メジロ観察、金華山DWライド(21.1km)、小池光氏歌集「思川の岸辺」読了

昨年末からchipの不具合の対応により多忙が続く。解析作業も思わぬ長期戦になって体力的、気力的にも参り始める。微細化LSIのテストチップ試作費用は相当高額なため不具合の原因の辻褄が合わなければ次に進めず日夜検証を回し、また悩みながらmailに回答しつつはや三ヶ月。休みも削られ腰、背中、首の疲労が溜まり寒さもあって体の筋肉が岩盤のようにコチコチに痛くなるところに頼る薬は葛根湯のみ、だましだまし耐える。疲労時の葛根湯は長年の経験から得たコツで、自分には案外効果があると思っていても気分的な方の憂いや精神の重さは解消できぬ。平日唯一の運動でもある朝の散歩で天満宮の白梅に来るメジロを見る。ああぁ、もう春や、この冬の記憶はほぼないような・・桃の節句人形と干支を交代する。

2月12日(日)、多忙な中、父の一周忌で姫路まで往復する。一時間近い読経の後で兄はお墓のことなど僧と話す。最近は少子化で墓終いなどが多いらしく25回忌以上で弔い上げ?をされるらしく、現存する墓の返却には墓石粉砕作業でさえそれなりに費用が発生するとか、私にはこの辺りの知識に疎いが大変そうに思われた。穏やかに晴れた日でいつものように三宮で買い物をし、疲れのこともあり体力と時間節約のため新幹線で帰る。

2月23日の祝日から飛び石連休になるので奥さんは娘に会いに連泊で東京に出かける。丁度、近くの梅の名所で祭りが始まったらしい。この日、私は年一回のマンション住民総会に出席。例年通り出席率は60%以上はあって他は知らないが質問や議論も活発でなぜか健全な住民意識が維持されているようだ。事前にEV用の充電設備の設置について検討をお願いしておいたが帯に短し襷に長しという内容だったものの、今は補助金もあってお安く設置ができる環境にあるとのこと。EV化は中国や欧米が変わればこの国の車産業も変わらざるを得ないので思うより以上のスピードで進むかもしれない。自身はハイブリッド車で在宅勤務に週末ドライバーのみで走行距離も伸びず、高いハズのガソリンも月に一回の給油はそう問題にも思わない。一方で仕事部屋で使うファンヒーターの灯油の値段の高さには何故かインフレを感じる。見回せば色々値上がりしているのはわかる。日銀の意識調査で「同じものでも値段の安い方のスーパーにわざわざ行くか?」という問いが以前あったが同じものでも生鮮食品は少し高いスーパー、汎用品はディスカウントスーパーと品によって買うところを分けるスタイルは元からで、この意識調査的にはずーっと前からインフレ対応のシフトになっていた。インフレと同時に例年以上の賃上げがニュースになっている。大手企業はさておき最も問題なのは最低賃金のほうで国の生産性向上や付加価値向上の解決策は欧州のスーパーで息子が見たようにアトキンソン氏の意見にもある最低賃金を11ドルや11ユーロ以上に一気に上げることではないか?・・また海外観光客のみ購入できる新幹線乗り放題みたいな切符など円ベースの安売りから観光国スイスの鉄道パスようにドル連動でしっかり儲けがでるようにすれば・・?と思う。
本日、金華山DWにライド。精神的鬱屈に運動不足で久しぶりのヒルクライムになると金華山の標高でも苦しいが煮詰まった頭の中が一瞬リセットされるようで帰宅後のサイダーを飲みつつ妙にこの時だけは鬱々とした心が少し晴れる。これも長年のコツ。帰路、梅林公園に立ち寄ると5分咲き程度。
21.08km 1:17:20 16.4k/h 獲得329m
https://strava.app.link/zORujQW44xb

小池光氏歌集「思川の岸辺」読了。この前、集英社のKotobaという雑誌で永田和宏氏との対談を読んで借りる気になったが永田氏と同じく配偶者が癌で亡くなられてその時期の前後の作品が収められている。題名の思川は栃木県の東北本線沿いを流れるごく普通の川らしい。いずれにせよ人は独りで死んでいく、残される側の想いやその後の変遷が文語調ではあっても分かりやすく読めた。
「室内をかえりみすれば常滑の急須がひとつおもいでのごと」
「わが妻のどこにもおらぬこれの世をただよふごとく自転車を漕ぐ」
「掃除機のコードひっぱり出す途中にてむなしくなりぬ ああ生きて何せむ」
「をととしの夏にもここにわれ来たり病室のきみより逃れ逃れて」
「秋ぞらに泛(うか)める雲や亡くなりてはや三年のときはながれつ」

 

関善光寺往復(41km)、安八周回ライド(46km)、暮れる想い、目黒冬弥氏「メガバンク銀行員グダグダ日記」読了

年始の初詣は伊奈波神社へ。二日から仕事の解析対応で時間を見つけてはLSI解析シミュレーションを走らせ、正月気分はそれほど無い。正月明け朝はTVでニュースを見たいと思っても正月番組の続きなのか家康やwebアプリの宣伝とPRが流れ続けるのでTV東京系の経済ニュースに変える。やれやれ受信料払っている甲斐はどこにあるか・・。

今年のサイクル走り初めは正月の2日、関市の善光寺でこの地方の牛乳が販促キャンペーンをやっているという話題を知って走り初めついでに往復をする。関牛乳はちょっとコスト高なので普段買っていない。朝、帰東する娘を見送った後の11時に出発。天気晴朗でも思ったより西からの風は吹いていて全行程がほぼ平坦路であるものの帰路は苦しむ。肝心の関牛乳はホットミルク、抹茶ラテ、甘酒ラテの3種類を購入して飲み比べてみるが、ニュースになるほどの特別感もなかった。もっとも只かと思っていたが(冷静に考えるとそんなことはないはず)有料、しかも最低で300円はちょっと高かった。それにしても一人で3種類で計1100円も買う人は周囲にいない。
41.3km 1:58:27 20.9k/h 獲得標高99m
https://strava.app.link/egEHbgmxWwb

(ホットミルク、抹茶ラテ)

次週は3連休で中日の8日は昔勤務していた会社跡地がいよいよ壊されていると聞いて確認がてら長良川から木曽川を周回するコースに出発。そばを作って昼食のあとに出発、今日も快晴にして伊吹おろしの風が冷たい。長良川河川敷を南下して左岸堤防に上がり長良大橋を墨俣に渡って安八に向かい現場に到着。ここ長らく見ていなかったが確かに建物はシートに覆われて取り壊し最中のよう。ありし頃は全体にビルがあった敷地は草ぼうぼうではないが荒涼として広がり、残り僅かの建物が残っている。いわゆる解体屋でなく大手建設会社が実行しているらしく着手中の工事はあと一か月程度で終わるように見えた。昔、年一回あった5月下旬のごみゼロ運動で付近を清掃した桜の並木も懐かしい。当時から見て日本の半導体衰退も、旧会社の衰退も基本的な波長は似ているように思う。国内に顧客が少なく(弱く)なり多すぎるメーカーの投資資金も海外に比べて貧弱で個々の会社の立場では延命策がメインとなり強化のM&Aなども手遅れる。出始めた海外競争以前に国内会社同士の競合で消耗していったように思う。それは今の自動車業界もなんとなく似ているように見えるが・・。TSMCの進出など半導体関係のニュース配信が増えてきたが、やや疑問に思う記事も多い中で湯之上さんという人の記事は少し辛口でも状況を正しく伝えていると思う。この敷地にはソーラーアークという太陽パネルが堂々と虚空に立っているがこの処分はまだ決まっていないらしい。あまりの強風の中、木曽川堤防は避けて柳津、笠松を通って帰宅。

