晴れ/曇りだったがどんより重たい雲が空を覆っている。木曽川に出て左岸に渡り江南から木曽川CRを東進する。今日は人が少ないと思いながら20kmほど走って犬山市内に入り、工事通行止めなので犬山頭首工ライン大橋を右岸に渡り川沿い道路から犬山遊園をグルリと回ってから成田山の坂を登ってゴール。6日でも初詣なのか人は多い。しかし不運にも空からポツポツ冷たいものが落ちてくる。ありゃありゃ天気予報、最近は良く外れる!!。しばし雨宿りで眺めている看板に今年の厄年が書いてあり自分も本厄らしい。その通りに早々に不運に会っている。20分ほどで小降りになったのでスタートするものの帰路は降ったり止んだりの繰り返し、前方遠く陽射しの帯が見えている養老山地を見ながらペダルを回すが既に全身はほぼ濡れて寒く、防寒レベルを上げたウエアにするべきだったと後悔する。一宮市の公園横で一旦止まって冷えて痙攣気味の足をマッサージ、かすかにスーッと品のある香りがしたと思うと近くに黄色の蝋梅が凛として早くも咲いている。ようやく笠松まで戻って来て雨が止み木曽川を渡って何とか帰り着く。冷えて足の感覚が麻痺し玄関を入ってシューズを脱ぎ踏み出した左の足首が思うように曲がらず滑って肩からドタッと廊下に倒れる。雪こそ降らなかったが気温5℃程の雨で冷え切った体は悲惨、その後左足の指先は親指以外が凍瘡(とうそう)、いわゆる「しもやけ」になってしまい無残な走り初めになってしまった。これで厄が落ちればいいが本厄恐るべし。
55.95km 2:39:45 21.0k/h 37.3kmax 獲得223m
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(蝋梅)

その後の1月22日(月)は晴れ、有休を取って長良川河口堰を目指す。先日、長良川左岸の河川敷道路がめでたく開通して堤防に登らずとも南濃平田町まで行けると情報を得たのでコースインスペクションついでに出かける。家事を終えた8:20スタート、河川敷をひたすら南下、やや追い風がある。西の養老、伊吹山系は白く雪をかぶった冬景色。河川敷は確かに「おちょぼ稲荷」に近い南濃大橋までノンストップで到達。ここから堤防道路に上がって背割り堤を目指すものの、背割り堤は工事中でガードマンが立ってニコニコしながら工事で通れないと宣告する。さすがに駄々をこねても詮無きことなので来た道を逆風に逆らいながら南濃大橋まで戻り長良川右岸に渡ってゲートで走りにくい自転車道路を南下して木曽三川公園まで到達。一連の無駄な動きで体力消耗と時間ロスのダメージが大きく今日の河口堰はあきらめてここまで。色鮮やかなパンジーが咲いている公園のなかの人はまばら、羊羹2個を食べて休憩、同じく若いロードバイク1台が休憩している。帰路は北西風に逆らいながら輪中集落の田園の中の農道を直進し、途中の平田町にあるこの地域の名物、川島屋の草餅を購入して無事13:50に帰着。目標の河口堰も行けず90km近くは大いに疲れる。
89.7k 3:57:15 22.6k/h 31.5kmax 
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長良川河口方向)

