犬山往復ライド(54km)、下呂中津川間バス行、佐藤愛子氏「90歳なにがめでたい」読了

年末に義父、年始に義母が相次いで救急で搬送され処術後の入院続く。コロナではないが従来からの病気が一気に進んだらしい。コロナの自粛で外に出歩かない日々が長く続き、つまるところ筋力と体力の低下が身体的老化を進ませたとか・・・医者先生の話を受けても今更という気がした。昨年も季節ごとに散策に出てはと、声をかけたものの外出を控えられ日本的同調性、公的抑圧も遠因と言えるか・・?。病院は3か月で退院の話がある一方で歩行不自由なままでは自宅の階段も厳しく慌てて入所施設を探し始める。思ってもみなかった展開に後手後手感あり。それぞれ別の病院に着替えなどを届け、実家の面倒や整理など週末もルーチンワークが増えて、近所にいる親族はペーパドライバの奥さん一人なので介護と言う問題が自分にも顕在化することになった。色々と気が張っているせいか今年の花粉症は何故か大した症状が出ていない。

「皮肉にも苦労といふは体内の骨を鍛える重力のようなもの」

先週の3月5日(日)、赤坂の畑に年末に植えた玉ねぎの状況を見に行く。2か月以上ほったらかしであったが幸運にも芽が伸びて育っている。畝のなかに蔓延り始めた雑草を引っこ抜いて約1時間で作業を終わる。伊吹山の山腹は白く吹き下ろす風は暖かい最近にしては冷たかった。帰って早めに蕎麦を作り昼食。

即着替えて自転車、恒例となった犬山往復に出かける。中山道各務原から木曽川に出て江南を抜けていく。サイクリングロード(CR)にはランナーや自転車も多い。江南の道路横断で一時停止してスタート切ってから背後に誰かが付いていると感づいていてもそのまま引き続けると、犬山城が見えてきて横を抜いていったので急いで後ろに付いて引いてもらった。平均時速は33kと結構早いがよく見ると女性のようでこのまま引いてもらうのも何となく申し訳ないので再び先頭交代、犬山城手前の三叉路でお別れ。犬山は人が多く明らかに岐阜公園付近より人出があるが何故だろうか?犬山モンキーセンターの裏路を一旦登ってから成田山に登る。遠く名古屋駅の高層ビルが良く見えた。帰路も木曽川CRで戻り笠松を抜けて帰ってくる。
https://strava.app.link/d9RJAp8osyb
54.08km 2:23:52 22.5k/h 37.2k/max 獲得216m

犬山城木曽川

仕事、相変わらずの仕事はトラブル解析続きつつ原因解決に向けて若干の光明見えてくる。7日火曜日、実に数ヶ月ぶりの有休を取り、乗り鉄趣味の延長、以前から乗ってみたかった下呂ー中津川間の路線バスに乗りに行く。青春18きっぷを購入し、9時過ぎにJR岐阜駅から高山本線気動車キハ25系に乗って下呂まで行く。車内は老齢と意外にも若い大学生風の観光客で席が埋まった。卒業前か案の定、下呂温泉も道々に若者が多い。バスの出発まで1時間20分あるので案内所で聞いて外湯に入りに行く。白鷺の湯は人も少なく外から春の日差しが降りそそぐ湯船はゆったり心地良く疲れが溜まった首も肩の凝りをほぐす。ところで、白鷺の湯のトイレには狂歌のような注意書きが貼ってある。同じような「・・漏らすな」文を以前自転車で行った御岳山の峠近くのトイレで見て笑ってしまった記憶がある。

「トラブルも三月となれば体調の崩れはいつもの首から始まる」

「ストレスにかたまる体ほどけゆく下呂のゆぶねに春光(かげ)ゆれて」

日本ライン周辺)

(キハ25気動車

温泉街の飛騨川を渡って下呂駅の前にバス停はある。12:40加子母行の濃飛バスが来る。中津川までは加子母で一度乗り換えがある。車内は数人若い人と老人のみ、暖かい早春の下呂から山に向かって標高を上げていく。加子母の辺りは地場歌舞伎が有名で**座という舞台の建物が見えたりする。やがて標高の700m付近の舞台峠を越える頃には車内は私一人になる。この見晴らしの良い舞台峠は以前に自転車で登って高速でダウンヒルしたことを記憶で辿る。エンジン音を響かせてバスは日差し明るい峠をアッという間に登り通って加子母の集落に下って行く。以前から路線バスで山深い峠を越えるという光景に憧れていて満足感あり。終着、加子母バス停には北恵那バスの中津川行バスが待っていて飛び乗るとすぐに出発した。舞台峠を境に道脇の看板も「七笑」など飛騨川から木曽川水系の特徴に変わる。付知峡から下ると右手に笠置山、正面に雪が残る恵那山が見え始める。私一人だった車内に途中で二人の若者が乗ってきてやがて中津川駅前に到着する。「おふくろ」という五平餅の有名店が駅の近所にあるが火曜定休日で残念。中津川からは中央本線快速で名古屋経由して帰着、17時。天候も良く高原を走る路線バスに乗るという目的は達成。

(北恵那バス)

(奥は恵那山)

本日、一時期話題になった、怒れる作家佐藤愛子氏のエッセイ「90歳なにがめでたい」を借りて読了した。出だしはスマホの使い方を若僧にしたり顔で教えられ何でもスマホで済ます風潮を「テメエが発明したわけでもないくせにエバりやがって」、スマホに頼りすぎて「人間がバカになる」と嘆き自ら老人の姿を自虐的に笑うところは予想した内容。一方、新聞の人生相談の話題が数章続く部分は、大した問題でもなくどうでもよいように感じ退屈になった。最後のほうに「現代の何の不足もない平和な暮らしの中では悩んで考え込む必要もなく、考えない生活からは自立心は生まれず、生まれるのは依存心ということ」など氏の考えが述べられている。佐藤愛子氏の人なりは既読の本や北杜夫氏のエッセイでもある程度既知だったが出版時92歳と書いてありまだまだ元気そうで、怒りを含め喜怒哀楽を筆にしたためる作業こそが生きる源になっていると巻末に書いてありまったくその通りだと思った。