TOJ京都コース、三輪山夏越の祓い

今週は車でロードバイクを持ってきたので以前回ったツアーオブジャパン(TOJ)京都ステージのコースを回ろうと思いました。京都に来て早や4年目、あと何年ここにいるか?50代半ばでもあるしできることなら京都周辺の峠漁りをやっておきたいと思い始めました。前回は重いクロモリの25年もののクロスバイクでしたが、晴れてロードで回ってみようかと思うも今日は物凄い陽光サンサンで家事を済ませて9時に表を覗くと「オー、モーレツ」とても出ていけない暑さです。一旦引っ込んで16時スタート。中途半端な時間なのは笑点の始まる17:40にはギリギリ帰って来れる計算ですが、そもそも16時ではまだまだ西日が暑い。精華町役場から登り始め早くも汗が落ちます。周回コースに沿って最標高ポイント通過。京都ステージはちゃんとKOM(キングオブマウンテンン)の看板があります。おまけにチャイクルロードの表示で自転車コースとして整備されてまして力が注がれてます。コースを途中で外れましたが京田辺を通って帰宅。京都の田舎をめぐるコースが近くにあるのはいいことです。1時間強にしては大量の汗で想定以上に消耗しました。速攻でシャワーを浴びて大きく息をしながら見る笑点は案外つまらなかったりします。

https://www.strava.com/activities/1673205569
21.3k 1:10:21 18.2k/h 獲得標高 370m

司馬遼太郎の「街道を行く」の竹内街道の中で奈良の三輪辺りが出てきます。そこにある三輪神社(大神神社)は日本最古の神社ということで一度行ってみたいと持ってましたが今回車を持ってきているので昨日行ってきました。ご神体が三輪山でそこの登山(登拝)が目的です。大神神社=ミワジンジャと読むそうで神社の中の神社ということか。
天理を抜けて約1時間で到着。大きな鳥居をくぐって進むと殿が出てきます。立派です、確かに立派です。人が多いのもさすがですが、やはり日本最古の神社だからですか。そもそも伊勢神宮はこの辺りの神社を伊勢に移したものらしいです。元伊勢神社というのが付近にあります。社務所を見るとちょうど夏越の祓いをやっていたので私も家族分の人形の紙を書いて投函する。


肝心の三輪山は少しはなれた神社が登拝口になります。料金をはらってたすきをもらい登り始める。この山はご神体なので写真撮影は一切厳禁。おまけに参拝なので私語は慎むよう指導されましたので登山によくある「こんにちわ」的なすれ違いの挨拶をする手間は返って省けます。要するに黙々と山を登る人の列が続くわけですが、指導にも限界か、話をしている人も中にはいました。参道はうっそうとした杉林ですがどうも足元がよくない。途中からぬかるみがひどくなって足の置き場もなく、つるつると滑ります。ご神体の山にして危険だ。とにかく人も多いので水たまりは泥になってます。約1時間で頂上、奥社と岩があり少し休憩雑するも雑木で視界も開けてません。帰りは危険な上に危険、足元に注して下っていると突然白装束の女性が素足で登ってくるのには驚きました。このゴツゴツ、ヌルヌル道を素足で登るなんて・・・これぞかりそめならぬ神の山なんだと再認識。結局靴が泥だらけで12時に下山。標高にして460mくらいだそうです。

周辺は日本最古の道「山の辺の道」でもあって観光客が大勢歩かれてます。展望台から大和の盆地に金剛葛城の山が見え、日本の原風景というもんなんでしょう。

この神社の風格と言い日本書紀とか古代ロマンとかに興味を持つ人の気分が少しわかった気がします。それにしても帰りこの地方の特産、三輪そうめんを有名店に入って食べましたが量は少なかった。この時の状況としてロマンより実利が大事でした。

金華山+司馬遼太郎全講演1読了

連休から借りて厚木のホテルで寝る前に読み進めてやっと読了。起伏無く平静で読めるので睡眠薬替わりでもありました。
文字通り講演の話を時系列に並べて収めたものです。1964年〜10年分のようですが今読んでも古さと言うのをあまり感じないのは歴史小説を題材にされているからでしょうか。改めて日本人観ということで「飼い馴らしの原理を持たなかった」特殊性というのが島国という環境故に成り立ったということのようです。この作家のテーマなんですね。それにしてもこれくらいの作家の方でも講演となると話のネタというか落語で言う「まくら」のようなものを使いまわしておられるようで聴衆の受けを取るというのはなかなか大変なのかも知れません。