セミコンと明るくよばれた頃もあり 消え去りゆく半導体工場」
46.28km 2:01:12 22.9k/h 35.1kmax 獲得標高117m
https://strava.app.link/LkkqmGnxWwb

年末から坂本龍一氏のコンサート配信を見ていたが、15日不意なことに高橋幸宏氏が亡くなられたニュースが流れショックを受ける。中学時代にYMOが一世を風靡しビルボードチャート100のジャズ部門でチャートインしているのを見て高揚した記憶がある。YMO散開以降も入れ込んで坂本氏、高橋氏のコンサートを各々たびたび足を運び、幸宏氏の「ヒトデの休日」というエッセイも買ったり2000年頃まで、いわゆるその世界にハマっていた。エッセイにも「ちょっと情けない男」をむしろ楽しんで演じているようなところがあり、粋でダンディな外見の雰囲気からすると意外性もあっていいなと感じていた。改めてCDを次々に流しYMOではロック調の「ラジオジャンク」「ナイスエイジ」ソロは「二人で暮らしてみたいね」「ちょっとつらいんだ」、サディスティックミカバンド「boys&girls」そして「暮れる想い」の加藤和彦氏も今は泉下、あの世間に勢いがあった時代も懐かしく悲しみ喪失感は深い。

「君に逢いしころにくるまでよく聴いたAozora(青空)はいいねと 高橋幸宏

「繊細で声うつくしき旋律の 高橋幸宏曲は旧びず」

昨年秋口に図書館で予約を入れておいた目黒冬弥氏「メガバンク銀行員グダグダ日記」を速攻で読了。この手のシリーズはタクシー運転手など色々あるのは知っていたがメガバンク行員の仕事場には興味があった。岐阜の県図書にはないが市立図書館にはこの手の庶民的な本もあって、しかも人気で37人待ちで忘れた頃に順が回って来た。著者のM銀行はシステムトラブルが3度、とあるのでイメージしやすい。氏の入行から現在(50歳?)までが時間を追って一般的な行員生活が書かれてある。収益源が融資から手数料に変わっていくなど窓口で投信を進められた自身の記憶もたどりつつ銀行側の事情を改めて知る。お金に対する考え方、パワハラ、ヒエラルキ、転勤、出世コースなど悲喜こもごも。あまりよく知らない文系職場の代表格銀行内の、それが生産的かどうかは別として組織と業務がなかなか大変なことを知る。

 

金華山DWのrun納め(10.32km)、積雪、Kotoba2022年夏号「運の研究」読了

クリスマス前から急激に寒くなってずーっと天気は優れない。朝や夕方(日没後)の散歩のときに決まってパラパラと冷たいものが降ってくる。強い季節風で北陸との分水嶺を雪雲が越して美濃地方に降らせるので一時的に日本海側の気候に似てくる。街角にいる野良猫も寒さに弱いのであまり見かけないがひょっこり「シマちゃん」に出会った時はささやかながらラッキーを感じる。

山茶花のよこにコスモス咲き残る やわき冬至の風にゆられて」

岐阜駅の南側にはサッカー日本代表の大きなウエアがかかったスポーツバー・・?居酒屋?がある。月初にあったWCUPの代表応援で日本vsスペイン戦の早朝未明に散歩で通りかかったときは「オーッ!!オーケイ、オーケイ、イイヨイイヨ・・、マダマダイケルヨ・・、あと少し・・ウヲォー!」見たことのないくらい熱い盛り上がりの声は店の外まで響いていた。てっきり勝てないと思っていた私は慌てて走って戻りTVを付けると田中碧や三苫のインタビューが流れていて、ああ世紀の瞬間・・見逃す。大会の流れはAMEBAのダイジェストで手短に追いかけていたが、中でもアルゼンチンvsオランダの最後にオランダがセットプレーで同点に追いついた場面のインパクトは印象強かった。今も店先には大きな日本代表レプリカユニホームが掲げられ寒い西風に吹かれている。
同時期に出張で欧州回りをやっていた娘から聞いた話によると、ドイツの顧客からは「あんたのチームにゃ~モ~・・すっかりやられちまったネェ~」と苦笑、独の某周辺国の顧客は「よくぞ、あの偉大で高慢なドイツを負かしてくれました。ブラボー」などと打ち合わせ前のスモールトークには困らなかったらしい。25日に帰省してきた娘はシュトーレンというドイツのクリスマスに食べるというケーキとノルウエーのコヒーを買って来てくれたので一緒にいただいた。コーヒー、普段は長良にある山田コーヒで香りが良いので豆を買って家で挽いて淹れているが、オスロのファフェブレネリーエは更に香も強く軽い酸味があって良い。地味な風のシュトーレンはマジパンというのが入っていて濃厚な味で見かけ以上にズッシリとして重みがある。今はどれもこれも為替のこともあって価格が高いらしい。欧州にいる息子からも、円安への恨み節を聞かされつつデコレーションされた街やクリスマスマーケットの写真が送られて来て、為替の理不尽は差し置いても私たちにとっては元気にしていることが何より。

シュトーレンこれが二度目と言う君にうなずき記憶を素早く辿る」

(金色がシュトーレン

先週24日の土曜に強烈な西高東低気圧配置で案の定、夜から雪が降って10cmほど積る。スタッドレスは履いていないので、岐阜駅南のカーシェアを初めて使う。レンターカーよりは短時間使用ができて価格が安い。3時間ほどで義父母の買い物も含めて用事を済ませて帰ってくるとマンション玄関に雪だるまがあった。仕事はトラブル案件もあって安まることなく忙しい年末になってしまい正月準備も最低限になる。

「あまりにも多く短くありすぎて切なき歳をひとつ重ねる」

本日大晦日、今年の走り納めとして金華山DWに早朝にrun。道脇ところどころに雪が残っている。6:40、日の出前に展望台に着。全体的に曇っていて東の空だけ雲が無い。MTBが1台、男性1人がコッヘルで湯を沸かし粋な感じでコーヒをすすっている。日の出前に雰囲気に浸っているように見える。私はあまりに寒いので日の出を待たず山を下るがコチコチに筋肉が固まってペース上はあがらないところを無理せずに帰着。昼はニシン入りの年越し蕎麦を作る。
10.32km 1:40:01 9:41/km 獲得168m
https://strava.app.link/a55OU4csrwb

