百々ヶ峰(370m) 尾崎左永子「さるびあ街」読了

今年の健康診断はコロナの流行も考え寒くなる前にと、早めを予約して11月2日を取る。飛び石連休なので競争率が高いと6月に予約するとスンナリ完了でき、ここまで守備は上々。予定外だったのは頸椎ヘルニア。体重を制御(減量)するためのトレーニングは思うに進まずしびれた腕に気を取られている間に体重計に載ると2Kgも多い状況は緊急事態。コロナ太りとは異なるヘルニアという伏兵に遭って体脂肪率16%にして2kgダウンほぼ絶望的。自転車乗りとして余分な筋肉が多すぎる。ここは勝ちまでは求めず、せめての引き分け狙いに切り替えて日々を過ごすことにする。本日は天気快晴、サイクルトレーニングで久々の百々ヶ峰。少し靄がかかり頂上付近での乗鞍岳御嶽山は見えず。いつものように長良川から金華山方面でパチリ。

30.3km 1:50:26 16.5k/h 獲得標高441m
https://strava.app.link/KNAc4or8Dbb

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長良川沿い)

一方、手を抜いているわけでもない食事制限は昼はうどんに+天婦羅1ケで過ごしていたが突如弁当はどうか・・とたまごサンドイッチを作成。コヒーにスープ、気が付くとこれが十分満足ができるのでわざわざ400円も出していたのは単に手間代だけとも思うが、、、大して量は不要である意味年齢相応のカロリーなのかと思う。数字は嘘はつかない、問題の診断日はいよいよ来週。

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朝晩がめっきり冷え込んで寒くなってきたが岐阜にいる日の朝は散歩で天満公園にいるオニグモを見ていく。このオニグモ氏は効率の悪るそうな所に巣を張って本当に飯を食っているのか?夏から気になっていたが秋風に揺れながらまだまだけなげに耐えているように見みえて応援している。自分の栄養で巣を作るためのクモのエネルギーはあの体にして相当なものらしい。オニグモのような柄が美しいやつも、家の中の隅っこにあって飛び跳ねるハエトリグモ(ジャンピングスパイダー)も可愛ゆく部屋に入り込んでくる奴らも殺生せず捕まえて外にバイバイ。幼少時その一世一代の巣を無慈悲に遊びでめちゃめちゃにしていた罪悪感もあり、あるいは芥川龍之介のクモの糸のような世界も多少気にはなっている。

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オニグモ

尾崎左永子「さるびあ街」読了。永田和宏氏の本で知って早々に借りてきた。さすがにこの本を蔵書している図書館は少ない。仮名遣いや文語的な表現もあり読解難しいとも感じたが風、星、夜など気象に関する表現などが多く色調、雰囲気が良いと思われる。サルビアという色が持つ明るいイメージとは違い、人生は良いことばかりではなく、むしろ別離が背景として詠われており、暗い人間の感情が風や星や陽の光による自然現象を織り交ぜ表現されて、特に透明感がにいいと思う。

「かく生きて吾にいかなる明日あらん厨の窓に夕雲動く」
「反響のなき草原に佇つごときかかる明るさを孤独といふや」
硝子戸の中に対照の世界ありそこにも吾は憂鬱に佇む」
「心充つることなくすぎし幾年を己の罪と思ふことあり」
「ゆくりなく放たれし赤き風船が雲に近づきながらかがやく」
「冬の苺匙に圧しをり別離よりつづきて永きわが孤りの喪」

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高野山行 十三峠奈良(431m)

腕が回復つつあるのでお試しで久々に峠に出掛けたいと考えている。ただ、どこまで完全に回復するかは医師先生はハッキリ言ってくれておらず、年齢的なことも含め思いの外完治は難しいのかも知れず気分は重い。今年は不運にもコロナに頸椎ヘルニアが重なり早春でプッツンと峠ハントができていない。既に5年強になる祝園の単身生活もあとどれくらいか?と考えるとできるだけ関西の行ける峠を早めに消化しておきたいと思う。地図を見れば生駒山系では南側の峠群がまだ残っていて代表格は奈良大阪県境の十三峠、竹内峠で金剛山の峠はまでは自走アプローチが長過ぎることもあって簡単には出来ない。竹内峠は司馬遼太郎氏ゆかりの場所ゆえ是非ともクリアしたいところ。

