桜の金華山DWrun(10.6k)、淡墨桜ライド(49.4km)、「コンピュータおばあちゃん」考

めでたく今年も開花、正式の開花は3月16日だったらしい。3月21日、春分の日に久々に金華山DWにrunにでかける。AM5時に目を覚ましたが昨晩の寝床で本を読みつつ寝落ちしてしまったせいで本は頭の下敷きになっている。読書体力すっかり欠乏気味で寝落ちすることが多くなった。5:40にスタート、今日は湿度が若干多いらしく汗がそれなりに出る。ドライブウエイ(DW)の展望台から見る山腹の所々が白くなっていて山桜が咲いている。街から離れて静かな空気に鴬の鳴き声とキツツキのドリル音が聞こえて早春の山は活気がある。下り道の木陰では藪椿から赤い花が落ちる。清水川まで帰ってきて一分咲の桜並木を写真に収める。上には上がいるものでこんなマイナーなコースでも定期的に走っている人がいるようで、strava上で一旦一度取られていたローカルレジェンドを再び取り戻してささやかに自己満足。

10.62km  1:30:12  8:29/km  獲得146m

https://strava.app.link/8qni43w70yb

先週の平日は天気も良くて昼食は奥さんに自分の持っていく弁当と同じものを用意してもらい清水川沿いの公園で昼食と取る。ノーマスクが解禁になってマスク無しの方もゾロゾロ多く歩いている。確かにこれが「戻って来た日常」ということらしい。

「気がつけば低き羽音にかこまれてミツバチサクラの番地をめぐる」

(昼、清水川公園)
4月1日(土)に天然記念物で有名な淡墨桜(うすずみさくら)を見に行く。その後の用事もあるので10時までに自宅に戻るために朝5時起床、5時半にロードを車に積んで出発し糸貫スポーツセンターにデポ。このところ朝昼の寒暖差が大きく最高24℃でも朝の道路標示は5℃と寒いのでウインドブレーカーを着る。昔の記憶を辿りつつ田舎道の満開の桜を見ながら根尾川沿いに北上、撮り鉄マニアに有名な樽水鉄道を何度か渡るときに1両の列車を見る。淡墨桜に7時半到着、早くも駐車場前の渋滞は始まっている。「この時間が正解だがねー」と整理のおじさんは誰ともなく話している。過去何度か来たが桜が開花しているのは初めて。ピンクより色が灰色がかって名前が付けられたらしいが確かにそう見えなくもない。桜並木もいいが存在感のある一本の巨大な桜の老木を見るのも実に良いと思った。北の遠景は雪が残る恐らく能郷白山と思われる。次々人が登って来る道を退散するとロードバイクの人が二人到着した。ここからの帰路は更に多くの集団走行のロードバイク軍団とラッシュのようにすれ違い挨拶を交わしながら帰る。9:30に自宅帰着。獲得標高300m以上と言ってもほぼ平坦路で労はなかった。
49.43km 2:16:57  21.7k/h max45.3k 獲得367m
https://strava.app.link/izsAsg6tZyb

(奥、能郷白山

今週の4月2日、坂本龍一氏、訃報ニュースが流れ静かに読む。癌の治療中でしかも再発から闘病が続いていたことは知っていた。昨年末、最後のコンサートと言われていたフイルムコンサートを見て心には準備時間があって、その点高橋幸宏氏のケースとは違っていて冷静に記事を読んだ。1日、2日と日を追って記事続々と配信されている。学生時代のメディアバーンツアーに始まりビューティー、ハートビートなど計4回+YMO再結成ツアーを追っかけていたころを思い出す。最初のメディアバーンコンサートは学生の時でハードなバンド演奏から中盤は一転してスポットライトの中、エリック・サティの「ジムノペディ」「戦メリ」のピアノソロがモノローグのようにハットするような静謐さで美しかったのを記憶している。氏の本質はむしろこのピアノソロにあるのかも?と思った。その後、ワールドミュージックの走りだったのか、オキナワチャンズをフューチャした沖縄民謡、アラブ民謡などなど音楽の振幅が広く、街の騒音も音楽・・と私にはあまりににも抽象的に思えるようになって自身の多忙もあって疎くなった。LP、CDに本、奥さんからスペースがないから「断捨離!捨てろ!」と迫害を受けつつ大量のFM番組(主に東芝プレミア3)録音テープなどが多々、今では廃盤で手に入らないものが多くお宝と称して防衛線を張っている。ビハンドザマスク、コーリングフロムトウキョウ、ちんさぐの花、yuo do me、sayonara・・業務に疲れた午後にBGMで音楽を流しつつ、「黄土高原」の古びないオリエンタルな曲を作った人はもういないのかと目尻は熱くなる。

今は便利になっていて、ユーチューブで過去の映像を追っていると「コンピュータおばあちゃん」という「みんなのうた」の映像を見つける。確か高校生の頃だった?何~にも知らずにTVで流れていて何故か耳に残るフレーズで次に見たら、「あれ、坂本龍一が編曲演奏かぁ確かに、らしい感じや」とこの手の軽いノリの曲でもクオリティがあって流石と思った記憶がある。イージーな作りのアニメも実に懐かしい。80年代、あの頃にあった未来の老人を明るくイメージしたものだったかもしれないが、お笑いギャグには違いないものの40年を経た今、テクノロジーについていく活発なおばあちゃんはそうそうはいない・・?。急速に少子化、老化する国の中で介護に健康と経済的担保に汲々として、伸びた寿命時間を明るく進歩的に活用するイメージは自分の周囲を見ても難しいと思われる。今どきはお婆さんになってからもリスキリングなのかもしれないが、自分達世代前後がメインとして生きてきた過去30年間の停滞を負いつつ、その世代も当事者として老人テリトリに入っていかざるを得ない・・と思うと、コンピュータお婆さんの流れていた時代はつくづく良かったのでは?と思える。

「龍一の「黄土高原」で空をみる瞼にあつく訃報のしらせ」

「幸宏も龍一も逝きこのくにの青春だつた記憶は霞む」