永田和宏氏の連載を読むため集英社の「Kotoba 2022年夏号」という雑誌を借りてくる。この雑誌の存在は知らなかったが堅めの文芸誌のようなものらしく年4回しか刊行されていないようだ。永田氏と小池真理子氏の対談を読んだ後に特集記事が「運の研究」だったのつでに流し読む。この真面目そうな雑誌に、もし「運」を引き寄せる法則、ヒントがあればお得な読書ではないか・・。しかし成田悠輔氏はじめどれもこれも抽象的で難しくなかなか読めない。まだ読めそうなのが、経済学者が書かれた「運を引き寄せるシステム思考」だけだった。昭和の日本は直感に頼って上手くいっていたがその直感に至ったプロセスを経験値としての蓄積を怠ったことがここ10年下降線の要因と書いてある。経済活動も原因と結果の因果関係で成り立っていて運を呼び込むためには、その場しのぎのヤマ勘や雰囲気ではなくて論理的に因果関係に基づく正のフィードバックループを重ねて経営するべきと・・?。ビジネススクール的な言い回しなのか?文章がわからんところも多いが、要するに会社や国レベルも活動履歴を残し適宜結果に対する分析など論理的かつ妥当な作法で運営しないとそもそも「運」という確率的なものから合理的に見放されてしまうという、結論としては難しくないようにも思えた。

 

さざれ石公園伊吹山中腹往復(39km)、健康診断準備、河野裕子「どこでもないところで」読了

先の11月6日の岐阜信長祭り、パレードにキムタクと伊藤英明が出ることになって観覧者が大勢くると大騒ぎになっていた。当日の朝、義母から岐阜駅で開催されている農業祭で富有柿を二袋買って来て欲しいと頼まれたので、つい岐阜駅から延びる金華橋通りの人混みに近づくと意外にもスルスルと道路横まで接近できたところ丁度、馬上の二人を小さいながら確認できた。確かに人が多いし、頭上をヘリコプター数機が旋回してこの静かな街にして大イベントである。と・・言ってソウルのハロウィンのようなこともなく淡々粛々とした感じで、厳戒態勢もやや大袈裟空振りに思いつつ、そそくさ引き上げて柿の袋を自転車に入れて義母の家に届ける。岐阜に来て35年、信長祭りのパレードマジにを見たのはこれが初めて。

「キムタクの高揚感に絆されて信長祭りは群集を観る」
この前教えてもらった春日村の伊吹山に登る農道へ行ってみたくなる。春日村のさざれ石公園のから更に登っていく謎の道路らしく、同時に標高500mクラスの紅葉が丁度いい頃なのではないかと思う。翌日は雨予報なので天気の良い12日(土)に決行する。但し土曜の午前中は掃除に買い出しとレギュラーの務めがあるので自転車を車に入れて午後出発するものの焦り気味、途中で携帯を忘れて戻ったりしたせいでデポ地点の春日村の粕川沿いの運動公園に着いたのは14:30。すでに日が傾き残りはせいぜい2時間半が限度と思われた。早々に県道32号を粕川沿いに登っていく。ここは勝手知ったる道なので道案内に心配はいらない。沢沿いの木々はいい感じに色づいている。古屋の集落を越してさざれ石公園に約1時間で到着。この公園から上に延びている1本の細い道が目的の道らしいが急登の最初には金網のゲートが開いていた。ここからは幅の狭い激坂が延々続く。インナーローでエッチラオッチラペダルを回して登っていく。九十九折りで道が巻いてあるのがまだ救い。やがてガードレールが壊れたところが現れ頭上の斜面で工事のような音が聞こえる。アスファルトの道路がセメント道に変わってデコボコになったのでこれ以上は危ないと判断し今日はここまで、16:10。標高にして663mは意外と登ってないなぁ。伊吹山の中腹は縦に白い筋が遠くから見えるが石灰岩のガレ場でまさにこの辺りのような気がして、木々が少なく土砂崩れのような跡になっている。しかしこの急斜面にしっかりした畑があるのは驚き。見ると普通の野菜を植えているようで、この細い道は確かに農道らしいが酷く傷んでいる。工事もその関係かもしれない。日は伊吹山に隠れ山影は尾根に延びて日暮れは近い。暗くならないうちにと、寒風よけのウインドブレーカーを着て早々に下り始める。さざれ石公園までは慎重に下ってそこからは平均40k/hで黄色い葉の舞うカーテンを突き抜け古屋、春日の村々をすっ飛び下る。つるべ落としとはよく言ったもので、山影が瞬く間に伸びて昏くなる山道をミスを犯さないよう焦る心を抑えつつ攻撃的にカーブをきっていく。リスクのある高速ダウンヒルで出発地点まで約30分で戻ってきた時、既に17時過ぎにして真っ暗のなか無事着。晩秋、スタート時間が遅れは命取り。今年の500m以上のヒルクライムはおそらくこれが最後と思う。
「われままさに伊吹の影を彷徨いてつるべ落としの孤独を走る」
「孤独にも慣れて六十路の前ならば焦りを抑えことなくかへり来」
38.71km 2:15:52 17.1k/h 43.9kmax 獲得793m
https://strava.app.link/QyIrJAPKZvb

伊吹山崩れ)

(九十九折)

(岩手峠方面)
本日健康診断前の体重を落とすための苦肉のハードトレーニングで金華山にrun。明日は献血400ccで更に念を入れて体重を軽くして1日前の断食に入る。展望台からの下りカエデの色づきがちょうど始まったところで道路が晩秋の色になっている。
10.35km 1:30:30 8:44/km 獲得166m
https://strava.app.link/X36ht8uB1vb

このところ色々な本雑誌のつまみ読書を続けている。苦節やっとのことで河野裕子「どこでもないところで」を読了。氏のエッセイ集でおおよそ1980年代~2000年代までのかなり長い期間に雑誌などに発表されたものが本になったもの。内容的には難易度はほどほどでも、スラスラ読めるところばかりでもなかった。カルチャーセンター「短歌の旅」の日記は英国湖水地方が目的地で自身行ったことがあるので興味を持って読んだ。歯切れよく、切れ味のある・・ここまで書くか?という率直な文章が並ひ、与謝野晶子西行、馬場あき子、正岡子規に関する評論が後半にあり、特に当時流行歌人となった俵万智氏の「四葉のエッセイ」の中で、「安心してどんどん読めてしまい、何かあっけない気がする」という文の一節に加え「まるで資生堂カネボウの化粧品のコピーみたいだ」と書かれている所などがいかにも河野氏らしく印象的に残る。河野氏の息子氏によるあとがきに「母のエッセイをまとめた本はこれが最後になる」と書かれてあり、没後12年、今年は墓や歌碑などが出来たらしいが一抹、二抹の寂しさあり。

 