年初こそ暖かい日が続いたが寒気のもあり1月24日の早朝に積雪約10cm。以前はもっと降っていたが最近は年に1回ぐらいの積雪。早朝の散歩、清水川沿いには節分の赤鬼が雪を被っている。北陸も雪、能登地方の地震災害は甚大でまだ全貌は見えていないらしい。地震、同じく地方として他人ごとではない。自転車で行く寒村山中の集落も上下水道の事情は同じ。見れば岐阜の市内の古い昭和的建築物も耐震危険度は変わらないように見える。中心部、柳ケ瀬にある高島屋もビルの老朽化対策の費用が理由でこの7月に撤退が決まった。そもそも営業赤字だったとは言え利用してきた一市民としては手土産として見栄えのある紙袋が付いてくるデパートの消失は激痛に悲しい。長年の愛着も深そうな義母を施設にご機嫌伺いついでに話題を振ってみると「まぁー高島屋がのうなてっしもうたら・・もう柳ケ瀬はアカンわねぇ。周りにどえれぇ高けぇーマンションばっかポンポン建ててもねぇどうやね・・隣の奥さんが言わされたけど売れ残り多いに?市のエライ人ももうちょっと、よォー考えてもらわにゃアカンわねぇ・・」と元も子もない感想を言われる。約40年前くらい、姫路と岐阜は人口40万以上で似たようなものだったと記憶している。その後の合併など変遷を経て今は姫路の方が頭一つ出て、岐阜は40万人を切り最近は中心部も空き地が目立ち寂しくじり貧の傾向が目立つ。元気だった頃に同業者と毎朝モーニングに行っていた典型的岐阜の昭和世代、義母の話によると商売人多かった岐阜は地方都市にしては銀行や証券会社の取り扱い資産は多かったらしい。災害復興に地域復興もこのご時世、まずは金と資金次第のようで昭和柳ケ瀬全盛時の資産が頼りなのかもしれないが、まだ資産があるうちに高島屋を通行の多い駅前に移転させるくらいの思い切った策がないと・・街の価値も先々微妙に思う。

(玉性院の鬼)

図書館で奥さんが新着図書で見つけて「いいの借りてきあげた。良かったら読んでみたら」と言われたので読み始める。吉川宏志氏は塔の主宰で宮崎出身の方。母親が亡くなられる前後に詠まれたものを歌集にしたものらしく個人として重い出来事のあった時にあたる。題名、石榴花はアビアンスのことと書いてあったがサボテンのような植物のことらしい。普段の生活、実母の死の他、辺野古のデモなど社会的なものもある。
「時雨降る比叡に淡き日は射せり常なるものはつねに変わりゆく」
「貧しさも楽しかった、とああそれは過ぎたるゆえに言える言葉か」
「早春の道に小さく足縮め花より先に死にし蜜蜂」
「食べることできない人に贈るため花はあるのか初めておもう」

 

走納め金華山DW(22.28km)、百々ヶ峰登山(417m)、帰省及び同窓会

去年とは違い年末が近づいて年内は少々時間に余裕がある。12月28日は有休にして年末休みに入る。12月29日(金)に今年の自転車走り納め、時間も無くて金華山DWに行く。晴天、少々寒いくらいで走り易かったが走り納めとしては少々地味な感じで締めくくり。
22.28km 1:17:18 17.3k/h 獲得標高337m
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織田裕二のファンの奥さんが録り溜めたドラマを見始めたのでボーっと横で眺めていると岐阜の比較的近いところが舞台になっているのでおやおやローカルドラマか?と見る。「ガラパゴス」と言うドラマで再放送らしいが、岐阜県南部の南濃や美濃加茂の自動車部品工場が舞台になっていて、工場の品質不正を内部告発した労働者の殺人事件を追う刑事ものだった。「これって本当ににフィクションかㇸ!?」と思ったのは、時あたかも車会社の品質不正のニュースが日を追うごとに大きくなっているので、真剣に見始める。失われた・・・年の派遣労働事情周辺のドキュメントのような描写もあり、内部告発への対処も閉塞的な、いかにも村社会の縮図を見せていた。ぼんやりと思うのは昔の会社の一コマ。ISO9000とかTSxx認証の講習を何度か受けた時の講師役はおおかた自動車会社や電装会社の役職経験のOBらしい人で、威厳に満ちた話しっぷりで設計品質、工程フロー順守を一部品屋である半導体会社に対して重々しく説いていたのを思い出す。確かに一般論としては良いとしても・・と思いつつ聞いていたが今日、あちこちで発覚する品質問題が十数年以上前から続いていたとなると・・ISO云々の認証制度も外見上の体裁を整えた絵餅で内実は寒い弥縫策と矛盾が現場にはそこはかとなくあったのかもしれない。当のドラマの結末は勧善懲悪的爽快感がイマイチだったが奥さん曰はく、「最近のドラマにはよくあるパターン」で懲悪されないところにある意味リアリティがあるかも。
29日、無事帰国した娘が岐阜に帰省して来た。30日は暖かい晴天で朝から百々ヶ峰に行くことにする。ノルウエーで山歩きが趣味の一つになったらしく、山登りトラッキングアプリをスタートさせて登山開始。冬枯れた山道は歩きやすく約1時間少々で久しぶりに頂上まで登り切る。標高は417mで金華山は眼下に見えて名古屋駅のタワーは霞の中。昼食後、下りに正月飾り用のウラジロを二つほど採り、途中ヤマガラなどの野鳥に餌(ピーナッツ類)をやっている人を面白く見る。河野裕子氏「たったこれだけの家族であるよ・・」という歌を思い出し、娘や息子と行くこう言う機会は自分の健康年齢も考えると大切だと思う。

