立去祝園

永遠の在宅が決まり、祝園の部屋引き払い日を4月26日と設定。前週は引っ越しの第一陣のため車で祝園まで来る。電気、ガス、ネット環境などインフラ系は事前に停止手続きを済ませる。ありがたいことに精華町は家具に小型家電やレンジまでは無料で引き取ってくれるが一番困ったのは家電の始末で冷蔵庫と洗濯機。両者は粗大ごみ扱いは無理で、仕方なくリサイクル業者に聞くも6年使用となると引き取ってくれずここは定石の家電店に出張引き取りをお願いする。
4/23(金)午前一杯業務、午後は有休。12時過ぎに仕事を区切りオフィスにあるの資料や小物などを詰めて運ぶ。会社の人に手伝ってもらい駐車場で6年間のお礼と感謝を述べてお別れをする。その後は分刻みで銀行口座解約、バスカード解約、粗大ごみの持ち込み処理を済ませる。一連が終わると17時でそろそろ帰宅せねばならない。自転車、ボックスなどを手早く運び入れ出発、約3Hで岐阜着。どうも休憩無しの仕事+引っ越しで疲れが蓄積気味。次も日半分仕事を行いつつ買い物ついでに農協係のスーパーで野菜に花を買う。この季節に売っているフリージア、ほんのり香りが漂う自室で「台湾紀行」を遅々として読み進むと、つかの間の午眠に引きずりこまれ爆睡となる夕方、不意に足のこむら返りで起こされると立ち上がれずベッドから転げ落ち哀れズタボロ。

「対応の声は明るく事務的で六年住居契約終了」

「永遠の在宅勤務を考えてコロナのニュース今は見るのみ」

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4/25(日)10時過ぎ、報道のTVを見てから奥さんといよいよ引っ越し第二陣(最終)に車で出発。名神の瀬田東で下りて川沿いを進む。昼時なので道沿いにある「叶 匠壽庵 寿長生の郷」に入る。ここは何度も通過しているが早朝か夜なのでこんな所があることは奥さんに聞くまで知らなかった。「私が教えなければ知らないままだったことを感謝しなけりゃネ!」と言われる。ここは里山の民家風の建物にパン、スイーツ、レストランなど点在する広い施設になっている。茅葺屋根の案内所で和菓子を試食する。特に梅林が広く春は観梅に良い所らしいが今は青い実が多く生っている。和菓子の「叶匠壽庵」が運営しているらしいが和菓子以外としても結構良い所に思えた。いつものように宇治田原、京田辺経由で木津川谷に入り15時に着。

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(青梅)

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本日、朝から気合を入れて粗大ゴミの荷詰めを行っている間に家電屋さんの引き取りとガス屋の閉栓が終わる。粗大ごみは車の後部座席一杯に詰めて粗大ゴミセンターに持ち込み出し終わる。少し一服、簡単な昼食。次に持ち帰るものの搬入になるがここで問題が生じる。なかなか難工事で予定荷物が予想外に多く車に入りきらずその中の一部を再度粗大ゴミとして捨てに行く。時間を消費し焦り始めるが、まだ忘れているものが見つかり遂に車に入りきらないとギブアップ。椅子と本棚は一旦会社に持って行って預かってもらうことになる。15時半いよいよ鍵渡しギリギリとなって部屋の中のものがようやく空っぽになる。今回の引っ越しは厳しかった。トラブルもあったがなんとか鍵を渡してどっと疲れる。最後に生協カードを解約し処理全て終了。16:30祝園踏切を渡り木津川堤防から奈良盆地を後にする。帰路順調、岐阜に20時着。甚だしく疲れる。持ち帰った荷物は昔、娘の下宿から引き揚げたものも含むため量が多かった。つくづく引っ越しはこれが最後と思えるほど奥さんも私もギリギリで、一因として若くない年齢を感じる。6年間の単身赴任の終わりは少しの感慨や感傷もなくひたすら作業と制限時間に追われ精神的にも慌ただしい印象だけで終わった。
最終週の晴天日にオフィスフロアの休憩室から奈良盆地と京都方面の写真を撮る。最近の多忙で最後は余裕が無くなってしまったものの東西南北の山々に登坂したことが貴重な記憶となった。見渡す山々を自転車で走っていた登坂の苦しい記憶を辿ればその時々の悲喜こもごも?と言えば悲が多かったこの期間、知らず自身以上に家族に負担をかけてしまっていたことを深く思う。台湾FABにとって日本のGWは関係なく明日から30日まで仕事で祝日29日も休めずいよいよ今週は体力的に実に実に辛い予想。

「3行のメール懐かしサントーシュ君、インドより日本のことを気遣いくれる」
「若草に生駒、葛城むらさきの霞のなかに過ぎゆきし日々」

 

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若草山から葛城山方面)