近場の峠(彦坂峠、豈坂峠)、洛北周山街道7峠巡り、眼科

近くの小さい峠が手つかずで残っているので行ってみる。先の「はじかみ林道」の如くいつでも行ける範囲であることがそれほど気合も入らず先延ばしになってしまっていた。10月22日、5時半起床に6時スタートで彦坂峠(98m)、豈坂峠(140m)。距離的に物足りないはじかみ林道を加えて周回するコース。タイツに長袖とベストを着用するが出だしは少々寒い。岐阜市内の長良、高富の街を抜けてから西に左折すると彦坂峠の緩い登りが始まる。朝も早いが通勤かそれとなく交通量も多めの道路は岐阜畜産センターの横を抜けるとそれほどの斜度もなく峠の頂上に達するとトンネルになって味気ない。そのまま西にダウンヒルして県道91号を北上。この伊自良湖に通じる田舎道から更に人里離れた県道174号に右折すると豈坂峠の登りに入る。ここは180度カーブのある登坂道で少し登れば看板と地蔵さんがある豈坂頂上に達する。休憩していると朝まだ早い時間の田舎の峠を車が何台か通っていく。隔週土曜の出勤の会社もまだまだあるらい。ここを東に下って例のはじかみ林道を登り長良川に出て帰宅する。はじかみ林道の頂上(284m)にサルトリイバラの葉が茂っているのを見つける。別名「山帰来」というこの葉を使って幼い頃に姫路の実家では時々柏餅を作っていたことを思い出す。父に連れられてこの葉を採りに里山に入り不用意に棘のあるツルに触れて傷だらけになった、ほんの数回しかなかった経験が今も懐かしい。久々に自分で作ってみたいと思いが湧き始める。
70.08km 3:14:44 21.6k/h 52.6kmax 獲得581m
https://strava.app.link/akUlt0Qzsvb

(豈坂峠)

11月、仕事は一段落したつもりが顧客の追加要望などで半導体のパッケージ仕様をまた変更となって、いかんせん手離れが悪くやりとりが続く。それでも飛び石の休みの間にある4日を有休にして京都洛北の峠ツアーに出かける。昨年は左京区の峠で今回は北区の峠で周山街道を中心に何個かの峠を巡る。前日、ロードサイクルを車に積んでおき朝4時半に出発し岩倉の東公園に7時着。タイツに長袖、ベストでトレイルランリュックにウインドブレーカーを入れて7時半、西方へスタートする。まずは京産大の前の交通量が多い道路の小さな丘の上りで原峠(130m)というらしいが1個目をゲット。次に賀茂川に出て北上する。山峡に完全に入って川幅は徐々に狭くなっていく。この道は賀茂川源流を辿る道らしく渓流の紅葉はすでに始まっている。

「冷えしづむ流れはかそか賀茂川の源流辿れば紅葉華やぐ」

持越峠(400m)方面分岐で川を渡ると急登となる。1台の営林の車に出会う以外に人気は無い。フロントインナーでリア25Tで辛抱してペダルを回し続けるとやがて尾根に出て日光が届く峠の頂上に到達。視界ゼロで風情は無い。ここは早々に下るが山影の空気は思うより寒くリュックからウインドブレーカーを出す。真弓方面に一気に下って周山街道のT字路に当たる。ここは桂川水系になって川が流れているが崖の木々は赤黄に色づきハットするような美しさ。周山街道は紅葉の名所、高雄から丹波に抜ける幹線道のようで広くない道をトラック、バスなど大型が頻繁に通るので危険を感じる。特に次に出てきた笠峠(400m)は旧道がバリケードで塞がれて自転車としては危険を承知でトンネルを抜ける必要があった。命かながら笠峠をクリアし少しの下りの後の登りは旧道が残る栗尾峠(410m)ですぐに頂上到着。ここは見晴らしが良くダイナミックな景観で久々にグッドな気分で一休み。峠たるものこうでなくては・・。向こうの山の斜面が見え周山の街は遠く西に見下ろせて、ここには展望所もある。ワインディングロードを周山の街に下ってウッディ京北という道の駅にてしばし休憩30分。朝から無食だったので玉子サンドを購入。平日でもバイクと車がひっきりなしに出入りするが自転車はいない。ここから国道477号を南に下って地図には無い登りが続き峠(名も無い峠350m?)を一つ越え次に弓槻峠(364m)に入る。ここも旧道はあったらしいが注意散漫で入口を通り過ぎそのままトンネル通過し、再度162号周山街道に戻って先の笠トンネルを抜けて最後の京見峠(410m)を目指す。この辺りでは疲労も濃くあってリア25Tでマイペース走行していると不意に一人のローディに抜かれるが今日自転車に会ったのは初めて。京見峠は昔の街道が残っていて頂上に旧茶店があった。今は営業休止らしいがその数件連なる街並みが街道の趣がある。疲れ果てて休憩している所にサイクル部隊が次々登って来た。おお、ここはメジャー峠らしい。ここを下ると鷹峯地区という本阿弥光悦がいたという文化由緒が多いところらしいが、激坂を下って疲れ果てた身には早く岩倉に戻りたい一心でペダルを回す。賀茂川を再び渡り京産大の原峠を登るといよいよ無事帰って来た安堵感が出てくる。好事魔多し、多くの京産大の学生さんの自転車の後ろについて走っていると急に左折されて目の前に現れた電柱に左腕とハンドルが当たり転倒する。交通量も多い道で危うかった。打った痛みをこらえ立ち上がると転倒時にペダルで右足の脛を数センチえぐったようで大いに出血していた。自転車も体もボロボロで岩倉に帰還。車に自転車を積み込んでいると見知らぬ車のカギが落ちていたので公園の事務所に届ける。現場を確認に来た事務の人曰はく「あんた岐阜からきたったんや?・・えぇ!ここから周山まで自転車で?ホンマぁ~そらぁそらぁえらいこっちゃなぁー、どうもごくろうさんどうした」と軽く少しは嘲笑のニュアンスが含まれている言葉としても誉め言葉に聞こえて悪い気はしない。13:40に岩倉公園を出て、混みあう京都の岡崎付近を通って無事に帰宅。疲れてぼーっとシャワーを浴びた後に思考力欠如でボロボロの脛の傷口に塗り薬を塗ったらムヒであることに気づき大いにマズい。因幡の白兎か・・本日は魔多し。それでも477号の名もない峠を含め7峠を一気にゲット、今年最大の収穫のうえに無事帰宅は満足すべき結果か。
70.08k 4:15:42 16.4k/h 48.8kmx 獲得1046m
https://strava.app.link/obxmwsSzsvb

賀茂川源流に近い)

(持越峠)

(栗尾峠)

(477号名もない峠の紅葉)

(弓槻峠のトンネル)

(京見峠茶屋)

