金華山DWのrun納め(10.32km)、積雪、Kotoba2022年夏号「運の研究」読了

クリスマス前から急激に寒くなってずーっと天気は優れない。朝や夕方(日没後)の散歩のときに決まってパラパラと冷たいものが降ってくる。強い季節風で北陸との分水嶺を雪雲が越して美濃地方に降らせるので一時的に日本海側の気候に似てくる。街角にいる野良猫も寒さに弱いのであまり見かけないがひょっこり「シマちゃん」に出会った時はささやかながらラッキーを感じる。

山茶花のよこにコスモス咲き残る やわき冬至の風にゆられて」

岐阜駅の南側にはサッカー日本代表の大きなウエアがかかったスポーツバー・・?居酒屋?がある。月初にあったWCUPの代表応援で日本vsスペイン戦の早朝未明に散歩で通りかかったときは「オーッ!!オーケイ、オーケイ、イイヨイイヨ・・、マダマダイケルヨ・・、あと少し・・ウヲォー!」見たことのないくらい熱い盛り上がりの声は店の外まで響いていた。てっきり勝てないと思っていた私は慌てて走って戻りTVを付けると田中碧や三苫のインタビューが流れていて、ああ世紀の瞬間・・見逃す。大会の流れはAMEBAのダイジェストで手短に追いかけていたが、中でもアルゼンチンvsオランダの最後にオランダがセットプレーで同点に追いついた場面のインパクトは印象強かった。今も店先には大きな日本代表レプリカユニホームが掲げられ寒い西風に吹かれている。
同時期に出張で欧州回りをやっていた娘から聞いた話によると、ドイツの顧客からは「あんたのチームにゃ~モ~・・すっかりやられちまったネェ~」と苦笑、独の某周辺国の顧客は「よくぞ、あの偉大で高慢なドイツを負かしてくれました。ブラボー」などと打ち合わせ前のスモールトークには困らなかったらしい。25日に帰省してきた娘はシュトーレンというドイツのクリスマスに食べるというケーキとノルウエーのコヒーを買って来てくれたので一緒にいただいた。コーヒー、普段は長良にある山田コーヒで香りが良いので豆を買って家で挽いて淹れているが、オスロのファフェブレネリーエは更に香も強く軽い酸味があって良い。地味な風のシュトーレンはマジパンというのが入っていて濃厚な味で見かけ以上にズッシリとして重みがある。今はどれもこれも為替のこともあって価格が高いらしい。欧州にいる息子からも、円安への恨み節を聞かされつつデコレーションされた街やクリスマスマーケットの写真が送られて来て、為替の理不尽は差し置いても私たちにとっては元気にしていることが何より。

シュトーレンこれが二度目と言う君にうなずき記憶を素早く辿る」

(金色がシュトーレン

先週24日の土曜に強烈な西高東低気圧配置で案の定、夜から雪が降って10cmほど積る。スタッドレスは履いていないので、岐阜駅南のカーシェアを初めて使う。レンターカーよりは短時間使用ができて価格が安い。3時間ほどで義父母の買い物も含めて用事を済ませて帰ってくるとマンション玄関に雪だるまがあった。仕事はトラブル案件もあって安まることなく忙しい年末になってしまい正月準備も最低限になる。

「あまりにも多く短くありすぎて切なき歳をひとつ重ねる」

本日大晦日、今年の走り納めとして金華山DWに早朝にrun。道脇ところどころに雪が残っている。6:40、日の出前に展望台に着。全体的に曇っていて東の空だけ雲が無い。MTBが1台、男性1人がコッヘルで湯を沸かし粋な感じでコーヒをすすっている。日の出前に雰囲気に浸っているように見える。私はあまりに寒いので日の出を待たず山を下るがコチコチに筋肉が固まってペース上はあがらないところを無理せずに帰着。昼はニシン入りの年越し蕎麦を作る。
10.32km 1:40:01 9:41/km 獲得168m
https://strava.app.link/a55OU4csrwb

永田和宏氏の連載を読むため集英社の「Kotoba 2022年夏号」という雑誌を借りてくる。この雑誌の存在は知らなかったが堅めの文芸誌のようなものらしく年4回しか刊行されていないようだ。永田氏と小池真理子氏の対談を読んだ後に特集記事が「運の研究」だったのつでに流し読む。この真面目そうな雑誌に、もし「運」を引き寄せる法則、ヒントがあればお得な読書ではないか・・。しかし成田悠輔氏はじめどれもこれも抽象的で難しくなかなか読めない。まだ読めそうなのが、経済学者が書かれた「運を引き寄せるシステム思考」だけだった。昭和の日本は直感に頼って上手くいっていたがその直感に至ったプロセスを経験値としての蓄積を怠ったことがここ10年下降線の要因と書いてある。経済活動も原因と結果の因果関係で成り立っていて運を呼び込むためには、その場しのぎのヤマ勘や雰囲気ではなくて論理的に因果関係に基づく正のフィードバックループを重ねて経営するべきと・・?。ビジネススクール的な言い回しなのか?文章がわからんところも多いが、要するに会社や国レベルも活動履歴を残し適宜結果に対する分析など論理的かつ妥当な作法で運営しないとそもそも「運」という確率的なものから合理的に見放されてしまうという、結論としては難しくないようにも思えた。