今週は祝園滞在で十三峠を考えていたが間が悪いことに台風接近で悪天候。台風はややそれて影響は小さいとは言え午前中は雨予報で無念。しかし、早朝に起きて雲が流れているのを見て考える。「一度は行ってみたいと思っていた真言密教の聖地、高野山に行くか・・」と積極的考えが浮かぶ。速攻で支度をして7:30の電車で難波に向かう。南海電車に乗るのはこの方初めてで興味があり、高野線を堺、河内を抜けていく車窓を眺める。乗客はまばらで寂しいがそのぶんのんびりした雰囲気で千早赤阪、橋本を越えてからは山岳鉄道の様相となる。台風の残した湿った空気で山々はガスがかかってよく見えない。勾配のあるカーブを鉄路と擦れ合う音を立てながら電車は標高を上げていくと、これは結構な登山電車に思う。終点の極楽橋駅で降りる人はほんの数人。冷えないようにセーターにウインドブレーカーを着こんでケーブルカーそしてバスに乗る。とうとうバスは私一人となる寂しさも乗り継ぎは実にスムーズで奥の院まですんなり行く。猪突勢いだけで来たものの勝手がさっぱり分からぬので運転手さんにポイントを教えてもらう。奥の院前には観光バスが来ており少しばかり観光客を見る。空海聖人がおられる奥の院は締め切った境内に灯篭の灯りのみで暗いところが神秘的。いずれにしてもここが神聖にして最重要所と思われる。近くの茶休憩場所にて暖かい番茶を飲んで温まるが1000mの標高は正直寒く少し早い紅葉が始まっている。杉の大木の間を霧の風が勢いよく流れていく様は荒涼とという表現が適当か。その後は大門、壇上伽藍、金剛峯寺金堂とメイン所を巡る。昼を過ぎると少し明るくなってGoToと思しき旅行客も増えて来て通りは少しにぎやかになる。一番良かったのは壇上伽藍で想像以上に大きな建物に威圧され中の仏像や壁画など美しい。その横にあった六角経蔵という建物の、とってのついたコロを手で持ってぐるりと一周するのは面白かったが御利益があるのか思いのほか重い。14時、バスで帰路へ。うかつなことに南海難波駅高島屋大阪のターミナル駅であることをこの時初めて知った。高野線はスイスMOB鉄道(いわゆるゴールデンパスライン)と同じ山岳鉄道ということで姉妹鉄道提携をしているようですが・・何にせよだいぶ規模が違うように思う。

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(休憩所)

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奥の院参道)

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(大門)

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(壇上伽藍)

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(六角経蔵と取っ手)

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極楽橋駅

本日、雲が多いが予報は晴れなので十三峠を目指してスタート7:50。明日は勤務のこともあり早く帰って来て休息をとりたいところ。今日は雨上がりでロードバイクが多い。お馴染の木津川CR、ならクルで一人のロードの後を追って法隆寺まで。そこからから王子に出て信貴山への道路で激坂の登坂開始。信貴山と分岐してフラワーロードという整備された道を北進。この道の標高は相当高いため下界に王子と平群の市街が見え隠れしつつ生駒山山麓をアップダウン繰り返し平群に向かう。アップは10%程度はあるため予想以上に足を使うことになる。先を走っていたロードご一行は既に見えなくなり西風にも抗いながら苦しくペダルを回す。そろそろ十三峠と思い近くで作業をしている農家の人に聞くと親切にこの先1Kmを左折とのこと。見れば菊畑が斜面に広がってフラワーロードの意味はこの菊のことで収穫の真っ最中だった。道路案内のある十三峠、八尾方面の交差点を左折。本命の十三峠への坂道はフラワーロードのアップダウンに比べて楽な感じで約2km登ってゴール。それなりに登る人が多いと思うも頂上では輪をかけて大阪側から白髪シニアグループが次々登って来ては自慢話で輪が出来ている。これは明らかに眼下の大阪市街の以上に密になって危ない。大阪側の登りの方が激坂で有名だそうでいやはや初老人たちは元気です。体が冷えないようにさっさと下山。平群に下って王子から法隆寺経由でノンストップで帰る途中力尽き、薬師寺の見える公園でひっくり返って休憩、風は秋の香り。やはり左腕の違和感は消えず、全力を使った登坂などまだまだ望むべきもないと思いつつ残り11kmを流して無事帰着。コープでコーラを買い一服。何故かSTRAVAの帰路の記録が取れていないものの往路が最低限残っているのでまだまし。

「はるばると峠に立てりかずかずの疼みも身体の記憶となりて」


 73.47km 4:31:04 16.2k/h 獲得標高670m
https://strava.app.link/fjzhuOSYRab

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(十三峠)

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大阪市街)

長月のリハビリ、永田和宏「後の日々」読了

頸椎ヘルニア治療は続く。首周辺の痛みやしびれは薄くなり左ひと差し指の先端に麻痺が残る。リリカ錠というのを処方され安静にしてくださいと言われてから気長な治療続く。指先の感覚は凍傷でかじかんだような鈍感さで、微妙な凹凸や熱い冷たいを感じにくいような表現が適当か。そのくせ一時的に痒みを発するのは何故か?寝る方向が悪いと以前のようなジンジン左腕に痛みがくるのも厄介。実に実にヘルニアはコロナ以上に私にとって厄介な存在となっている。梅雨明け遅く、異常に暑かった夏の間も治療一辺倒で自転車に乗れずじまい。9月半ばからすーっと引くように暑い空気が涼しい乾燥した空気と入れ替わってきた。近年は10月近くまで台風来襲で暑い日があるが、今年はいつになく順調な秋の訪れに思う。整形外科の待合室もジワジワ患者が増えて混雑し始める。気温低下⇒ウイルス活性up⇒空気乾燥⇒飛沫感染リスク増加なので、こればかりは油断ならぬ状況で自粛期間が懐かしい。まあ、感染して軽症で済むという保証があれば良いのだけれど。
遅かった彼岸花が咲き始める。リハビリの効果を確認でお試しにママチャリ自転車(岐阜では当乗り物をケッタと呼ぶ)に乗ってみるとやっぱり左腕がしびれるので、遅々として治らぬ左腕をさすりながら秋の青空を眺めては恨めしくぼやきたくもなる。この5か月ほど追い立てられた仕事は無事納品を終え澄み切った気分になれたのはせめてもの救い。