「一陣の風爽やかな峠にて今日は七つめ京見の峠」

連休の前日に奈良の西大寺にある眼科総合病院へ年一回の術後の経過診察に行った。徐々に左目の視力に不自由が出始めたため検査が追加された後、前に言われていた追加の手術というのを早晩やる必要があることを聞く。腰痛や肩痛は減量と体幹のトレーニングという自助努力で改善したが、体の個々の部品は人の寿命ほど長持ちしないということか・・感覚が少し鈍くなった左人差し指先を見つめる。大和西大寺駅界隈は再開発中でスッキリした街になりつつあった。駅近くの近鉄百貨店で昼食のあとに歩いていると夏の銃撃事件の場所のガードレールには「献花はおもちかえり・・云々」と札があるが、もうそれに気を払う人もいないようで、時は流れている。帰り駅のホーム、所謂「撮り鉄」の人が何人か電車を撮っている。普段よく走っている電車の撮影にどんな価値があるのか??。実父が鉄道勤めだったので鉄ちゃん度に関しては自身天然ものと自認している。車両に書いてあるキハ、モハ、ロハ、クモハ・・などの意味は幼い頃に教えてもらった。「鉄オタ」、昔も今も少々恥ずかしいことに思っていたが世間的に趣味と認知されるのは好ましいことか・・?俗に言う「撮り鉄」ではなく「乗り鉄」派。普段見れない海外の鉄道などは撮ったりするが普段の走っている電車を撮ろうとは思わず、レールの音を聞きながら車窓からの風景を眺めるのがまあまあ好ましい。今どきのロングレールではない昔の継ぎ接ぎのレールの音を聞くと心地よい。けいはんな7年の生活で、近鉄吉野線や南海高野線に乗れたのはかなり貴重な収穫だったと思っている。在宅勤務の籠の鳥生活になって電車も乗らない生活になっているだけに久々に乗る近鉄京都線は懐かしかった。珍しく雨で小寒い天気の割に観光客と思われる姿の人が1年前に比べると多くなったと思う。帰路、雨の京都線をぼんやり眺めながら目の手術のことなど考える。

「何げない話しに笑う山ガール京都線にも日常もどる」

大茂山(450m)鹿穴峠(60m)、小野坂峠(147m)花立峠(210m)、金華山DWrun

神無月、夏から週末雨が多かったがようやく晴天が続くようになってきた。めっきり湿度が低くく快適な気候が続く。空気の変化でノーマスクでサイクル&ランにでかけるようになり呼吸が楽になって、肺活量に不如意なオッサン族には大いにパフォーマンスの改善になる。車を手放した義父母の家には週一で買い物をして届けると庭には良い香りがする。80半ばとは言え移動手段を捨てる決断が良かったのか・・微妙に思うのは、このところ義父は出歩くことも少なくなって具合がよくないと言われる。
「匂蕃茉莉(バンマツリ)の香りただよふ庭のさき義父は虚ろに秋を見あげる」

10月1日(土)何故かAM4時に目が覚めて眠れずそのまま折角なので準備して6:00、久々に大茂山に向かう。小寒い空気ではあるが忠節橋を渡り西進する。富有柿の産地である本巣に入って北進しこの地方で洞と呼ばれる山間に入っていく。彼岸花が咲き残る田舎道の勾配が急になると最初の鹿穴峠を通過。ここは2度目だがこんなに足を使ったっけ?と記憶がないほどに消耗。先がおもいやられるも、金坂峠の途中で分岐して大茂山の林道に入っていく。何故か一旦下ってからの激坂登坂区間をインナーローに1枚残しギアで登り始める。延々続く坂道はマイペース登坂しさらに無線中継所へ行く鎖止めの狭い道の分岐点に到達。鎖をまたいでギアを下げて更に厳しい急勾配をスタート。前はこの道の枯れ葉でタイヤが滑った記憶があるが今回はなんとかペース走行で頂上にゴール。新型カーボンフレームバイクの効果か?意外にもすんなり登坂できた。早々に下って来た道を帰るが8時台になると通勤なのか交通量が増えて、一旦停止そのまま出てくる車など危ないケースもあって一般道路は用心が必要。
52.84km 2:51:25 18.51k/h 57.2k/max 獲得699m
https://strava.app.link/cIAv9byexub

(大茂山)

10月8日(土)3連休の初日、大野町から谷汲に抜ける小野坂峠という小さな峠があることを教えてもらったので獲りに行く。地図を見ても大した峠ではなさそうに見えるので大谷スカイラインの花立峠の南斜面を経由していくことにする。朝6:00スタート。本巣から更に西進して大谷スカイライン入口を探し当てる。登り始めはフロントインナー34Tのリア21、途中で23に切り替えながら登坂し難なくゴール、南斜面の方が緩やかな印象を持った。その後谷汲側に下って左折し小野坂峠にかかるが北側からは大した坂でもなく頂上のトンネルに入る。むしろ南側のS字のヘアピンカーブが連なる斜面の方がヒルクライムとしてはメインと思われる。いずれにしても里山の生活道路クラスで標高も高くはない。ここも車の多い303号を追い風を背にして高速で帰ってくる。
51.62km 2:29:29 20.7k/h 42.3k/max 獲得384m
https://strava.app.link/1NfAiBPIxub

(花立峠)

10月15日(土)活動トラッキングアプリの機能にLocalLegendというタイトルがあり誰かが登録した金華山DWランの柏の杜公園~水道山までの区間において私は秋口からLocalLegendということになっている。90日間で最多エフォートという意味らしい。無意識とは言え獲得していた、たわいないアプリ上のタイトルにしかないが、ここはエフォート上積みのために今週はrunを選択する。暁前の6:00スタート。暑さと湿度が無い分走りやすくなったと実感。柏の杜公園でJRの看板を発見する。今日はJR東海がやっているさわやかウヲーキングの日らしく、このトレッキング道を水道山まで登るようでオリエンテーリングのように木に看板が設置されている。水道山の駐車場はスルーし難なく展望台まで到着。展望台は無人だったが先客がいることに気づく。狭い展望台には唯一の入口があるが、この先客は私が入口に立っていることに気づくや慌て始めたのかせせこましく左右に往復を始める。その様子を楽しく見つつ遠くの伊吹山に視線を移した時に「キィーッ」という鳴き声とガサガサと何かが雑木林に落ちる音とともに、哀れリスの姿は無くなった。投身しても落命するほどの高さでもないと信じる。その後帰宅。LocalLegendタイムも自分としては良好な結果に満足。シャワー時に右目が大規模に出血していることに気が付く。来月、眼科での術後の定期診察を受けることになっているがそれは左目のほうなのだけれど、調べると結膜下出血らしく大事でもなさそう。
10.32km 1:27:22 8:27/km 獲得157m
https://strava.app.link/QdPZ89QIxub
「ドレインを覗けば映るわれの影 ボロンボロンと風は揺さぶる」

金華山展望台より逆の山影)

試作品の年内サンプルUPのため月末にはデータをFABに出す予定で、デザインレビューは来週と決まり最後の山場が近づく。カリカリ在宅勤務に困ることの一つは戸外の騒音。東方の10kmくらいにある各務原基地から飛び立った自衛隊機が頭上を通るときはオンライン会議が聞こえん。また付近の工事や庭木の剪定作業の機械音も二重ガラスの中に容赦なく入ってくる。朝晩には救急車が多いのに対して昼間に増えてきたのはパトカーのサイレン。いたって静かな住宅街だけにサイレンの音に続く「そこのぉー、○✖止まりなさーい!!」は非常に大きい。一方通行の路地で違反の車がよく捕まるようで多いときは日に2回くらい発生する。税収が不足するときは交通取り締まりが執拗で頻繁になるとか、都市伝説を聞いたことがある。静寂を破る大音量に何事と窓を開けて覗くと気の毒にも打ちひしがれたドライバーの横に警官が二人立って事務的な話をされている。パトカーは路地の隅に姿を隠しているのを見かけるので、これに限らず交通ルールは守らねば懐も寒い秋になってしまう。