午後散髪、厚木から帰って久々に金華山の岩戸往復に出かける。すっかり季節が変わって体が慣れていないせいかメチャメチャ暑い。何と言っても湿度が・・今年も早々に真夏の暑さが来たようで、帰りに神田町の近くにあったサークルKで130円ソフトを食べようと汗水たらして探したが見当たらない。ここは私にとって給水ポイントだったりしてよくコーラを飲んだりもして、さてはサークルKはファミマになったハズと冷静な頭で見直してもファミマも無い。悲しいことに閉店したようです。ソフトクリームとコヒーは評価していましたがサークルKはそのままファミマになるでもなく至る所で閉店しているようでちょっと寂しいというかこの手の店の移ろいも早い。
22.81k 1:22:13 16.6k/h
https://www.strava.com/activities/1626475349

丹沢大山登山駐在終り

2月から続く厚木駐在も終わりを迎えます。途中でリソース事情により1人が戻って4月から私1人になって追い込まれてます。1人では終らんかも知れんと思い休日出勤もいとわずやりました。「納期通り何事もなく良かったね」で終るには十二分に計算して時間マージンを持たねばやってられねえ。夜のホテルも仕事、土曜出勤、日曜のみ気分転換に厚木周辺を散策しました。経験上こんなに長い駐在生活、ホテル暮らしは初めてでこの年齢にして辛苦に忍耐の多い生活。思えば春も桜の記憶はないですね。首都圏に雪が降った2月からあっと言う間にアジサイの季節になった感じです。
納品の日程が見えてきた最後の日曜日。厚木からは北西に丹沢山系の大山というクッキリ三角の山がシンボルのように目立ちます。標高1200mくらいなので伊吹山と同じくらいですがケーブルカーで登れるようです。実はこの山の肩の辺りにヤビツ峠というのがあって自転車があればこっちに行きたいところですが、そのせいか街では結構ローディーを見かけ羨ましい限り。さて小田急は宣伝宜しくフリーパス1700円という1日周遊券を発売しています。得なのかじっくり計算するとお得になるのは伊勢原までの小田急往復切符320円くらいですな。それでも無いよりマシなので切符を買ってスタート8:30。
伊勢原駅のバス乗り場はリュックの老若男女がびっしり凄いです。ラッシュ、オオーこれぞ首都圏の山ガールやオジジという感じの人達。大山は阿夫利神社の霊山なので参拝目当ての観光地ですがほとんどの人は山登りが目的と言えます。気合の入った人の中にあって私のワイシャツスラックスはちょっと浮く。構わずすし詰めバスに席を確保して約20分、山麓に着く。江戸時代から歴史があるそうですが参道の両側には土産物屋が並んでいますが雰囲気は昭和っぽいです。もう昭和はレトロです。ここはきれいな水で作る豆腐が有名だとか・・店が多い。ケーブルカーに乗って中腹の阿夫利神社に到達。霞んでますが相模湾に前回行った江の島が見えているようです。良いところです。なかなか良いところです。




有名な湧き水を飲んでみると、その味、あんまり違いがわかりません。多くの人は頂上を目指して登山道に入って行きます。富士見台と言う所で富士山が見えると聞いて登ってみたくなり、革靴ですがまあ何とかなると判断。中年オッサンの甘い判断は遭難の元で笑いものになるケースですがワイシャツにスラックスなのでそれ以前の問題か。
結局かなり登って富士見台は20丁で標高1100m。ああ残念にも雲が多い。富士山はこの方向に見えるハズですが今日はダメ。阿夫利神社に戻り、のど自慢のラジオが聞こえる茶店で更に増えた人々を眺めなながらソフトクリームで体を冷やす。うー結構体力的には消耗しました。13:30に厚木に戻る。


周辺の名所はどこも人が多い。箱根、鎌倉、江の島・・。首都圏の人口が支えているんでしょうが神社仏閣に限ると京都、奈良では中くらいと思える規模のものが大きく持ち上げられているようで期待していくと存外拍子が抜けだったりします。人口の多さで評判もインフレーションしている感じですね。