「ヌスビトハギ 萩より早く花つけて秋風ふけば手招きをする」

コロナのせいで自転車の一大レースのツールドフランスも日程が一月ほど遅れて始まり先週無事終わった。今年は意外にも大資本で有力選手をかき集め何年間も連勝しているチームイネオス(英国)が早々に脱落して願ってもないチャンス到来。)ゼニ金で勝利を買うような振る舞いはスポーツ、ビジネス問わず潔しとは思わない私にとって、心の中で応援しているのはオランダのチームユンボ。21日間レースの序盤から総合トップのイエロージャージを維持して調子がいい。若手のファンアールトの活躍に加え個人的にトニーマルティンというドイツの選手が機関車のように必死にトレインの先頭を引いていくのを見ているとなんとも嬉しく頼もしい。レースは日本時間深夜にその日が終わるため、時差7時間遅れで就寝前になる息子と私は早朝にその前レースの結果と感想、及び今後の展開予想までをメールでやりとりし、「うん、なるほど」と納得してから毎日会社に出かけ気分は上場だった。紛れなくこのままユンボの牙城は崩れることはないと確信した3週間レースの20日目、我らがユンボのリーダー、ログリッジは最終日の前日の個人TT(山岳タイムトライアル)で、なんと1分リードを逆転されリーダージャージを失った。朝、携帯画面のレースレポートで飛び起き「な・なんと・・個人TTで2分もヒックリ返されるとは・・ドーピングは??」と思うもあとの祭り、哀れパリシャンゼリゼユンボが頂点に立つ夢は崩れその日曜日は朝いつもより一層昏い。そうそう良いことは続かない・・、今年ツールがあっただけでもラッキーと思うしかない。それにしても優勝の21歳ダディ・ポカチャルも2位ログリッジも、あのリュブリャナ自然公園の美しい小さな国、スロベニアの出身というのは凄すぎる偶然だと思う。

今日、朝散歩でスター性ちょっとあるかな?猫を見つけシャッター。今日、奥さんはお友達との会合でお出かけ。昼、独りの時はゼニ金をかけず質素にコヒーにパン少々。快晴なので体力維持のために金華山DWにrun。いつもの山道に入ると母と幼子2人を追い抜く。展望台は澄み渡っているものの風が強く木々が大いに揺れている。下り、さっきの子供が道に座ってぐずっているところに遭遇し「もうちょいや、ガンバ!」と言ってすぎると後方で「ガンバ、ガンバ」と幼い声が聞こえる。
7.47k 1:28:46 11.52k/h 標高172m
https://strava.app.link/y56ARxnfyab

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永田和宏氏の「のちの日々」という歌集読了。文字が少ない割に1行の内容があって難しい漢字表現で詰まり詰まりにしか読めないのが歌集。既にアンソロジ的な本を読んだこともあってベースとなる知識があるのでそれなりにすらすら進めたほうではある。夫人の河野裕子氏が最初の発病したあたりから以降の作品を集めたもので、所々に家族を伴った心の苦しみが見える。家族のぬきさしならない病のもつ意味の大きさは私にとっても他人事ではないと思わせられる。
「洗いざらしの木綿の帽子夏帽子あのときあなたは笑っていたか」
「花は野の花を選びて買いもどるこの頃鬱がちの汝が誕生日」
「二人乗りの赤い自転車かの夏の万平ホテルの朝の珈琲」
「全身でひとは死ぬなりどの組織ももういいと言うときに死ぬ」
「君よりもわれに不安の深きこと言うべきもなく二年を越えぬ」

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リハビリの葉月、「司馬遼太郎と昭和」読了

首から左肩にかけての半身不調が続くため、祝園の整形で診てもらうと頸椎のヘルニアと診断される。首の脊髄の間から神経が伸びてそのまま肩、腕、手のひらに伸びていて肩や腕のしびれと痛みもヘルニアが神経を圧迫されている由。骨の6番、5番、辺りの骨の間隔が狭くなって圧迫しているらしい。こうなるとなかなか治癒に時間がかかり・・と言って外科手術は大事になる。体を横にするのもジンジンしびれ地球の重力が恨めしい。加えて8月の暑さは異様で疲労が抜けない。そう言えば・・昨年もこの時期に胸部の痛みで精密検査を受けたことを眠れぬ布団の中で考える。ポンコツ化する体に年々暑さは厳しくなり、いつの日か暑い暑ーい夏が越せなくなる、そんな日がきっと来る。医者からは薬を飲んであとは日にち薬よと言われる。