リスキリングという言葉をよく目にする。パフォーマンスの低下した中年の生産性の向上やDX化を進めるための対処療法として語られることが多いようだ。年齢的にも対象範囲に入っているので自然と意識が吸い寄せられ、対処方法とは云々・・記事を読む。DXが全てとは思えないがハテ、どういうレベルが問題なのか?予防策や解決策は?と見ても短く書かれた新聞程度には極端な事例が多くピント来ない。抽象的ではない実務レベルでスクリプトとかいう類の専門的なプログラムを作成して大量のデータ処理などこなせている間はまだマシなのかぁ??霧は晴れない。そもそもプログラムというヤツがアルファベットを基準にした言語を使うことからして和言葉の日本人には不利だと思う次第。例えば”if, else,go to, set, source, awk, ・・続く変数などなど(日本語ならマシ?)自らの経験では講習で基本が理解できても実務使用するファイルと言えばスクロールで延々と続き一見では理解できず、まして修正やデバッグ作業をやるにはそこそこ実務経験が必要に思う。大手の会社で内部でDX教育をやると書いてあるが一体どういうレベルを目指してのことなのか?自らの身の置き所ふくめぼんやり秋のすきま風は寒い。ましてこれまで文系職種と言われている場所でやるというのは記事が言うほど簡単でない気がする。
「生きるのが上手くならぬと思いつつ還暦に向かう慣性運動」

シャイン祭、はじかみ林道峠往復(54.16km)、安部公房「砂の女」読了

奥さんの職場の同僚の話で岐阜駅にあるドーダというスーパーの野菜屋さんが年1回やるシャインマスカットの安売り祭りが近づいているはず、その日はいつか?と待っていると聞かされる。普段は五百円の弁当を駅に買いに行く私としては親切心と同時に評判のシャインマスカット祭りのご相伴にあづからせていただこうと平日も目を光らせていた。ブドウは巨峰、デラウエア中心で話題のシャインマスカットは高コストに加え貧困妄想が取りついた私にとって高嶺の花と思っていた。一昨日、ついにその日がやって来た。店の入り口に普段は見ない老人男女の列ができて様子が異なり見ると中で何人かが緑に輝くシャインマスカットを次々箱から取り出しては袋に入れている。山梨産で普段1580円が1000円になっていたのでこれぞシャイン祭り、一人で何個か籠に入れていく人もいて平日の昼にしてこれは結構な売れ行きに見えた。梨とシャインマスカット1房を買うと同時に奥さんにメールして使命を果たす。秋は果物の季節だが確かにこのブドウは美味しい。


涼しくなって朝の散歩にも適温となる。桜の木が降らせた落ち葉にきれいに白いキノコが顔を出すが日影にひっそり妖艶、どうみても毒キノコ。近くの栗の木もイガが大きくなっている。岐阜の市内も人出が明らかに増えていて駅に近いコインパーキングも50円、100円と値段が上がっている。岐阜は市内中心部移住を促進している補助金のせいか最近マンションがポンポン立ちつつある。数年後完成で駅前にも高層マンションが計画中だったりする。殺風景で似たような建築物がニョキニョキ出来て私の仕事場にしている北向きの自室からの視界を大きく占めて何とも言えぬ残念さがある。数年前に北の金華山岐阜城が隠れ次に水道山が遮られ、いずれ奥さんが岐阜人の心と大切にしている岐阜の大花火が部屋から見えなくなってしまう・・。今見える山は百々峰の連山、失って始めて知る大切風景、山下達郎の「俺の空」という曲が心に染み入るようでただ寂しい。ところでマンションの売れ行きのほうは入居開始後から長々と埋ってない所がそこここにあるようで処分セールのチラシも入るので決して好調のようには見えず値段高騰?いやこの街の需要にして過剰なのか?と思う。在宅ワークでようやく10月末の台湾最大FABの工場投入まで漕ぎつける。あと少し。

「得意でもなかつた仕事は唯一のキャリアと呼ばれる取柄になるらし」

先週の9日に英国女王が亡くなられたがそのニュースではロンドンには虹が出ていたが、偶然この時期に珍しく夕方に金華山にも虹がかかった。

(ドクツルタケ??)
3連休初日の昨日土曜日、はじかみ林道表(南側)にride。少々遅く8時にスタート。登校日なのか私立高校生が大勢自転車で走っている市街地を気を付けながら北進。長良、高富を抜けて山県のT字路を左折。台風接近のせいか気温と湿度が高いものの畔道に赤い彼岸花が帯になって咲いている。大桑城方面に右折していよいよ登坂開始。南斜面は日影が少なく暑さでへばり気味で一人のキャノンデールのお兄さんがペース走行で抜いて行く。ギアを使い切ってヨタヨタしながら頂上着、厳しかった。二度目とは言え眼下のゴルフ場など景色はまずまず。太陽の日射を遮るものもないので早々に北側へダウンヒル。武芸川沿いを下って長良川沿いにでて帰宅。長良河畔ではパラソルの出店が出ていたが賑わいと言うには少ない。頂上でstravaの再起動を忘れ帰路の中間が抜けているが手元のメータで

54.16km 2:37:40 20.6k/h max38.5km 獲得358m
https://strava.app.link/1BpCs1F8Atb

「夏草とともに刈られし彼岸花 仰げば秋の宙に吹く風」

長々読んでいた安部公房の「砂の女」読了。昔々、読んでみたいリストには入れていたがすっかり忘れていて今年、100分で名著という番組を見て記憶がよみがえる。早速図書館で本を借りるがヨレヨレ古くて印字も小さいく途中から通販で文庫本を取り寄せて読む。砂丘の中の家がだんだん砂に埋まっていくのに格闘する物語という程度の知識で読み始める。結末が想像に反した平坦な印象をもったがそれでも砂地獄からの脱出を試みる主人公の心象など要所要所は面白かった。実際にモチーフになる砂丘があるのかわからないものの乏しい知識から鳥取砂丘を思い浮かべつつ読んだがどうも、生き物のような砂丘の性質が本当に書いてあるようなものなのか?わからない。普遍的な内容を描きつつも昭和的な貧村の情景など時代的な古さを感じてしまう。自ら世間体を脱し砂の家に囚われてしまう主人公が脱出を試みるときに「漂流者が飢えや渇きで倒れるのは生理的な欠乏そのものよりも、むしろ欠乏に対する恐怖のせいだという。負けたと思った時から敗北が始まるのだ。不必要に騒いで時間と言う馬を駆り立てることもないだろう」という独り言が妙に印象に残る。この本は何度か読み直して良さがわかるのかもしれない。