應聖寺行

連休になり厚木の出張からつかの間の開放。約1か月ぶりに部屋の確認とポストに溜まっている郵便の確認のため京都に車で来ました。車の維持のためにはある程度乗らないと劣化するのでこの連休中に走らせようと思う次第。この冬、実母が手術をしたこともあり久しぶりに様子を伺いに車で姫路に日帰りました。昨今、高速の渋滞もひどく車で帰るのは実に久しぶりですが、車を使うと時間の自由が効くところが良い点。ちょっと電車代よりかかるのが悪い点。墓参りなどして地元の神戸新聞を見ると新緑の寺の庭の写真が美しい。どこか?とみると福崎町、ほーここから10km以内と近いところのようです。知らんかった、こんなところがあるのか・・と物見遊山に行ってみました。
湿った空気が雨になって落ちてくる午後、應聖寺着。約1名の先客がおられるようですが静かな感じ。「関西花の寺第八番」とか書いてあるとおり確かにカキツバタ、ボタンなどが咲いてます。通常参拝は無料ですが文化財になている庭は抹茶セット込みで500円。

確か新緑の色にあふれてます。先客は座卓の上に一眼レフカメラを置いてシャッターを押してますが、新聞で見た写真も座卓表面に庭が映って幻想的な写真になっていたとわかりました。多分これが京都にでもあればブレイクしててもおかしくないですが、播磨のいなかだからこそ静かに時間が流れている。


表へ出て帰る途中、涅槃像とある。一見わかりませんがよく見ると涅槃像がつつじの衣を着ているようです。これもユニークですが残念ながらつつじはまだ咲いていない。ここは夏にかけて沙羅の花も有名だそうで、飾り気のない商売ベースに乗らない、意外性もあって印象に残る寺と思います。

腱鞘炎禍

連休もカレンダー通りの出勤なので厚木から一旦京都に戻って来ました。困ったことに4月の初めから左手親指が痛い。とにかく指を開くような不意の動作やボトルを開けるような力を入れるような動作ではズンと痛みが走る。だんだんひどくなり生活動作もままならず困った、念のため以前お世話になった祝園の整形外科で診てもらうと「腱鞘炎ですね」とのこと。何か思い当たることないですか?言われると厚木の出張中の会社であてがわれたPCのKeyボードが思い当たる。ボタンが大きく反発力が強いので私にとってはぐっと押さいないと負ける感じ。PCに関する自分のポリシーですがKeyボードとマウスはケチってはいけない。手触りスムーズに柔らかく打ち込むようなKeyボードに使い慣れているのでこのゴツイ安物ぽいKeyボードは左手にとって過酷な労働環境で炎症を発生したようです(労災?)。
腱鞘炎は以前経験がありますが治療は冷湿布と安静が必要でなるべく使わないのが治療の早道手ですが、親指となると使わないわけにもいかずサポータで半分固定し、時にウッと言いながらの生活です。知らず知らず関節は年を重ねて無理が効かなくなっているようで、やれやれどうしたものか?鬱々と医者で見るでもなくついているTVを見ていると葛城山のつつじが今見頃とか。
ふーん、久々に車で京都に来たので行ってみることに。960mの標高の山登りはロープウエーで上がれるようなので手は使わず支障ないだろうと。実際つつじはまだ咲き初めでしたが天気も良く隣の金剛山も見えていいところでした。思ったほどロープウエーも混んではいないですね。帰途、近くの石舞台古墳を回ると結構な人出で連休ムードでした。

本厚木より

2月から仕事の関係にて本厚木に長期滞在出張中です。こんなに長く関東に滞在するのは大学時代以来。若いころの記憶はそれなりに残っています。ただ本厚木のホテル暮らしは仕事も慣れない場所で順応しなければならず、帰っては狭い空間寝心地の悪いベッドとだんだん体の調子は低下していきます。何故か花粉症も酷い。
先日の休日は関東にいる高校時代の友人に30年ぶりくらいに会うことができたのがストレス解消になり、その次の日曜はせっかくなので気晴らしに近辺を周遊しました。いずれも大学時代以来で迷うことなく回れました。この方、方向音痴になることはない。
まずは箱根方面で小田原まで行って登山鉄道に乗ります。結構混んでます。ここも外国人多し。狭い車両内にすし詰めですが中国語が飛び交います。確かに登山鉄道、風情ありますが以前乗ったスイスのアルプ鉄道と同じようでいて周囲の風景は杉林だったりしますのでやはりここはせいぜい1000m以下の日本の山の普通の風景に見えます。強羅駅にスイスのベルニナ鉄道の絵が何故か描かれています。