「よつこらせ 靴に足入れドアを開け月曜朝の体の重たさ」

昼の休みに国会図書館へ行き昼食、入道雲が迫りくる夏の空が暑くてまぶしい。 

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今年の猛暑は盆以降も長くしつっこい。晴れれば35℃以上、岐阜も京都もどちらもいい勝負で38℃近辺はザラに出ている。ところで岐阜に帰った時の昼食は必ず蕎麦にする。司馬遼太郎の「殉死」という作品で乃木氏が蕎麦ばかり食べていたとあって、特に信奉者でもないが、「そんな人もいたのか。案外このスタイルは特別に変ではない」。岐阜にいる時の昼食は世話いらずのワンパターンで私が蕎麦を作る。最初はゆで方が難しいと思っていたところ「御岳蕎麦」を試してからは失敗が無く(茹で時間のマージンが大きいと思われる)、奥さんからもめでたく蕎麦係の役目をいただいたので私の作る昼食は「永遠の蕎麦」となる。しかーし、このコロナ禍の変調か近所の何軒かのスーパーからこの銘柄だけが無くなる。他銘柄は置いてあってもこれだけが欠品しているので「なんでなんや?無いと困るんやけどね」と聞くと、「よく出てましてねェ昨日入ってまた売り切れました」とのこと。当分の間はガメッと買いだめはありますが、あれれ・・意外なところで「縄張り争い」?。

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休息が欲しいところ盆休みもなく業務忙しさは相変わらず。業務の一部の工程を台湾とインドの会社にアウトソースしている。半導体に関しては台湾は既に日本より上なので英語ではあるが「一言えば四、五」くらいには理解が速く、問題無く進むのは予想通り。一方インドの方は昨年も頼んだ会社だったがM&Aされて東京駅前にオフィスを置くような大きい会社になったらしい。去年は代理店だったが今回はしっかりした窓口担当が置かれて実務も流れが良くなっている。全くこの分野の動きは速いと感じる。テスラの車など半導体の塊だったりして、巨大なアルゴリスム、ソフトウエア、制御思想一般は小さなチップに入れ込まれている。一時的な利益のロスを減らすために巨大投資の必要な分野を捨てて来たこの国の選択と集中は世界的AI、IT化の流れに逆行してはいまいか?

腕の不調は回復の兆しあるものの自転車はまだまだ。運動不足解消に本日金華山DWの水道山にリハビリ登山。いつもはランニングで駆け上がるところを歩いているが汗は普通以上に出てくる。歩くことで蝉の鳴き声はよく聞き分けられる。多くはクマゼミアブラゼミ、中にミンミンゼミがいるが人が近づくと警戒心が強く鳴き止み、今も昔もミンミンゼミの捕獲は難しそう。木々の陰を伝いながら展望台に到着。盆明けも涼しくならず。道横のネムの木にカナブン発見。私としてはコガネムシ系押し。

「熱風の中の苦しさパウパウとマスク呼吸は金魚のごとく」

「ぎっしりと種を抱きて立ち枯れしひまわりこの世に微笑みのこす」

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本屋で別の本を探していた時に衝動買いした、「司馬遼太郎と昭和」を読了。特別にどうこうはなく、いわゆるムック本で既読の本に書いてあることが多かったと思う。ああ、昭和世代である自身も古くさいのかも知れないと思いつつ、三島由紀夫岡本太郎田中角栄などまだ児童であった頃の話はよく理解していないことも多かったと気づかされる。単純に昭和世代と言っても60年間の前半、後半の違いは大きい。「芸術はバクハツだ」の岡本太郎氏の万博の太陽の塔の話を読んで再訪してみたいものと思うものの、ついつい思い出や記憶を辿るような行為自体が老化の元と気をつけるべきとも思う。

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谷汲花立峠(56km)、司馬遼太郎「オランダ紀行」読了

なんとなく豪雨が多く梅雨は長い。ほぼ毎日どこかの時間は雨が降りコロナ対策のマスクで蒸し暑い。業務の多忙は依然として継続中。思えば今年上半期は4月くらいからの記憶が乏しい。仕事の多忙にコロナ巣篭もりのワンパターンという日々の記憶で脳が占められている。在宅勤務中に食べた枇杷の種を植木鉢に入れておいたところの1本、めでたく芽を出しスクスク伸びているのがさしあたり唯一の印象的事項。毎週帰って来て、さてさて、どこまで伸びるのか楽しみと水を与えれば、後方の奥さんから「いいけど・・・このまま大きくなったらどうするのか?チャント自分で考えといてよ」と現実的問題を指摘される。
「一粒の枇杷の実ジャックの豆のごと伸びて砕けよガラスの天井」

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世間は自粛解除とかで明らかに駅や電車の人数は増加してかなり危険な匂いがするところにこの長雨続き。先週は岐阜も大雨が降りその後で自転車で上がった金華山から見た長良川の河川敷にある道路が見えないところまで川幅が広がっている。飛騨、下呂方面では被害出ている。昔から洪水の多かった木曽三川のこの地域には輪中など水防の歴史も含めて一定レベル以上の経験や信頼があるように思えるのが少しばかりの安心材料か。昨今、南海の海水温度上昇で湿った空気が短時間で雨を降らせるようで、地球の温度を一定に保つための対流現象の活性化と思えば温暖化と豪雨は無理もないと思える。