 

桔梗便り、金華山DWのrun(9.7km)、ひろゆき氏「叩かれるから黙っておいた世の中の真実」読了

空気の重い多湿の日が続く。一日のどこかで必然のように雨が降り不快感から逃れられず、フローリングを素足でペタペタ歩くと湿っぽい。とは言え、さすがに盆を過ぎるとさセミの声は少なくなってくる。葬儀には参加できなかった息子と先週、姫路に帰郷して父の初盆のお参りをする。コロナのこともあり一部の親族だけで行われた。姫路からの帰途は在来線を使い、元町駅で降車しエビアンというコーヒー店で休息。レトロチックなエビアンコーヒは今もって懐かしく美味しかった。店員に聞き外にあるトイレに出てみると昏い小さな路地の階段の奥の方から軽やかな楽器の演奏が聞こえる。後は三宮阪急でピロシキを買って帰る。

「元町のエビアンコーヒー懐かしき 店の裏路にジャズ響きをり」


盆には娘も岐阜に帰ってきて久々に息子も含め家族が揃う。夕食は勢いのある若い人のリクエストで近くの焼肉店に外食すると岐阜ではコロナ発症者が急増する中ほぼ満席状態で活況活況。ホント大丈夫かな?・・と思いつつ腰を下ろすとテーブルにあった桔梗絵のコースターを涼しげに見る。秋に向かう頃から咲くものと思っていたが、先日行った金華地区の月待茶屋の床の間にも桔梗があるのを不思議に思い調べてみると花としては夏の始まりから開花するらしい。それでも秋の七草として暑気が一息つく時期に青紫の花が静かに咲くのがやはり好ましいと思う。

(月待床の間)

家族が揃った2日間、娘の車の運転練習を兼ねて近辺のプチ観光をして結構な走行距離となる。板取の「モネの池」、大垣の「向日葵畑」春日の茶畑の「岐阜のマチュピチュ」など。各地、誰か一人は行ったことがない場所でささやかな名所めぐりをする。インスタSNSではそれなりに取り上げられているところばかり。向日葵畑を背に写真を撮る大勢の人々を見ると西方の戦争を思う。あっという間の4日間の休みが終わり15日より業務、娘も帰東する。4日の休みではなかなか疲れが取れない。

「関心は空気のなかに薄れゆく罪の心に揺れる向日葵」

(モネの池)

(向日葵)

マチュピチュ

今日、朝起きて雨が降っていないので久々に金華山DWまでrun。久々は体が重く、柏ノ杜公園からの登坂で汗がしたたりつつ展望台まで。数人のロードバイクの人とれ違う。いかにも水蒸気を含んでいる空気が雲をつくりながら上空を流れる。下りはDW(ドライブウエイ)をそのまま岐阜公園まで下って御鮨街道からは気温が上がってきてまるで水棲生物のように汗だくで帰宅。体重2kg減、体中の老廃物がそげ落ちた気分でまずまず。
9.73km 1;42:56 獲得標高163m
https://strava.app.link/SIRdFLMk1sb

現在「砂の女」を読んでいるが苦戦中で、一昨日奥さんが机にこの本を置いていたので問うと「あんたも良かったら読んだら?ついでに読み終わったら図書館に返しておいて、三日以内ネ!」とありがたく、今5人待ちになっているらいしいひろゆき氏の本を再度読み始める。なんというか・・思考的にも無理なくスラスラと淀みなく読めるので1日でひろゆき氏「叩かれるから黙っておいた世の中の真実」を読了。銃撃事件以降にも氏の発言をよくwebで見かけるが、一般メディアとかが敢えて追いかけ報じていない不都合な事実というのがいかにも多いということ、とりわけ海外からの立場でその違和感を遠慮なく発信できるということか・・。自身が、かすかに業界の一部に参加している半導体に関しても昨今の補助金に関しても「さすがにこれはどうか・・」と思うような見識がニュースや新聞にもあるので同様の印象は持っている。30年前から現在地までの半導体の落下に関する認識をも、いはんやをや・・、公共TVに折角払ったお金で重大事より見もしない大リーグを延々流されてもねえ・・と思う。正しい事実(ファクト)や知識の元で論理や批判を展開することが重要というのは同感で各章では一応統計的なファクトを示しつつ現状の政治、社会、教育・・などの認識が書かれている。一方、後半にある学校でお金の教育が必要だという部分にも同感するが、その場合の先生役はどうするのか?現役金融界の人にお願いしたりすると、えてしてポジショントークの自社の手数料商品の売り込みの場にならないか?とぼんやり危惧も抱く。

 

文月の畑仕事、金華山DWライド(21km)、ユンボウイズマ勝つ

参院選挙に銃撃事件の騒がしさのなか息子は事無く一時帰国した。前回の隔離期間や羽田送迎作戦もなく今回は穏やかでスムーズな帰国となったが、「ルフトハンザの座席周りは良くなかった」と不満を一言、いたって元気である。普通と言っても、帰国直前の国基準の水際対応ではそれなりの運や不運に巻き込まれるようで搭乗前の72時間のPCR検査陰性が必須で、忘れて空港で検査を行うと4-5万円の出費(市中なら只)。尚且つ陽性となると待機ホテル費用に検査費用など、この円安期に結構な出費が一気に膨れてパニックになるらしく、帰国者の間では陰性証明獲得から始まる一連の段取りがシリアスになっているらしい。出発前の欧州は熱波到来で35℃以上になっていたそうでエアコンの無い建物の多い欧州の街は大変に違いない。多湿ではなく乾燥で紫外線が強いことが暑さの質としては痛く感じるそうだ。雷雨がの後に晴れて通りの樹木にセミが鳴き始める。ぬるま湯のような雨が上がった後は異常に蒸し暑い。湿潤に弱い私としてはこの日進月歩のAI時代に気温だけでなく湿度予報くらい出して欲しいと思うところ。部屋のカシオ温度湿度計は連日朝から気温31℃に湿度Hiと表示され(本当か?)、客観的データからして不快で体調も芳しくない。
「夏の日の主役は帰り来、昼下がり街路樹ひとつオーシツクツク」

奥さん出勤、息子は昼食のカルボナーラを作ってくれる。もっぱら食事はパスタが多いとか。土産としてDallmayrの珈琲をもらい昼食後と午後の休憩に美味しく味わう。在宅勤務で話す友達は奥さんのみという、世に言われる「ボッチおじさん化」進行の激しい私としては息抜きの会話を含め有難い。先日は娘から遅い父の日のプレゼントとしてラコステのシャツをいただき普段は自頭至足先ユニクロの私としては感謝感謝。

2つ目の並走プロジェクトが終盤になって早くも別のプロジェクトがスタート、ちょっとした息抜きで溜まった疲労がどっと出てくる。昨今、半導体業界としては需給バランスは緩んでいるようで台湾大手のFABも若干余裕があるらしくあれこれ変化速い。かつての国内電機会社は工場に流して利益が取れる製品が無くなりやがて微細化に向かう再投資も回らずドロップアウトになった。補助金で工場は建っても償却できるくらい流す商品が継続するかが問題で早晩流す製品の開発が問題になるような気がする。

