欧州オスロ行の1 ムンク

今年は春から仕事で長期間の滞在している娘と大学の息子を訪ねるという目的で欧州渡航を考えていた。ただ、ぼんやりした淡い希望は抱いても日々の生活に折り合いをつけて、いざ実行に移す段で腰は重たくずるずると暑い夏を越えてしまった。奥さんと自分も仕事、義母のケアを抱えてれば区切りがつかず、時悪しくインフレに益々の円安になってコスト高が避けられなくなっている。でも、しかぁ~し、あれこれ頭をひねり今後において絶好のタイミングなどくる予感はあるのか?、パンデミックに戦争など不測の事態もあり、自身の年齢も考えると何とかできる時がその時、という思いで9月末出発日を決めたのはギリギリ8月末だった。娘はあと数ヶ月で帰国するが冬物と夏物の服の入れ替えと息子への物資の輸送と言うのがもう一つの目的でもある。行程は娘のいるオスロ⇒オランダ⇒息子のいるウイーンの順番に回る9月29日~10月10日。オスロとウイーンの間にオランダを入れたのは風車を見たいという私の存念が奥さんの意と一致したため。
9月28日、自分の仕事が最後の最後までトラブってしまい17時まで続く。業務と準備にに疲れ果てた状態で新幹線に乗って羽田空港に向かう。クタクタ状態で体調維持のために電車で葛根湯を飲む。蒸し暑い空気の羽田空港で先に送っておいたクロネコからスーツケースを受け取る。多少ユーロに換金するが160円を超えたレートに円安恨めし。今はロシア上空を飛べず南回りのドバイ経由のエミレーツ航空で最初は娘のいるオスロまで約20時。深夜0時過ぎに出発、ドバイまで10Hとオスロまでの7Hの間細切れに眠ったとは言えほぼ一昼夜以上寝てない状態で頭がボーっとする。経由地のドバイ空港では好んで読んでいる経済アナリストが書いていた金のショップを覗いてみる。これが空港にあるとは・・金嗜好強い中東の人に限らずここではいろいろな人種の人が熱心にショーケースを覗いていたが何故か値段が書いていないので何か聞くのも勇気がいる。

頭も体もフラフラで29日の昼12時過ぎ、やっとの思いでリュックを背負いスーツケースをコロコロ引いてオスロ空港から転がり出る。不意にポンと肩を叩かれたので振り向くと「なんでや!」。ウイーンいるはずの息子殿、実物が大笑しいながら立っている。私たちを驚かす企画りだと知りなんとも嬉しく声が上ずる。慣れた手つきで自販機で切符を買ってもらい鉄道に乗る。約30分程度でオスロ中央駅の隣、ナショナルシアター駅で下車する。ホームで元気そうな娘殿と再会し家族で抱き合う。オスロは晴れ、20℃弱のほどよい気温で日差しは強く乾燥して空気は軽い。駅前には王宮があってその広大な庭先を通って娘の社宅まで10分ほど歩く。家族4人が直接揃うのは実に久しぶり。社宅は駐在員向けのものらしく2ベッドルームで4人でも十分広く日本の3LDKくらいはある。しばらくの休憩後、在宅勤務の娘を残し息子と私たちはムンク美術館へ向かう。海外SIMに変えた携帯で娘の言う通りにオスロ市内交通系アプリRuterを入れ周遊チケットを購入する。息子に連れられトラムに乗り込むと行き方を理解しているようで頼もしい。10年前の欧州旅行とは違って今は連れて行ってもらう立場に変わった。「叫び」で有名な画家の美術館はオスロ港の入り江に面している。隣のオペラハウスともども風光明媚で対岸には超大型客船も停泊している。エドワルド・ムンク、絵は暗く、神経質で陰鬱な色調であるが私にはどこかユーモアが見えるように思えて、特にオッサンの絵など気に入った。

「チケットを入れた携帯手に持ちて息子に離れずトラム乗り継ぐ」

(これはALICE NEEL作)

(美術館より)

「叫び」の前は特に人が多く、デッサンなど含め3枚が30分交代で展示されるので一通り見るには最低でも60分かかる。夕食は娘が予約した波止場近くまでバスで移動。夕暮れの波止場にはヨットが多く係留されている。Lofotenという店はシーフードで大変美味しく満足する。しかし驚きは最後のデーザートで「HappyBirthDay」と書かれたホールケーキで私の2か月早めの私の還暦祝いだった。娘と息子が企画した突然のはからいに思わずまぶたが熱くにじんだ。決して出来た父親でもなかった私に対する娘と息子の気持ちにに感謝の想いがあふれる。「これが欧州品質や。日本ではケーキ屋のバイトでもこれ以上や」とケーキに書かれた文字の不細工さを、自らケーキを作る息子は少々厳しい目で指摘し笑う。店を出ると暗い空に満月、対岸にあるアーケシュフース城の上にいわゆる中秋の名月が輝いていている。

「六十年おももよらぬこの夕食、オスロの港に夜風は優し」

「ハッピーと書かれたデーザート還暦の祝いと知れば瞼は熱く」