罹患離難、開花前後、永田和宏氏「某月某日」読了

3月上旬、不運にもコロナに罹患。金曜仕事帰りの奥さんがまず発熱でダウン。保有していたコロナ検査キットを念のため使ってみると陽性反応。一気に家庭内シフト変更し土日の買い物と軽い食事など家事を自分一人でこなす。はて、どこまで持つか・・自身の免疫力を頼りに家事を続けて日曜午後に買い物から帰り着いたところ、疲れで何やら意識もボーっとなっていることに気がつく。運転中は気が張っていたせいだろう。体温計は既に37.5℃まで上がっていてダウン。うう、とうとうワクチンのご利益も切れ自分の免疫力も思ったほどでもなかったと寝床で嘆く。
2日目、翌月曜日、フラフラ歩いて近所の内科で一応陽性反応を確認、漢方など処方してもらい自宅でひたすら寝る。
3日目、昨晩最高38℃まで上がった発熱はようやく落ちつくが尚も頭痛が残る。
4日目、平熱に戻る、体はまだだるく喉と鼻おかしくなってくる。一足先に奥さんは回復してきたのであと1日くらいの辛抱だと良いが。。
5日目、木曜どうにか動けるようになり、長く休んでもいられず仕事を始めるものの体調思ったより悪く意識、頭の集中が悪く大して仕事にならず。仕事、一週間以上のブレーキはさすがに痛いと焦り始める。
6日目、金曜朝、朝食に味がしないことに気が付き暗然。味覚障害突如に来たる。試しに舌に辛子を塗りつけても全く味がしない。急いで内科に行って診てもらうが味覚障害の特効薬は無いらしい。「時間薬と言いますかぁ~まずは3週間、じっくり様子を見てください」と医師先生。何かと効能があるらしい亜鉛と漢方を処方され飲み続ける。味覚が無くなると食事に対する意欲も失せる。この3月、2月に比べて寒い日が多い。
4週目、3週間の地道な亜鉛漢方薬の効果なのかようやく味覚が戻り始める。治らなかった気管支炎っぽい咳やクシャミもやっと正常を自覚できるようになってた。長い越冬の穴ぐらから陽光のなかに這い出てきたような安堵を感じる。最新のJN1株というやつかも知れないが完全に治らないケースもある後遺症も含めると年配者にとってコロナは案外深刻かもしれない。

(夜明け一筋の雲の波)
健康と運気が下がったこの3月は散々だった。3月21日は冷え込み朝は薄っすら雪、ホトホト寒くて春が待ち遠しい。体力作り一環の朝夕の散歩でも加納清水川の標準木を日々監視を続けている桜の蕾はまだ堅く予報より存外遅れている。3月27日、晴れて暖かくなった一日。昼に駅で蕎麦を食べ、自転車で帰り道に桜の標準木に回ってみると「気象庁」の作業服を着た人が何人かと話している。「ほれ、ここもあそこも、五輪以上花は咲いとるがね」と老婆の声。「そうですね、この調子だと今日は開花・・かも。また15時に来ますので、その時に開花宣言できる・・かもです」と気象庁の人はかも、かも、と何度か言い去っていく。その日夕方、ニュースで開花宣言の現場が流れていた。但し自分の知っている中で一番早いのは天満宮の桜で既に二分咲き程度になっている。この日、ふるさと納税で4か月待った刃物で有名な関市の返礼品パン切包丁が届き少し嬉しい。さすがに関の刃物だけあってそれなりに人気らしい。

(早朝の雪)

(標準木)

天満宮

外出を控え気味だった数週間、ニュースで止まらない円安が連日報じられる。ドル150円近くまで多少変動はあっても一本調子に安くなっている。色々な解説はあるが国力や稼ぐ力が相対的に衰えているというのは前から言われていたこと。円安を助長する政策を10年も続けては当然の帰結かもしれない。今日のコストプッシュインフレを果たして賃金上昇がカバーできるか?ところで現職の会社も小さいながら顧客は海外が多く自ずとドルでの決済が多い。低金利に信用低下と円安進行中であればコストプッシュインフレ対策や国際的賃金価値の低下を抑えるべく福利厚生の一環でいっそのこと給与の数10%をドルで支払うようににできないものか?。巷ではNISA活用のオルカンという海外投資信託が流行し円売りされているようで皮肉な傾向は生活防衛術の一つにもなっている。
永田和宏氏の歌集「某日某月」読了。コロナの病床、寝る時間が長くその間、難しい長文は読む気がせず図書館に無く前に購入していた「某日某月」という歌集を読む。氏の6年前の歌集で2014年10月から1年間、毎日欠かさず詠むという日記的趣向になっている。その日その日の記憶をピン止めするように歌があると言われ、まさにそのような風景が歌集になっている。それにしても新幹線の中で「時速30首」と言われていたが、日々の科学者、教育者に歌人の多刀流生活に多忙なスタイルには驚かされる。社会的な発言もあり批判精神、反骨、突っ張りの姿勢などなど印象深い。
「若きらの英語のうまさはそれはそれ老人らしくゆつくり話す」
「厳しいといふ評判は望むところ厳しさに耐へ得ぬものの残れぬ世界」
「何よりも先に言葉が奪はれて言葉が民衆を追ひ立てるるのだ」
「この友を持ち得たことを率直にわが生涯の幸せと言はむ」
タンポポの絮(わたげ)がかすかにゆれてゐる網戸を通して来るものとして風」
「肩濡れて帰りきたるも侘しくて雨の七夕飲むこともなし」
「名が遺る遺すとふこと何ごとぞ失意のなかに人はただ死ぬ」