金曜日の夕方に散歩を30分、天満宮の提灯祭りも行われていた。今年は例年通りらしい。次の土曜日に久々に息子と自転車。息子は私の新しいロードバイクを乗っていく。長良川河川敷を流して川原町の古風な街並みを通って金華山DWに入る。毎度のことながら、一緒に登るのはあと何回か?と思いつつペダルを踏む。
21.12km 1:21:44 15.6k/h max39k/h 獲得329m
https://strava.app.link/3ssJOpW8tsb

植え付け後の状況を見ていなかった畑のカボチャを昨日、大垣赤坂に見に行く。3つ苗を植えたはずが驚くほど様子が変わっている。面倒見が悪く伸びに伸びたカボチャがジャングルのように蔓延り葉が腰くらいまでの高さになっている。生命力や恐るべし、隣家の塀に達し越えんばかりになっているので防止のためにカットする。奥さんと二人で1時間、汗だく必死に幹を切っていくのは自然の猛威に立ち向かうような心境。昔、実母は雑草の生えるのを「自然の猛威」と言っていたのを思い出す。ゴロゴロとカボチャ収穫量は多くて消化しきれず義父母や近所のひとに配ることにする。我を忘れた遮二無二の作業で腰や背中は知らぬ間に疲労が凝り固まって残っていて帰宅後はダウン、にわか週末農家は中途半端に楽ではない。

オニユリも咲く)
今朝未明にツールドフランス2022で我らがユンボウイズマがとうとう勝った。デンマークのヨナス・ウインゲゴーがタディ・ポガチャルに勝って総合優勝になり実に喜ばしい。本当はユンボのプリモシュ・ログリッジに勝って欲しかったが残念ながら落車の負傷でリタイヤとなった。18ステージ、ユンボのワウト・ファンアールトの機関車でウインゲゴーが勝利を決めたピレネー山脈オタカム峠の映像を見て涙腺が緩んだ。デンマークコペンハーゲンスタートした今年のツールは面白かったと思う。4年前までは魚市場のパート従業員だったヨナス・ウインゲゴー(25歳)がユンボにスカウトされ、わずかの期間でトップに立った。このことも含めロードレース界の懐の深さ、この数年で年齢構成はガラッと世代が若返って世の中の時代の変化をつくづく感じる。
「三週の勝負を決めるピレネーユンボは勝ちたり少しいい夏」

 

茅の輪くぐり、はじかみ林道峠(47.21km)、大森静佳「この世の息・歌人河野裕子論」、永田和宏「あの胸が岬のように遠かった」読了

一昨日の6月30日、岐阜駅へ昼の弁当を買いに行く時に天満宮を見ると茅の輪が現れた。夏越の祓、数年ぶりにみそぎ祭りがあるらしい。人気のない真昼の境内で一足先に潜っておく。うーん早い、もう半年が過ぎた。早々に梅雨が明け?・・容赦無い陽光で連日の猛暑。LNGに電力が不足云々と熱中症への警戒が矛盾も関係なしに連日報じられると間が抜けていて意図がよくわからない。ここ岐阜は有数の高温地帯で一旦体調を崩すと大きな時間ロスになってしまうため冷房を迷わず使用し体調管理に気を使う。やっとのことで海外ユーザ向け2並列プロジェクトの1つが先日終了し、2方面がようやく一方に集中できるようになる。TSMCなどFABは需要がやや緩和されはじめているらしいが開発面の逼迫は依然として続く。在宅勤務はオンオフの区切りが曖昧にして孤軍でアクセクするのは精神衛生的にに良くないことをつくづく実感。成果まで息抜きの時間が無い。先年やったホテルでのテレワークプランも決定打というほどパッと転換にもならなずそれ以降は使っていない。あれこれ彷徨った挙句、朝夕の散歩とストレッチでわずかに体を動かし街路にたむろするネコの観察が唯一の憂さ晴らし。

(暑さで緩むキンゾーさん)
昨日、7月1日(金)は創業記念で休み。岐阜市の北にある「はじかみ林道」という峠に行ってみる。ここは以前教えてもらって行きたかった。昨今の高温を考えて8時前には帰って来たいので日の出の4:40にスタートする。長良橋を渡り平日とは言えほとんど車のない道路をスイスイ北上。最初の椎倉坂を越えて武芸川を左折して進むとやがて大桑城の看板とはじかみ林道入り口標識を発見する。フロントインナーに入れてやや薄暗い湿った空気の中を登坂開始。それなりに覚悟していた激坂は以外にも無くてやがて頂上らしい駐車場に出て登頂。何本かの旗が揺れるここ、古くは土岐氏の城跡の大桑城、つまりは明智光秀ゆかりの地らしく、林道と言いながら城跡観光用道路でもあるらしく路面の状態は全く問題なし、峠からの視界も開け申し分ない。そのまま南側に下ると距離も長く斜度も急そうで実は南面がメジャー登坂コースであることを知る。通勤、通学ラッシュの長良界隈を経て7:30過ぎに帰着。

https://strava.app.link/7O3Xq9DkJrb

45.77km 2:23:21 19.2k/h max39k 獲得413m
いよいよ今晩からツールド仏がコペンハーゲンから始まりJスポーツの無料中継を奥さんと見るが平均時速50km以上のTTレースは残念にも雨模様で街の様子がよくわからん。約3週間、新城さんは出ないが今年こそ我らがユンボの勝利を願う。

永田和宏「あの胸が岬のように遠かった」読了。昨年、新潮の読書雑誌「波」に連載されていたものの単行本化されたもので連載時に読了していた。まえがき&あとがの加筆部分を探るために借りる。今回の本も先日NHKのドラマにもなったので観たが小説とは違ったイメージ。メジャー歌人夫婦の出会った頃を河野裕子氏の日記を元に忠実に書かれたもでのあるが心の描写などのリアルさは特異で普通の日記ではない。河野氏の第一歌集のあとがき「他にも生き方があったのではなく、このようにしか生きられなかったのである。悔いだらけの青春であるけれども・・もう一度生まれて来ても今日まで生きてきたのと同じ青春を選びとろう」とあり氏の

「もう一度のこの世は思はずきつぱりと書いてゆくのみ追伸不要」

を思い出す。

永田和宏氏「あの胸が岬のように遠かった」を借りに行くと5人待ちになっていた時にふらふらと偶然見つけた大森静佳著「この世の息・歌人河野裕子論」を借りる。評論という形式は読み慣れずトツトツ、ぎごちなく読み進めなんとか読了。私には語彙すら難しい部分が多く自身の教養ではついていけない感あり。河野氏のエッジが効いた雄弁で自己主張の効いた初期、自己が後ろに退いた脱力感とユーモアを感じる平明な言葉による後期の解説などがまあまあ理解できた。特に氏が影響を受けたとされる小池光氏、他の方の作品との対比と分析は面白いと感じる。