金華山方面)

晦日、義母を介護施設に年末の挨拶に見舞った後岐阜駅に近い「テト」という店でケーキを購入する。開店前に並ぶお目当てはガレットデロアというケーキでガメッと大量に買っていく人もいる。これはフランスで新年に食べるケーキらしい。昼は自分がニシン蕎麦を作る。お節料理は買わず作る労力もかけずいたって質素にする。元旦、伊奈波神社に初詣、午後ゆったりとガレットデロアを食べている時に地震で揺れる。かなり大きな揺れで震源能登、過去何度か地震があった地域で今度は相当大きいと思う。翌2日、名古屋JR高島屋に行って昼食と明日の姫路への帰省の手土産を購入する。その後、奥さんと娘は混み合うバーゲンセールへ突撃し私は岐阜へ帰る。

「除夜の鐘かすかに聞きをり闇のなか残されし時を独りみつめる」

伊奈波神社参道)

(ガレットデロア)
翌3日、朝6時半の電車で姫路に向かう。米原から新幹線で9時台に到着。母、兄夫婦、姉夫婦が集まり皆さん元気。早いもので父の三回忌はこの二月にやることになる。兄や義兄は既に年金世代で私から見ると少し羨ましい。今回、13時から中学の同窓会のある私は12時に実家を辞して姉夫婦の車で姫路駅まで送ってもらう。実に20年ぶりに同窓会に参加。すぐにわかる人、話の間に記憶が戻る人、覚えてなくて申し訳なかった人とさまざま。郷里を離れて40年、この先の人生において同窓に会うことはそうは無いはず。皆さんどういう人生を歩んでおられたか?楽しそうに話す方々の場面に参加できたのは良い機会だった。16時過ぎにお開き。参加率は20%程度で以前より少ないらしいが、参加されていなかった人のことなど昔を辿りつつで帰路に着く。姫路駅の地下で、一種のソウルフード御座候がなぜか担々麺屋を出しているのを見て驚く。

「白い人、おぼろげな人、薄い人 同窓会で生存を確認」

「我らもう下り坂やと言いながら努めて明るく同窓話す」

 