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今週は例の五輪のための休みが残骸のように残っている4連休。十分には休めずとも祝日として少しは休息がとれることが救い。疲れが溜まったせいか首周辺が凝って痛みはあるが、昨日は雨も降らないので自転車で谷汲方面へ出掛ける。西に向かえば山間部で少しばかりミストの雨に降られるものの無事に花立峠を巡って帰ってくる。雨のせいで少し気温は抑えられ助かる。到着したマンションの玄関先の木に一匹のクマゼミが騒々しく鳴くのを見つける。ホー、とうとう出てきた、そろそろ梅雨明けか。
「梅雨晴れに髪を短くした君はシャクヤク一本花瓶にたてる」

谷汲、花立峠周回 56.08k 2:47:20 20.1k/h 獲得418m
https://strava.app.link/kUlwxnTtP8

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司馬遼太郎「オランダ紀行」を読了。読み始めから約半年、並列に別の本も読んだせいで時間が余分にかかり約半年。或いは、自身も時間をかけてオランダという国に対する興味を持って読みたかったことも理由の一つ。ネーザーランドとは低い土地の意味らしい。ベネルクス3国の一つの小国と言えるがなぜサッカー、自転車などなどとスポーツ大国たりえるか?ベルギー人、ドイツ人との皮肉の言い合いなど笑えるところもあり。「この国は有史以来、国土は与えられたものではなく土木の一鍬一鍬の現実作業によって形作られてきたことが、国家形成が抽象的な物語ではない合理的な現実の歴史となって現在にまで続けられている」らしい。国全体の合理性にもつながっているようで運河に風車、水路に面した家々の構造にも統一感とさっぱり洗練された美しさがあるようでうらやましく思う。反面、本格的な山はベルギードイツ国境付近に行ってもないらしいが、著者自身、何度も感嘆する風景の美しさに加え、レンブラントゴッホに代表される絵画芸術。スペイン独立戦争東インド会社イングランドとの戦争、チューリップバブルに至る覇権争いなど経済的世界史の面白さもふんだんにありコロナ状況下にあってなかなか有意義な時間を感じる。改めて自身は紀行文が好きだと思う。次は台湾紀行か。

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セルフ父の日、金華山DW

在宅勤務終了後の毎週末は帰宅する。京都~岐阜間の電車の中は往復の回を重ねるごとに人が多くなってきた。京都からの近鉄奈良線の急行には学生さんの姿が多くなってすっかり元に戻ったような感じがして、違いがあるのは蒸し暑い車内でもマスクはつけていることか。ペチャクチャと聞こえる会話は男女問わず声も若い学生さん。大人と呼ばれる世代の人はどういう反応か見てみるとマスク越しにじっと押し殺している。ただ学生さんの会話は少々うるさく思えるものの話している内容は不透明な冬の入試や就職活動だったりすると「会話をするな」という電子のアナウンスが少々ヤボに思える。感染拡大について若い人などとと一般的世代を絞った、その行動をたしなめるような報道の仕方もどうか?感染による社会的ダメージは一番重要で活発時期を過ごす今の若い人の今後に大きく影響するのも事実。岐阜市内の道路の車の通行量もめっきり増えて、信号待ちも長くなりあの行動規制の頃の空いてた状況が少々懐かしい。

「くりおはぎ有名店は駅前に七十年の格子戸しめる」

感染者数が横這いなのを見ると専門家の言う、この冬期にウイルスはもっと活発に人間の隙間を見つけて入り込むという説明に納得する。経済を回すことは隙を作ること、それは再び長期在宅勤務という可能性を暗示しているが、在宅勤務は今多忙も重なり朝も夜も休みも区別なくなりがちで在宅が終わった後も土日の空いた時間に条件反射のように仕事をするようになっている。疲労回復と気分転換に外を歩いていると、つい最近までやっていた伝統の和菓子屋やファッション関係の会社の店や本社が閉じて空虚な建物になっている現実を見ると暗くもあり淡々と歩く。在宅勤務はアウトプット管理が出来ないと上手く回らず難しいところがあるとは言えそんな働き方が出来ない業種から言えば恵まれていると言える。

休日にも深夜に少々業務、その後の眠りが悪く白み始めた本日5:00に着替えて金華山DWサイクルに出掛ける。静かな長良川沿いを川原町の古い街並みを過ぎる。朝7時前の金華山DWはゲートが閉まっているが既に何人ものサイクリスト、ランナーが走っている。天気が良く少々心リフレッシュ。ランナーは飛騨高山マラソンの水色のシャツを着ている人が多い。
22.11k 1:18:40 16.8k/h 獲得328m
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「朝闇のなかで回路を反芻し疲れる身体の脳は眠らず」

