伊自良湖スカイウエイ登坂(53.8km)、梅雨明け猛暑開始、堤未果氏「100分で名著ナオミ・クライン ショックドクトリン」読了

海の日の3連休の中日、7月16日に姫路に早めの盆参りとして帰郷する。多忙、相変わらず、5月連休も行けず、来るべき盆休みの休暇取得も視界不明瞭な状況にて、仏前に行けるときに行っておくという考え。当日、梅雨が明けたのではないか?と思われるような暑い日になったが母や兄と会って近況を報告。あいにく義姉は用事で不在であったが前から欲しいと話していたパスタのペペロンチーノなどに使うべく赤唐辛子を余分目にもらう。小高い丘にある墓に参ると、岐阜よりいくぶん涼しいと思う風が水田の稲を揺らして通り過ぎる時のサーッという音が心地よく聞こえる。過去、心臓や肺を手術した母にとって猛暑の過剰な気温と湿度は体には負担になるはずで「くれぐれも・・」と気遣いを述べて14時に失礼する。

(姫路駅500系

7月20日に梅雨が明けたらしいが、岐阜市内では一週間前くらいから暑い日が続いてもうとっくに梅雨明けムード。暑日でも運動不足解消のため早朝散歩は欠かさず天満宮から清水川サッサと歩く。野良猫も哀れ、暑さでダウンか見ることも少ないが、在宅勤務の身の寂しさもあって、偶然シマちゃんに会うとほんわか心が軽い。

「清水川あさの散歩にふく風もいよいよ冷えぬ熱中危険日」

「暑きこと寒きことにも幅狭く難儀となりぬ還暦の前」

「泣くものか、「達郎」スピーチ聞くあとの潮騒の曲の悲しさ」

そんな折、義母が骨粗しょう症からくる骨折が原因で救急搬送となる。それ以降歩行が不自由になり本人の意向もあって介護施設を検討することになった。こうなると老いて、複数階層の必要以上に大きな家に住むのは大変で、こじんまりとしたマンションなんぞがいいのかも知れない。近所の加納界隈には大きな家も多いが老齢化が進んで空き家らしい家が増えているのはやむを得ないことか。自身居住しているマンションも朝晩が冷えている時期はまだ良くて、ペアガラスと建物の断熱性能もあるのでエアコン無しで過ごしていても、35℃以上の猛暑日が3,4日続き始めると鉄筋コンクリート自体の熱が引かなくなって部屋が暑いままで夜もクーラー無しでは寝れなくなる。恐るべき岐阜の猛暑が今年は早くも始まったようで先々思いやられる。電気製品(LSIも同様)はスタートアップ時の電力が最も大きかったりするので小まめに消さず数時間使わないとき以外はずーっと稼働状態にする。それにしても全国的に猛暑日が多くなっているが懸念された電力不足のニュースが無く、要するに電力料金の高騰が皮肉にも効果を出ているのかもしれない。

今日、以前聞いた伊自良湖スカイウエイを目指し早朝5:20にスタート。晴れの予報も長良川忠節橋を渡ると路面がウエットで空は灰色の雲に覆われる。想外に天気が悪く1Hで伊自良湖のたもとに到着した時にはパラパラと雨が振り出す始末。「予報め、外しやがったな・・」愚痴をつぶやき獣ゲートを過ぎて登坂開始するとますます深い霧雨の中を登っていく。道を渡るグレーチングという金属にタイヤがスリップするので要注意しつつ高度を上げ、尾根らしい所に出ると下界はガスが漂って視界は全くない。斜度が緩くなってやがて三叉路に到着しゴール。根尾方面に下りる道はガードで閉鎖されている。標高は360mくらいなので百々が峰程度、周囲の山々が見えるので本来ならば見晴らしは良いところと思う。外山方面の林道を下る途中で下界が見えたので写真を撮る。高圧線が頭上にあって林道の目的は高圧線の整備用なのかもしれない。外山集落に下って鹿穴峠を通って9時前に帰着した時は霧雨が噓のような猛暑の朝になった。通称伊自良湖スカイウエイは湿度の低い時期、秋がいいに違いない。
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53.84km 2:50:24 18.9k/h 獲得630m

堤未果氏「100分で名著「ナオミ・クライン」」読了。これは先日のTV番組でやっていた内容のダイジェスト的な雑誌でもう少し詳しく知りたいと思ってわざわざ購入した。最近よく見聞きする「ショックドクトリン」という言葉は天災、混乱、戦争などの危機における集団心理(ショック)に便乗する、惨事便乗型の富収奪システムのメカニズムのことを言うらしい。私の学生時代からの世界で起こったクーデータ、戦争、災害などが対象になっているようで、シカゴ学派の推した「新自由主義」と言われるシステムは世界のいたるところにねじこまれているように思われる。富の過剰な収奪を目的とした貨幣経済上の植民地的な構図につながっていると、トリクルダウンという詭弁も空しい。新自由主義的資本主義は真に民主主義と言えるのか?と疑問を持つ一方、生活のためとわずかな部分的にも一員になって生きざるを得ない自分の存在の矛盾も感じる。取り上げられた一事例に1980年代のフォークランド紛争があって、TVニュースの記憶は自分にもあって、その後にあったW-CUPのアルゼンチン対イングランドではただならぬ緊張の中アルゼンチンが勝った時の狂喜した群集の意味なども感じながら読めた。とかく世界は難しく簡単にいかないと感じる。