時間も無く箱根湯本に下り、箱根湯寮という銭湯に入る。やっと日頃の凝り固まった疲労からちょっぴり解放された気分。硫黄鉱泉を期待しましたが強羅とちがい湯本は透き通った湯だそうです。昼食も取らず小田原に下って、小田原城を見学。新幹線から瞬間見えますがやはり城は姫路には及びませんね。さすが道路に北条のミツウロコがあり。


ここからJRで東進、藤沢から江ノ電にのって行きたいところがあります。長谷駅で降りる鎌倉の御霊神社(ごりょうじんじゃ)。ここは鳥居をかすめるように江ノ電が通ります。映画「東京物語」や高橋幸宏のアルバム「幸福の調子」のジャケット写真にある場所で何とも言えぬ味わいがあって昔から見たかった場所です。長谷駅の喧騒はよそに御霊神社は静かな場所でした。

そこから稲村ケ崎へ歩き夕方の鎌倉高校前で日没を見る。サザンや松任谷由美の歌のモチーフになった景色を駆け足で堪能し本厚木に帰還。



結構欲張り駆け足周遊ツアーでしたが、少し良いのは関西の近鉄や東海のJRに比べ電車賃が安い気がします。東京近辺の人が車を持たないというのは駐車場コストもありますが電車賃の安さも理由ではないかと思います。

「さらば国分寺書店のオババ」読了

新聞は大体読むところが決まっていて、冬季オリンピックと言っても大して読むべきところなく見流していましたが、ふと見ると椎名誠の連載記事が始まり、それが結構面白かったのでデビュー作の表題の本を借りてきました。
椎名誠は何十年も前に銀河TV小説?ぽい連続ドラマで見たことを覚えています。今となっては話の筋を詳しくは思い出せませんが、何故か結構印象に残っている。この本の題からして期待して読み始めましたが、少し斜め目線と言い、アンチ制服(体制?)的な見方と言い相当面白しろく読めました。笑いをこらえるのが難しいくらいに現代の制服社会に対する風刺が効いてます。本が書かれたのは80年代だそうですが驚いたのはあのDJポリスとか言って話題になっていたのが既にそのころに存在していたということですね。そのDJ・・すら結構面白く書かれています。この本は私にとっては大当たり、ユーモアがあって割と嗜好にあってました。たまにはこういう本がストレスを解消してくれます。

干支の交代あれこれ

仕事の関係で2月初旬より厚木の方に長期出張となりその準備期間から生活もゴタゴタ、孤独なホテル生活と週末に岐阜に戻るというパターンです。新しい環境は単身赴任をこなしているので生活的にはなんとか順応しているというところで、まあ京都が厚木に変るだけと言えなくないが、距離的なものと往復で持ち運びする荷物も多くてやってみると結構大変です。月曜朝、金曜夕の激混み新幹線の指定席予約はうかうかすると埋まってしまいます。以前、東京往復の時は好んで3列席のA窓側を取ってました。いくら何でも好き好んで真ん中B席を取る人はいないので、余裕に手足を伸ばして壁にもたれて寝れましたがさすがにこの時間は無理。真中B席に人が来る。それも背広の前、腹回りが前進し始めた壮年オッサンが。こうなるとA席は身動きとれず大ピンチとなります。オマケに新横浜下車する時に大きな荷物を棚から出すのも一苦労で、”A席壁もたれ余裕作戦”は考えものだと思い始めました。
さて、あっと言う間に節分を過ぎて今年も干支の交代です。生活も落ち着かないのですが、季節の変わり目なので人形だけは交代を。まだまだ寒い立春過ぎですが厚木の街角で梅の花が咲いているのを見ました。おいおい気温的にはまだ冬だろ、と思うに不思議なことに自然は季節の変化を体現しているんですね。

吉野行

今週は岐阜に帰らず祝園滞在。3年目となるこの冬は異様に低温で体の筋肉がコチコチで首や肩が痛くなる。そんな時は葛根湯を早めに飲むと少し楽になります。このあたりも山は白く雪の中の自転車は悲惨なので自重し、この日は前から気になっている吉野へ、ここは蔵王堂のなかの秘仏が有名でその青いお姿を見たいと思っていました。
新祝園から近鉄急行電車で2時間程度で意外と近くお値段も安め懐暖かめです。本来は桜の時期ですが、さすがに厳冬の吉野は空いているであろうと、また人里離れた感じも良いではないか?と。
電車を乗り継ぎ吉野線に入ると相当なローカル線になります。恐らく金剛山と思われる山が白く雪が積もって今日はひとしお寒い様子。吉野線近辺は古墳や遺跡が多いらしくド田舎駅にぞろぞろリュック姿の中年が下りていきます。同じ車両で終点吉野まで行ったのは他1人という寂れよう。とにかく吉野駅に着く。人気が少ない割に駅はヨーロッパの引き込み線タイプの始発駅スタイルでおーすごい。桜の時期はさぞすごいのでは・・?