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本日は父の日。とりたてて威厳もなにも無いゆえ、その自覚があるゆえに何かを期待することもないわけですが、ご両人から日頃のねぎらいメールが来るのを見ると雲が晴れる。形式的な電子文字は味気ないドットの集合体であっても、いじらしく大切に思えこの時を保存するべ特別にメールを保存する。金華山から帰って来てシャワーに朝食を作りふと新聞の高島屋チラシに「父の日」をうたうプレゼントに両口屋の透明な羊羹が載っているのを見る。奥さん曰く「いいんじゃないの。」ということなので自分のための父の日プレゼントを買いに行くかぁという、倹約質実性格にして年に何度となく、実に珍しい気分になって買い物に出かける。しかし行って実際に買ったのはたまたま出店していた京都の五軒外 良屋(ういろ)の「みなずき」になったのは「夏越の祓」、今後半年の祓いを兼ねて。

在宅解除とムシムシ百ヶ峰クライム(328m)

宣言解除とやらで在宅勤務は5月末で終了となることが決まった。自宅の机で普段の事務所の業務以外にこれと言って変わることはない。むしろ時期的に大陸、台湾が封鎖解禁フルスピード化しているだけに本邦の自粛ムードとは異なるところで無理が生じる。そもそも半導体なんぞは設計以外の製造も無人工場で疫病の影響が少ない産業かも知れない。あれこれ案件を並行にこなしつつ気が抜けない時に、間の悪い勧誘の電話がかかって来てはイラっとする。そんな3度目は少しじーっと話を聞いてから間をとって「アノヨー、、マスクに給付金やテェ、ちーットモ届いとらんでネエ、わしらぁー・・・マァーアカンガネー」と返すと相手側の笑いがとれてちょっと気が晴れる。

「コロナコロナ、ニュースに倦みてわらい欲し 笑点つけれど歌丸さん居らず」

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4月入社早々に在宅勤務になった娘が連休後に一時的に帰宅。親子で在宅勤務となった。向こうさんはZoomとかチームスとかいう私には馴染みのないツールを使っているようで違う文化を知る機会になる。ましてオンライン飲み会などと、一風楽し気な流行り実践しているようで、「そんなの面白くもないだろうに・・・」と斜めから見ていると意外に楽しそうで気になる。私は彼女の業界は知らないが色々聞いてみると知らなかったことも多く新鮮で勉強になる。
岐阜が宣言解除された先週末、在宅しめくくりに百ヶ峰登山に出掛ける。4月、桜が散っていく中を帰って来てから、山は新緑を通り越して猛々しい青さと夏の暑さの手前にあり経過した時の長さを思う。頂上まで行こうと、久々に展望台まで到達したが霞模様で視界はクリアでない。養老山は薄青く南に伸びて落ちるあたりが伊勢湾か・・。「かし是」にて買って来たパンとコヒーで昼食をとる。その帰り道、珍しく昆虫族に出会う。まずは奥さんが路上にいるコクワガタを発見。オスで寡黙でも生きてます。横のクヌギに逃がしてやる。しばらくして娘が木の上にいるシロスジカミキリを発見。こちらはかなり珍しくかなりデカい。じっと動きはないが存在感はアリアリ。昔は好きだったカミキリ虫は松食い虫のゴマダラカミキリのこともあり今は好きではなくなった。好悪あれど恒温動物と違って限られた温度範囲でしか生きられない虫の活動を見ると儚い感じがする。帰りに野菜を買うついでに夏の花を買う。

「片足を上げてカミキリ木のうえにヨガのポーズで時を愉しむ」

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(クワガタ)

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(カミキリ)
本日で5月も終わり。このところストレスもあって眠りが浅いせいか早朝に目が覚めてしまう。暗がりでボーっとして、あきらめの心境にて自転車で百ヶ峰へヒルクライムに早朝5時にスタート。平静と変わらぬ登山客が大勢歩いている山岳路を縫いながら登坂。大勢の方に声をかけられる。半袖、レーパンでも暑い。帰ってシャワーを浴びて作り置きのアイスコヒーとパンで朝食、体に疲れはあっても気分的には健康的に思う。

29.99km    1:52:45   16.0k/h 獲得459m
Stravaのライド記録です。
https://strava.app.link/qg3NjrJag7

夕方、在宅中の収穫というか・・お世話になった加納ネコ通りのネコにご挨拶。サラバネコ達ヨ!・・・というか、またまた、ぐうたらで、不要不急で、罪の無い顔は相変わらず。と言って、私はこいつらにはかなり癒されていたかもしれぬ。

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 (寝不足)

自粛下木曽川周回32km、アルベール・カミュ「ペスト」読了

有休を追加して4月29日より連休。5月6日までなので1週間強。在宅勤務は意外にも精神的な疲労も蓄積、自粛もあっていわゆる巣篭もりの休息ベースで連休は始まる。ちまた金華山、百ヶ峰などはゲートが閉鎖で山中での密集対策らしく占め出しの様相で敢えて出撃する気乗りもせず家の掃除、家事などで過ごすことになる。例年のことではあるものの端午の節句の飾りなど出す。

