走り初め犬山往復(55.9km)木曽三川公園往復(90km)吉川宏志氏歌集「石榴花」読了

今年の走り初め。1月6日(土)奥さんは仕事始め早々に風邪気味、「初詣の伊奈波神社の混雑でうつされた」との自己分析、一人で掃除に洗濯、買い物の後昼食を作る。12:30に走り初めとして犬山往復にスタートする。予報は晴れ/曇りだったがどんより重たい雲が空を覆っている。木曽川に出て左岸に渡り江南から木曽川CRを東進する。今日は人が少ないと思いながら20kmほど走って犬山市内に入り、工事通行止めなので犬山頭首工ライン大橋を右岸に渡り川沿い道路から犬山遊園をグルリと回ってから成田山の坂を登ってゴール。6日でも初詣なのか人は多い。しかし不運にも空からポツポツ冷たいものが落ちてくる。ありゃありゃ天気予報、最近は良く外れる!!。しばし雨宿りで眺めている看板に今年の厄年が書いてあり自分も本厄らしい。その通りに早々に不運に会っている。20分ほどで小降りになったのでスタートするものの帰路は降ったり止んだりの繰り返し、前方遠く陽射しの帯が見えている養老山地を見ながらペダルを回すが既に全身はほぼ濡れて寒く、防寒レベルを上げたウエアにするべきだったと後悔する。一宮市の公園横で一旦止まって冷えて痙攣気味の足をマッサージ、かすかにスーッと品のある香りがしたと思うと近くに黄色の蝋梅が凛として早くも咲いている。ようやく笠松まで戻って来て雨が止み木曽川を渡って何とか帰り着く。冷えて足の感覚が麻痺し玄関を入ってシューズを脱ぎ踏み出した左の足首が思うように曲がらず滑って肩からドタッと廊下に倒れる。雪こそ降らなかったが気温5℃程の雨で冷え切った体は悲惨、その後左足の指先は親指以外が凍瘡(とうそう)、いわゆる「しもやけ」になってしまい無残な走り初めになってしまった。これで厄が落ちればいいが本厄恐るべし。
55.95km 2:39:45 21.0k/h 37.3kmax 獲得223m
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(蝋梅)

その後の1月22日(月)は晴れ、有休を取って長良川河口堰を目指す。先日、長良川左岸の河川敷道路がめでたく開通して堤防に登らずとも南濃平田町まで行けると情報を得たのでコースインスペクションついでに出かける。家事を終えた8:20スタート、河川敷をひたすら南下、やや追い風がある。西の養老、伊吹山系は白く雪をかぶった冬景色。河川敷は確かに「おちょぼ稲荷」に近い南濃大橋までノンストップで到達。ここから堤防道路に上がって背割り堤を目指すものの、背割り堤は工事中でガードマンが立ってニコニコしながら工事で通れないと宣告する。さすがに駄々をこねても詮無きことなので来た道を逆風に逆らいながら南濃大橋まで戻り長良川右岸に渡ってゲートで走りにくい自転車道路を南下して木曽三川公園まで到達。一連の無駄な動きで体力消耗と時間ロスのダメージが大きく今日の河口堰はあきらめてここまで。色鮮やかなパンジーが咲いている公園のなかの人はまばら、羊羹2個を食べて休憩、同じく若いロードバイク1台が休憩している。帰路は北西風に逆らいながら輪中集落の田園の中の農道を直進し、途中の平田町にあるこの地域の名物、川島屋の草餅を購入して無事13:50に帰着。目標の河口堰も行けず90km近くは大いに疲れる。
89.7k 3:57:15 22.6k/h 31.5kmax 
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長良川河口方向)

年初こそ暖かい日が続いたが寒気のもあり1月24日の早朝に積雪約10cm。以前はもっと降っていたが最近は年に1回ぐらいの積雪。早朝の散歩、清水川沿いには節分の赤鬼が雪を被っている。北陸も雪、能登地方の地震災害は甚大でまだ全貌は見えていないらしい。地震、同じく地方として他人ごとではない。自転車で行く寒村山中の集落も上下水道の事情は同じ。見れば岐阜の市内の古い昭和的建築物も耐震危険度は変わらないように見える。中心部、柳ケ瀬にある高島屋もビルの老朽化対策の費用が理由でこの7月に撤退が決まった。そもそも営業赤字だったとは言え利用してきた一市民としては手土産として見栄えのある紙袋が付いてくるデパートの消失は激痛に悲しい。長年の愛着も深そうな義母を施設にご機嫌伺いついでに話題を振ってみると「まぁー高島屋がのうなてっしもうたら・・もう柳ケ瀬はアカンわねぇ。周りにどえれぇ高けぇーマンションばっかポンポン建ててもねぇどうやね・・隣の奥さんが言わされたけど売れ残り多いに?市のエライ人ももうちょっと、よォー考えてもらわにゃアカンわねぇ・・」と元も子もない感想を言われる。約40年前くらい、姫路と岐阜は人口40万以上で似たようなものだったと記憶している。その後の合併など変遷を経て今は姫路の方が頭一つ出て、岐阜は40万人を切り最近は中心部も空き地が目立ち寂しくじり貧の傾向が目立つ。元気だった頃に同業者と毎朝モーニングに行っていた典型的岐阜の昭和世代、義母の話によると商売人多かった岐阜は地方都市にしては銀行や証券会社の取り扱い資産は多かったらしい。災害復興に地域復興もこのご時世、まずは金と資金次第のようで昭和柳ケ瀬全盛時の資産が頼りなのかもしれないが、まだ資産があるうちに高島屋を通行の多い駅前に移転させるくらいの思い切った策がないと・・街の価値も先々微妙に思う。

(玉性院の鬼)

図書館で奥さんが新着図書で見つけて「いいの借りてきあげた。良かったら読んでみたら」と言われたので読み始める。吉川宏志氏は塔の主宰で宮崎出身の方。母親が亡くなられる前後に詠まれたものを歌集にしたものらしく個人として重い出来事のあった時にあたる。題名、石榴花はアビアンスのことと書いてあったがサボテンのような植物のことらしい。普段の生活、実母の死の他、辺野古のデモなど社会的なものもある。
「時雨降る比叡に淡き日は射せり常なるものはつねに変わりゆく」
「貧しさも楽しかった、とああそれは過ぎたるゆえに言える言葉か」
「早春の道に小さく足縮め花より先に死にし蜜蜂」
「食べることできない人に贈るため花はあるのか初めておもう」