ところであるはずのロープウエーは停止中。元々歩いて上がるつもりでしたが薄雪の積もった七曲り坂をえっちらおっちら上がります。案外薄い雪は危ない。参道に出ると山門が見えてきます。この山奥にして大きい。元々山岳修験道の寺だったそうで当時の威容を感じます。やや高い石段を上ると世界遺産蔵王堂に到着。歩いているので少しマシ、止まると痛いような寒さですが、それでも参拝者はいますね。蔵王堂の中の畳がまた冷たい。座って拝むと斜め前で胡麻祈祷が行われ読経が聞こえます。実に静かな時間、目を閉じてじっと聞くといいものです。厳しい寒さの中で一段と冷厳新たなり。「今日は人が少なくて静かに参拝できてよろしいでっしゃろ」と僧侶の方に言われます。青い姿の秘仏は覆いの向こうで今は見えませんが、お堂の中の他の仏像だけでも結構な迫力あります。

外に出て歩くと山の尾根に当たるところに食べ物土産屋、特に有名な吉野葛の店が並んでます。ここは南朝があった場所がら行幸もあったようで歌碑、記念碑も多い。よくぞこんな山の尾根に朝廷が?と思いますが、調べると吉野の山岳信仰勢力は巨大だったようで昔はもっと凄かったらしい。今となっては一目三千本の桜の名所ですが秘境ぽいです。
蔵王堂に戻って脳天大神があるので行ってみることにします。同名を伏見稲荷でも見ましたが…。ところが登った山をどんどん谷底に下って行きます。雪で足元を気遣いながら下ってみるとこんな場所に結構な神社です。そこで拝んで絵馬を見ると中部圏の学校名が出てたりして意外と岐阜の人が来ているのにびっくりです。再び蔵王堂に登り返して時刻13時。13:37の電車に乗って吉野を後にしました。

桜の時期はさぞ凄いと思いますがゆっくり静かに南朝の歴史なんぞ考えながら歩くには人がいないこの時期かも知れません。今度は秘仏ご開帳の時にしたいものです。

深い河(遠藤周作)読了

今回はさすがに早々と読了。ページ数がほどほどだったこともありますが。
遠藤周作は20代に狐狸庵もののブームが去った後ですが軽いエッセーを何冊か読み始めました。『ほんとうの私を求めて』『春は馬車に乗って』『私にとって神とは』『夜のノクターン』・・等々。「ただでさえ部屋が狭いんだから積ん読本は整理して!断捨離!断捨離!」と言われる本棚には未だに何冊かあるので当時としてはマイブームの乗りで読んでいました。軽いエッセーなどを主に読んで肝心のカトリックの東洋的理解のような所は理解も興味もイマイチで読み飛ばしていた記憶があります。その後ユーモアではより性に合ったドクトルモンボウ北杜夫に移ってずーっと読み続けることになりましたが、今回ふと図書館の本棚にあった「深い河」、映画にもなったのでちょっと読んでみるかぁ、となる。
結論から言えば、年を経ても自分の持った印象は変わりませんね。そもそも良くわかってないカトリック世界、解釈がどうこう・・と考えるのは難しい。まして寺や神社、ハテまた西洋では教会にも詣でる私のような者にとってはあまり信仰というものを考えるのはたいくつにに思て良さ加減が良くわかりません。かつて思ったのと同じ感じで、じっくり読むに辛くなり、猫にコバン、カエルの顔にションベンの如き也。サブ主人公の命が危なくなる時に唐突な終わり方も、あれっ何か急に梯子をハズされたような不完全燃焼になりました。これが純文学の意図深き所かもしれませんが。
次は、趣も変えて椎名誠の「さらば国分寺書店のオババ」を借りてきました。思いっきり昭和。