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連休終盤になった本日、ロードバイクのタイヤ交換して試運転ということで早朝に木曽川CR向けてスタート。この連休はrunを1回、自転車は新たな峠でも・・と思うもここに来て初めて出撃も何と言うことのない平坦路を1時間半程度走る。各務原から木曽川に出て犬山まで・・と思うも、特段何があるわけでもない。天気はやや曇り、木曽川の橋から伊吹山見えず。適当に一宮タワーを回るもここも占め出し状態。反対にサイクリングロードはランナー、サイクリストの縦列走行で混雑気味。早朝にしては人多く、笠松を回り早々に帰宅し、ちまきを食す。この端午の節句、幼少時は柏餅の記憶ですがちまきはこちらに来てからです。
32.7km 1:37:58 20.0k/h 獲得標高97m
https://strava.app.link/jADxIh8Vm6

自粛で近隣散歩道中の徒然に野良猫写真を撮る。家族に送り始めた最初は好評でも長くは続かない。人間の慣れ、飽きっぽさというのは避けがたい。そもそも写真には何もの足りない。と奥さんに聞くと「よく見てみー。キラッとしたスター性ない!」とのこと。それはそうかも・・。育ちも誉れ高い出身でもない野良としての猫性が滲みでるのは如何ともし難いようです。そもそもこの猫たち、日中はあたりかまわず駐車場や道脇などに寝コロガッテいるところに出くわします。だいぶ近寄ってやっとムクと眠そうな、面倒くさそうな顔をこちらに向ける。今でこそ効率的なコロナ自粛スタイルかも知れませんが、ああこの怠惰、羨ましい。少しでも可愛い写真を撮るべく連休中はこちらも惜しまず努力。

「ひと気無き路にゴミ屑散らしたるカラスの無礼を見るネコ唸る」

「「タレント性無いね」と言われ猫二匹 仲よく花屋のガラスに映る」

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(ねぼけ)

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(センター)

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(センター右横)

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(センター左横)
アルベール・カミュの「ペスト」を読了。話題とは言えこれは厳しい作品でした。ブームで売れてるそうですが本当にこれを買った皆さんスラスラ読めているのか?と自らの能力を不安に思う。私の借りた文庫本は版が古く、文字がメチャ小さいせいで老眼鏡でも疲れて1ページもつらくなって眠たくなって撃沈。なにより日本語訳もちょっと日本語的には??なところもあり、詰まることしきり。やたらと長い情景描写が抽象的で観念的表現の連続で理解が進みません。緊急事態宣言で図書館が閉まり貸出期間延長されたのを良いことに余裕持ってましたが「解除、出口・・」が近いとなると追い込まれて行くようで切羽詰まり始めストレスになる。期限が迫る恐怖で根性入れてようやく読了。それにしても長かった。今日起こっているコロナ状況と比較し人の行動に初期の政治的な采配など似ている部分もあると思いますが、一方で今日のような横の情報網、SNSが発達した環境下とは比較できない部分もありますので期待したほどに参照するべきところは少ないと思いました。しかし主人公の医師が過労状態で疫病と戦う姿は今日にも通ずるところで疫病下で起きる物価高に社会不安などは現代も同じくシリアスな内容の小説でした。出口という言葉を頻繁に聞くようになりましたが、小説では最後まで疫病にかかって落命しますので警戒は必要です。
続いて中断中の司馬遼太郎「オランダ紀行」。

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在宅エレジー、金華山run10km

在宅、いわゆるリモートワークになって一週間が終る。もとより在宅勤務制度がありこれまでも自己都合によって使うことがあったが、半ば強制的となる今回は何かと気分が違う。実のところ在宅勤務は苦手、正直好きではない。なんでもない会話ですむものをチャットとかいうツールを使うというのはいちいち面倒、苦労しても軽い表現でニュアンスまで伝わらないと思う。これは年齢的なものも多々あるかも?連休前に終わらせる業務案件もあり、やる気次第で土日も夜もお構いなしで回路シミュレーションを流しては検証進めているとオンオフの区別もなくなってくる。連休も区別なしと考えると、やれやれ、コロナコロナ・・いつまでなのかとますます気分が滅入る。
気分転換と毎朝、雨の日も風の日も早朝は6時前から散歩兼ねて中仙道、天満宮、清水川、岐阜駅を歩いて回るが大した運動にもならない。今年は寒さ続きで先週まで散り残った桜が花びらを散らしていてきれいだった。それが一週間過ぎるともうハナミズキが咲き出し季節はめぐる。意を決し、一旦祝園のアパートを閉めて帰って来たのがずいぶん前のようで、今春はいまいち春としての事象の記憶は薄くて乏しい。
「花仕舞い 落花浮かせて水溜まりに朝は茜のビルも浮かせて」

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朝活ならぬ日課の散歩では、車も通らぬすっかり静寂となった普段とは違った街路にあって時々猫を見かける。気付くと加納界隈には野良のような猫、或いは飼い猫が多いらしく、まあまあ可愛いので携帯の写真に撮る。とある街角で遭遇し、両者は目を合わせじりじりとにじり寄って写真を撮らせてもらうが、猫ソーシャルディスタンスではアウト?接近しすぎて逃げられること多くなかなか難しい。偶然撮ったいいのを家族に配信すると早朝にかかわらず「おー、イイネ」と即反応があり。「そおっかぁー気にいってもらってる、お役に立っている」と思うとお世辞でも私の滅入った気分はがぜんモチベーションアップ。次はさてさてと早朝から猫を探し歩く。
 
