リハビリの葉月、「司馬遼太郎と昭和」読了

首から左肩にかけての半身不調が続くため、祝園の整形で診てもらうと頸椎のヘルニアと診断される。首の脊髄の間から神経が伸びてそのまま肩、腕、手のひらに伸びていて肩や腕のしびれと痛みもヘルニアが神経を圧迫されている由。骨の6番、5番、辺りの骨の間隔が狭くなって圧迫しているらしい。こうなるとなかなか治癒に時間がかかり・・と言って外科手術は大事になる。体を横にするのもジンジンしびれ地球の重力が恨めしい。加えて8月の暑さは異様で疲労が抜けない。そう言えば・・昨年もこの時期に胸部の痛みで精密検査を受けたことを眠れぬ布団の中で考える。ポンコツ化する体に年々暑さは厳しくなり、いつの日か暑い暑ーい夏が越せなくなる、そんな日がきっと来る。医者からは薬を飲んであとは日にち薬よと言われる。

「よつこらせ 靴に足入れドアを開け月曜朝の体の重たさ」

昼の休みに国会図書館へ行き昼食、入道雲が迫りくる夏の空が暑くてまぶしい。 

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今年の猛暑は盆以降も長くしつっこい。晴れれば35℃以上、岐阜も京都もどちらもいい勝負で38℃近辺はザラに出ている。ところで岐阜に帰った時の昼食は必ず蕎麦にする。司馬遼太郎の「殉死」という作品で乃木氏が蕎麦ばかり食べていたとあって、特に信奉者でもないが、「そんな人もいたのか。案外このスタイルは特別に変ではない」。岐阜にいる時の昼食は世話いらずのワンパターンで私が蕎麦を作る。最初はゆで方が難しいと思っていたところ「御岳蕎麦」を試してからは失敗が無く(茹で時間のマージンが大きいと思われる)、奥さんからもめでたく蕎麦係の役目をいただいたので私の作る昼食は「永遠の蕎麦」となる。しかーし、このコロナ禍の変調か近所の何軒かのスーパーからこの銘柄だけが無くなる。他銘柄は置いてあってもこれだけが欠品しているので「なんでなんや?無いと困るんやけどね」と聞くと、「よく出てましてねェ昨日入ってまた売り切れました」とのこと。当分の間はガメッと買いだめはありますが、あれれ・・意外なところで「縄張り争い」?。

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休息が欲しいところ盆休みもなく業務忙しさは相変わらず。業務の一部の工程を台湾とインドの会社にアウトソースしている。半導体に関しては台湾は既に日本より上なので英語ではあるが「一言えば四、五」くらいには理解が速く、問題無く進むのは予想通り。一方インドの方は昨年も頼んだ会社だったがM&Aされて東京駅前にオフィスを置くような大きい会社になったらしい。去年は代理店だったが今回はしっかりした窓口担当が置かれて実務も流れが良くなっている。全くこの分野の動きは速いと感じる。テスラの車など半導体の塊だったりして、巨大なアルゴリスム、ソフトウエア、制御思想一般は小さなチップに入れ込まれている。一時的な利益のロスを減らすために巨大投資の必要な分野を捨てて来たこの国の選択と集中は世界的AI、IT化の流れに逆行してはいまいか?

腕の不調は回復の兆しあるものの自転車はまだまだ。運動不足解消に本日金華山DWの水道山にリハビリ登山。いつもはランニングで駆け上がるところを歩いているが汗は普通以上に出てくる。歩くことで蝉の鳴き声はよく聞き分けられる。多くはクマゼミアブラゼミ、中にミンミンゼミがいるが人が近づくと警戒心が強く鳴き止み、今も昔もミンミンゼミの捕獲は難しそう。木々の陰を伝いながら展望台に到着。盆明けも涼しくならず。道横のネムの木にカナブン発見。私としてはコガネムシ系押し。

「熱風の中の苦しさパウパウとマスク呼吸は金魚のごとく」

「ぎっしりと種を抱きて立ち枯れしひまわりこの世に微笑みのこす」

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本屋で別の本を探していた時に衝動買いした、「司馬遼太郎と昭和」を読了。特別にどうこうはなく、いわゆるムック本で既読の本に書いてあることが多かったと思う。ああ、昭和世代である自身も古くさいのかも知れないと思いつつ、三島由紀夫岡本太郎田中角栄などまだ児童であった頃の話はよく理解していないことも多かったと気づかされる。単純に昭和世代と言っても60年間の前半、後半の違いは大きい。「芸術はバクハツだ」の岡本太郎氏の万博の太陽の塔の話を読んで再訪してみたいものと思うものの、ついつい思い出や記憶を辿るような行為自体が老化の元と気をつけるべきとも思う。

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