大茂山(440m)富有柿ride、金華山DWのrun、健康診断、司馬遼太郎氏「奈良散歩」読了

今年の健康診断は業務の繁忙期をさけるため例年より遅れて12月11日に設定する。その日までの3週間くらいは脂肪の燃焼を加速するための重点期間として週一の運動に負荷を一層かけるようにする。
まず初めに勤労感謝の11月23日は大茂山に自転車ride。朝6:30にスタートし岐阜大学の横を通って県道91号から県道167号へトラバースし鹿穴峠を通って金坂峠の途中から大茂山方面に左折する。この金坂峠で一人のロードバイクに抜かれる。気にせずマイペースで大茂山の峠道を登って最後の電波中継基地への枝道の入口にあるチェーンを跨いで更なる急坂の滑りやすい松の枯れ葉を踏みしめながら登って無事にゴール。周囲はクヌギが多く枯れ枝になって紅葉は美しくもない。下りは慎重に根尾川の谷に向かって下っていく。国道157号で本巣、糸貫の集落を抜けながらこの地方が発祥の名産の富有柿を安く買うため道沿いにある無人販売店を見ながら帰る。値段は3,4個一袋の100円が最もお得。数人の高齢者が車を止めて物色しているところで柿を二袋購入する。辺りは柿の木畑が多く実をつけた柿林の道を帰る。
54.31km 3:07:07 17.4k/h 獲得747m
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それ以降、毎週末に短時間でより負荷の大きいrunを中心にする。11月25日に続き12月2日も金華山DWにrun。このところ晴れつづきで少雨の気配がある。6時前にスタート、岐阜駅の東を北上し柏の杜公園から登坂開始、気温が低くて走りやすい。40分ほどで展望台到着、夜明け前でもう少し上に行って日の出の写真を撮る。早々に下り始めると、道の上の紅葉の色づきが良く里の秋も本番。旅の前後、9月、10月と走っていない間に同コースのstravaでローカルレジェンドは獲られた挙句、今は7回ほどの差がついてしまってあきらめムード。
10.12km 1:29:14 8:49/km 獲得149m
https://strava.app.link/YOWpIZ7rZFb

帰着後、掃除をしてから買い物に出かける。そのついでに里の秋を鑑賞するため、長良地区の雄日ヶ丘公園へ行って銀杏の紅葉を見る。この公園の銀杏は良いタイミングで色づきも良く美しかった。同じ長良地区にある山田珈琲に行って珈琲豆を購入する。安くはないがここの豆は香りも良いと思っている。今回は試飲した「オペラ」という豆を購入。山田珈琲から伊奈波神社近くのパン屋「かし是」を巡る自分らにとって黄金の買い物ルートを通って帰ってくる。昼食後に買ってきた焼きたてパンにコーヒーを淹れて細やかに楽しむ。

12月11日、問題の半日ドックが午前中に終わる。昨日は断食と献血までして臨んだ最も重要な体重測定は残念ながら300g去年を下回れずに終わる。良くは無いが300gは仕方ないとあきらめの心境。「これ以上太るべからず!」と厳しく奥さんから言われているが、仕事もストレスフルだとなかなか思うにまかせない。しかし、あのバリウムを飲む検査は不快さの割に効果が小さいようで意味に大いに疑問で来年から胃カメラに切り替えることを考える。

山茶花のよこにアカシアこの冬の稀なる暖をわけ合う如く」

「養老に雪雲かかりて風つよし銀杏公園そろそろ見頃」

(雄日ヶ丘公園)

司馬遼太郎氏「奈良散歩」を約3か月かかって読了する。祝園時代に奈良は近かったこともあって割と知っているので読みやすいかな?と思って始めたが、内容は仏教伝来と東大寺の華厳教の宗教史にまつわる記述が多く、いつもの紀行文的なパートが少なく四苦八苦。談山神社東大寺界隈など観光地としての知識はあったが春日大社興福寺藤原氏の社寺であったことを知る。インド大乗仏教の伝来、于?国(うてんこく)、二月堂の修二会など私には難しい内容だった。漠とした理解しか持っていなかったが天平時代に大陸との交流や渡来人によって大仏や仏教文化が形作られたことは自身にとっては新しい理解になった。それにしても、祝園6年の間に修二会(二月堂お水取り)を一度も見ずに終わってしまったことを少々悔やむ。

浜名湖一周87.19km+宇利峠+本坂峠、司馬遼太郎氏「近江散歩」読了

帰国後数日で業務は並走する2本のうち1個目のプロジェクトはデザインレビューを経てTSMC向けに無事TO(tape-out)終える。2個目の先端プロセスに集中するものの、FFET構造のレイアウトが困難でやや遅れ気味で年末まで気が抜けない。時差ボケ、ジェットラグに比較的耐性があると思っていたが、今回ばかりは酷く2週間ほどは睡眠も悪くて心の疲れがとれず精神力も売り切れた状態で調子が上がらない。アクセク疲れた後の土日がアッと言う間に過ぎてしまうものの遅れがあって休みを取るわけにもいかず、なんとか風邪をひかないように数週間は葛根湯などを飲んで耐え忍ぶ。