「朝歩き出くわす猫と目を合わせまたお前かと鳴きて行きたり」

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(ネコの1)

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(ネコの2)

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(ネコの3)

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(ネコの4)

自粛に休業補償で岐阜駅周辺もシャッターが目立つ。何軒かの居酒屋さんが昼に弁当を売り出しており、晴れた日の昼休みにママチャリを飛ばし速攻で買って来る。多少売り上げ貢献しているつもりでも、素人目にも客は少なく経営的には酷い感じで補助金などはどうなっているのか?と改めて深刻さを実感。自粛とは便利な言葉か、いざとなったら税金では守られそうにはないようで暗い。
「春晴れてドイツの補償は中二日と聞けば足下はますます昏く」
 
昨日は雨、本日は晴れて憂さ晴らしの金華山runに出る。2m以内に人が来ないように走っていても、「こんにちわ」と大きく声をかける人もいる中で発声など慎むべきものと静かに会釈。もとより通勤電車混雑の方がよっぽどと・・も思うもこのあたりの対策にはご都合主義が見える気がする。長袖では少し暑かったが展望台は風が強く少々寒い。木々は早くも新緑を装う。皆さん元気な人が多く次々とランナー、サイクリストが眼前を過ぎてゆく。今日は運動不足もあり体は重くゆっくりイーブンペースで帰宅。昼食の蕎麦を作る。
9.97km 1:34:17 獲得標高 161m
さてさてこんな生活はいつまで続くか?話題の本、カミュのペストを借りて読み始めたものの訳が難しく苦戦。

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奈良run(11km) 河野裕子「蟬声」読了

先週引っ越しはハードワークにて無事終わる。慣れない横浜の道に大いに迷いながら湾を跨いでは、けなげに走りまわる。宿泊した山下公園近くのホテルからは港が見えるも、海沿いを歩いている人は多くない。時節柄、高速道路の渋滞なし、宿泊コストがググっと安くなってお財布が助かりはしたもののホテルのガラガラいつまで続くかと複雑に思う。道を間違えて隣の奥さんに叱責浴びつつ焦りまくって乗ってしまったベイブリッジ、「ああ金をとられる・・」と悄然として広がる港を見ると大きな客船が見え、さすがに横浜と思った船は例の「ダイヤモンド・・」であったと知り驚く。

息子からは独の状況を聞き、千切れるばかりに心配尽きぬも実態不明な日本よりもしかしてマシ?とも思われるところあり。

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(富士山前のSA)

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(中華街)

横浜では満開だった桜がまだ京都、奈良でようやく開花。今週は京都滞在。昨日は雨、本日は朝雨があがる。午後15時奈良に向かってrun走り出す。木津川沿いは菜の花に桜で所々に人が出ている。木津市から登り始めて丘を越えると奈良県庁が見えてスターバックス前でゴール。
11.47km 1:40:18 獲得標高147m

Stravaのランニング記録です。

https://strava.app.link/8Y8a6nXlq5

おお、人が少ない、しかし日本人は普通程度には歩いている。煎餅にありつけぬ鹿もつまらなそう。氷室神社の桜は見事に咲いているが人が多くいるので避ける。店や人力車の観光案内も年末に比べれば明らかに熱気は無い。猿沢の池から奈良まち界隈を見て三条通ココイチにて早めの夕食。人の少なさを尋ねてみると「ホントにネエこの周辺のお店なんか閉めようと言われてる方多いみたいですよ」と普通ではない。ここは少しばかり貢献と二軒隣の店でイチゴ大福を購入し食べるも自分にとってはイチゴと大福は別に食べる方がいいこと気づく。

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奈良公園

河野裕子の歌集「蟬声」を読了。永田和宏の「夏・二〇一〇」と同時期の作品。図書館で借りた後に図書館がコロナでクローズされて借りたままになっていた。癌で亡くなられる前に詠まれた氏最後の歌集。有名な「手をのべて・・」などが収録されるが、永田氏の作品と対に読むことで人の想いや言いたいことと認識のすれ違いなどが作品を通して読める。言葉の使い手のプロ同士にあってさえ、言葉による理解、共感、誤解を含めて「伝える」ことの難しさを思う。病床が詠われたものが多く暗い心情でありながらもユーモアもあり心の動きが平明でわかりやすくどこか透明感のあり印象を持ちます。
 「これからが楽しい筈の人生の筈につかまりとにかく今日の一日」
 「「すみやかに」はよき日本語ゆゑにすみやかに死ぬとは言うてはならぬ」
 「もう一度のこの世は思はずきつぱりと書いてゆくのみ追伸不要」
 「もう一度行ける場所はもうあらず案外に狭いのだこの世といふ所」
 「若狭へと君は行きたり元気ならば共に行きしを花脊峠越えて」
 「あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言い残すことの何ぞ少なき」

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