体調が徐々に戻っていく10月27日、年一回の眼科の定期健診で奈良の西大寺にある眼科病院まで行く。術後の副作用の進行もあり半年後に再検査となる。西大寺駅の西側は新しいロータリに生まれ変わっていた。帰りは、近鉄の特急で大和八木経由で名古屋から帰る。車窓から遠く小さく青山高原の風車を懐かしく見る。榊原温泉にデポして自転車で風力発電青山高原に登ったのは約20年近く前、確か帰りにパンクして酷い目に会ったことも。あの頃は野心的に次々と峠をハントしていた。
10月28日に旧会社のOB会が4年ぶりに岐阜駅近くであった。コロナ感染の前以来でその時に比べ参加者が少なくなっていたようで少し寂しい気もしたが懐かしい方々に会う。10数年前までは半導体産業の従事者で既に50歳を超えた方々がほとんどだが、私どものようにまだ半導体業界にぶら下がっているのは珍しいケース。話した人から「今の半導体はどうなんですか?経済安全保障とかで求人がえらい増えてるんですか?これが10年早ければ良かったのに・・」と口々聞かれる。その通り、もう十数年早ければ状況もずいぶん違うし、行く道が変わった人がいるかも知れないと思いつつ、「製造装置は別として、あの頃も今も他国の相対速度から見てそんなに復活は甘くは無いと思うんやけどね・・」と濁す。
11月3日(金)3連休の初日、朝4時に起きて車に自転車を入れて浜名湖を目指す。ハマイチ、浜名湖一周はいつかはやってみたいと思っていた。浜名湖一周では物足りないので西にある峠を2つ登ってから一周することにする。6:30にデポ地点の三ケ日の役場に到着。澄んだ晴天で無風に近い好条件。浜名湖から登る日の出を撮る。まずは1個目の峠、宇利峠(154m)を目指す。高速道路沿いのみかん畑の中の県道を登ってほどなくゴール。眼下に浜名湖が朝日で光っている。一旦下って、新城方面の国道を登り返しトンネルが現れると、右側の旧道に折れて更に登る。ここは人気の無い道で昨今熊の出没もあるので注意しながら登っていくと旧道のトンネルが現れゴール、本坂(330m)。
峠から一気にダウンヒルして浜名湖周回道路に入る。

「昇る日の温みを背にうけ三ケ日の蜜柑畑を銀輪のぼる」

「風もなく自転車日和の浜名湖をめぐる人無き日の出るころ」

浜名湖朝日)

(宇利峠)

(本坂峠)

ハマイチとして一応コースが設定されているが、欧州で見た立派な自転車道は無くて車が横をかすめて通る車道の左端を注意深く南下していく。やがて湖南の新居関まで来て休憩。関所跡、今日は無料開放日らしいが特に見るもの無く10時なので早々に出発。弁天島のところで横に新幹線が通っているので懐かしい気分で写真を撮る。ここは車窓から見る思い出深いポイントでここを過ぎると大方は睡魔に襲われていた。間近で見る浜名湖の水は思ったより澄んでいた。舘山寺に向けて国道を左折。湖岸をずーっと走るわけでもなく時々内陸部でコース表示が無くなり、どうもハマイチは走り難い。舘山寺から湖北に出てアップダウン繰り返し三ケ日に12:40無事戻る。帰路、インター前で浜名湖名物の鰻を食べて帰るが、期待に反して岐阜の方が美味しいと感じた。
87.19km 4:34:22 19.1k/h 獲得872m
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司馬遼太郎氏「近江散歩」読了。欧州旅行にも持って行ったがあまり読めず、同時に「奈良散歩」も借りているが長々3か月ほどかかる。街道を行くシリーズでは近江は2度目らしく、今回は岐阜県境や湖東湖南がメインとなっていて割と馴染みがある場所なので興味を持って読めた。寝物語の里は近江と美濃の境で中山道今須の宿場近く、国友鉄砲の里も長浜近くでいつか自転車で訪れてみたい場所の仕入れになった。この付近でも知らない場所が多く、車でなく自転車の速度でしか見えないものも多々あるので。